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PAGE 1

ニューヨーク・コンチネンタル・エンタープライズ本社ビル


「今度こそ間違いないだろうな?」
 窓から夕暮れの光が差し込みはじめる頃、マット・A・マロリーは、オフィスの机にゆったりともたれかかりながら、電話の相手に確認するように問いかけた。肯くと更に念を押す。
「よし、今度こそ確実に連れて来るんだ。もしあの間抜けな弁護士のように失敗したら、後はないからそう思え」
 受話器を置いたマットの口元に、にやりと満足げな薄笑いが浮かんだ。
「ついに掛かったか。まったく、てこずらせてくれるものだ」
デスク上のデジタル・カレンダーを見ながら日数を数えた。カンザス・シティのレストランで出会った日から数えて、今日で十一日目になる。

 一介の牧場主風情にしてはよくやった、と褒めてやりたい気もする。
 だがその一方で余計な邪魔だてをされたことへの憤りや、サマンサに絡む複雑な感情も、募ってきていた。サマンサ、あの女はかつて俺のものだった。この四年の間、思い出すことはごくまれだったとしても、完全に脳裏から捨て去っていたわけではないのだ。
 そして今、彼女は自分の子を産んだ女、息子の母親として再び自分の前に姿を現わしてきた。

 彼は、秘書室に電話を入れると、明日の午後の予定を全てキャンセルするよう伝えた。驚く秘書の反応を無視し一方的に切ると、彼はキャビネットからボトルとグラスを出して、スコッチを注いだ。
 窓に映る黄昏の摩天楼を眺めながら、ゆっくりとグラスを干していく。

 その時再び内線電話が入った。秘書が「奥様がお見えです」と告げた。
 不意をつかれ怪訝な顔で「通せ」と答える。程なく社長室の自動ドアが開いた。
 マットの妻、ダイアン・マロリーは今年四十歳。だが、まだその容姿は衰えていなかった。政略結婚の空しさを、日々贅沢な暮らしを楽しむことで補っている。ブルネットの髪をバックに流し、アーモンド型の目が、無表情に自分を眺めていた。
 今着ている銀色シフォンのドレスは五番街で仕立てた物だ。その首筋に煌く三万ドルのダイヤのネックレスにちらりと目を留めて、マットはおもむろに口を開いた。

「久しぶりだな。今からまた出かけるのか」
「ルイス夫妻の所の記念パーティよ。七時からなの」
 彼女はふんと鼻をならすと、冷たい声で答えた。思わず目を細める。
「それなら、さっさと行けばいいだろう。何か用か」
「あなたに以前お願いした話、覚えていらっしゃる? 手続きを進めて下さっているんでしょうね?」
「さて、何だったかな」
「まあ、ひどい!」
 ダイアンは憤然として夫を睨み付けた。ブルネットの髪が揺れる。
「私の甥のトニーを、私達の養子にしてこの会社の後継者に指名するという話よ」
「ああ、その話か」

 マットは、おもむろにデスクの上のケースから葉巻を取り上げ、火をつけた。
「まだ検討中だ。近いうちに結論が出ると思うがな」
「何ですって? 一体何を迷うことがあるというの? トニーは私と同じフレッチャー家の出よ。家柄も成績もお行儀も申し分ないわ。もう十四歳だし、これからあなたについて色々学べば……」
「ダイアン」
 彼は片手を上げながら、静かな有無を言わさぬ口調で、まくしたて始めた妻の言葉を遮った。
「今言ったとおりだ。まあ近いうちに結論が出るだろう。楽しみにしていたまえ」
「あなた、いったい何を考えているの?」
ダイアンは用心深そうな色を浮かべ、束の間夫の顔を見つめると、さっと身を翻して部屋から出て行った。


 
Mt−R牧場 ランチハウス



 クリフはしばらくじっと耳をそばだてていたが、ふいに我に帰ったように闇雲に客室のドアを押し開けた。
 サマンサの赤い髪が驚いたように揺れ、振り向いたその顔は涙でくしゃくしゃに濡れている。
 クリフは居たたまれない思いでドアを閉め、彼女の横に跪くと両腕に抱き寄せた。

「一体どうしたって言うんだ?」
 クリフは持ち前の自制心を総動員して、強いて穏やかに問いかけながら、彼女の身体をあやすように揺さぶった。
「話してくれないか。僕がいない間に、あそこで何があった?」
 サマンサがビクッと震えるのを感じても、彼は一層固く抱きしめただけだった。
「クリフ……、ごめんなさい」
「何を謝っているんだい?」
「………」
「何だって? 聞こえないよ」
「……お願い、わたしを愛して。今すぐに」
 かすれた小さな声しか出なかった。言葉と同時にまるで脅えた小猫のように、夢中でクリフに身体をすり寄せる。

 彼はしばらく動かなかった。返事さえしなかった。ただ彼女の身体に回された手に、瞬間ぐっと力が加わっただけだった。
 その沈黙に耐えきれず恐る恐るサマンサが顔を上げると、厳しいブルーの目が射ぬくように彼女をじっと見下ろしている。馬鹿なことを言って、軽蔑されたに違いない。
 サマンサは居たたまれなくなった。一気に惨めさが募り、彼の腕から身を振りほどこうとした。

 その時、クリフの片方の手が身体を押さえつけ、もう一方の手が彼女の顎をそっと持ち上げた。無言のままゆっくりと唇が重ねられ、半分開かれた唇から舌がそっと入ってくる。愛おしむような甘い口づけは、豊潤なワインのように彼女を酔わせた。
 やがて力強い腕に抱き上げられ、ベッドの冷たいシーツの上にそっと横たえられる。
 恐る恐る目を開くと、暗い影を帯びた眼差しに絡め捕られた。

「クリフ……」
 濡れたブルーグレイの瞳が、懇願するように自分を見上げている。その視線をしっかりと受け止め、クリフも彼女から目を離さずに、右手を顔から首筋、そして背中へと這わせて行った。
 いたわるような手がやがてサンドレスのファスナーに達した。
 それを引き下げ、現れて来る素肌に唇をつけ、優しく舌を這わせ始める。快感が走り、サマンサは思わず身震いしのけぞった。

 彼はふいに身を起こすと、部屋のドアの鍵をかけに行く。再び戻ると彼女を見下ろしながら自分の服を脱ぎ捨て、彼女の下着も取り除けた。
 サマンサの白い肌に、日に焼けたクリフの引き締まった身体が重なった。最初はそっとじらすように、それから次第に深まり、熱くきわどくなっていく彼の愛撫と口づけに弄ばれるように、半ば陶然となりながら、サマンサはもっと激しく自分を与えようと、夢中でクリフに身体を押し付けていった。

 ついに彼の口から喘ぎ声が漏れ、自制心が切れたようにさらに貪欲に求めはじめる。二人の舌が再び絡まり、キスはしびれるほど熱くなった。
 やがて、クリフが荒々しく彼女の中に入ってきた。夢中で身体を反らせながら、彼の全てを受け入れていく。彼の動きが激しくなるにつれ、身体の奥から突き上げるような震えが走り始める。目の奥で白い光が閃いた瞬間、意識が砕け散った。
 全てが終った後もまだ弾む息を整えるように、二人はそのまま動かなかった。
 しばらくして、ようやくクリフは腕の中に彼女をぴったり抱き寄せたまま、身を返して仰向けになった。


 気がつけば太陽が西に傾き、部屋は夕暮れの影の中にあった。

「落ち着いたかい?」
 腕の中のサマンサに目を向け、彼は優しく声をかけた。彼女はまるで力を使い果たしたようにじっと瞳を閉じたまま、自分の肩に頭をのせている。細い指先が軽く彼の胸を撫でていた。
「何があったか、話してくれるね」
 クリフが再び問いかける。だがそれには答えず、サマンサは彼の喉元にさらに顔を寄せて呟いた。
「……クリフ、愛してるわ」
 囁くようなその声に、クリフははっとして頭を起こした。
 今までどんなにその言葉を待っていたことだろう。
「サマ……」
「本当よ、愛してる。もうずっと。今まで気付かなかっただけ」
 彼女はもう一度頭を上げ、彼の唇に自分から唇を寄せて行った。幾度もキスを重ね、合間に愛の言葉を口にする。
 クリフはしばらく彼女のなすがままになっていたが、やがて位置を入れ替え、再びサマンサに覆い被さった。鋭い眼差しは彼女の表情を探り続けている。

「何を考えているんだい? まだ僕に言えないようなことがあるんだね?」
「………」
 サマンサは黙って彼を見上げ、かすかに微笑を浮かべた。黄昏の光の中で、ブルーグレイの瞳はもはや揺れてはいなかった。澄んだ湖水のように落ち着き払って、自分を静かに見返している。
 クリフの唇がもどかしそうに動いたが言葉にならなかった。やがて彼はうめき声を漏らすと、身内から再び湧き起こった焼けるような激情の赴くままに、荒々しく彼女を抱き寄せ、再びその中に沈み込んでいった……。



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