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 耳元で口々に叫ぶ声が聞こえた。名前を呼ぶ声、車を取ってこいとわめく声。駆け回るたくさんの足音……。
 上半身がゆっくり起こされ、傷口に布が押し当てられる。だが左肩には依然として痺れるような激痛があり、押さえられた傷口から止めようもなく血が流れ出していた。

 やがて幾つかの手が彼の身体を慎重に持ち上げた。そのままカウボーイ達は、クリフの身体をワゴン車へ運び、倒したシートに広げた毛布の上に寝かせる。
 牧童頭のジョーが隣に付き添い、車はシティに向かって夜のI−70を走り始めた。



 彼女はどこにいる? 
 早く連れ戻さなければならないのに、お前はここで何をしているんだ?
 ほら、彼女がまた泣いているじゃないか。

「ミスター・オースティン、聞こえますか」

 枕元で名を呼ばれ、クリフは小さなうめき声と共にゆっくりと目を開いた。すぐには焦点が定まらない。室内が明るかった。もう朝なのか? 思わず瞬きして頭を起こそうとしたが、押し止められた。

 漂うような、ぼんやり濁った意識が次第にはっきりし始める。そして左肩がすっぽりとぶ厚い包帯で覆われ、腕には肘の裏側に太い針で何やら管がいくつも取り付けられて、ろくに身動きすら取れなくなっていることに気付いた。

 目の前には、金縁眼鏡をかけて厳粛な顔をした中年の医師が立っていた。手元の機械を覗き込みながら、彼の脈拍を図っている所らしい。
「よし、正常値に近くなった」
 医師が傍らの看護婦に肯きかけると、彼の腕にまた注射が打たれる。彼は顔をしかめたが、動けないのでじっとしていた。ややあって、クリフがかすれた声で尋ねた。

「ここは……?」
「カンザス・シティの救急医療センターです。二時間ほど前に、あなたの銃創の手術が無事に終ったところですよ。左腕の付け根に銃弾が食い込んで骨が砕けていました。かなり時間はかかりましたが、どうにか元どおり修復できましたから安心して下さい。しかし今は安静にしていないと、後々左腕が使えなくなりますよ」

 そうだった……。クリフは絶望的な思いにかられ目を閉じた。昨夜の苦い記憶が一度に脳裏に蘇って来る。

 この大馬鹿野郎め。あんな場所でやり合っていないで、何故さっさと彼女を安全なハウス内に連れて戻らなかったんだ? 担ぎ上げてでもそうするべきだったのに……。
 その判断の甘さがこの結果だ。畜生! あの男が銃を隠し持っていたとは、全くうかつだった。挙げ句の果てに自分はむざむざと撃たれ、彼女は連れ去られてしまったのだ。

 サマンサは今頃……。その先をちらと考えただけでも、煮えくり返るような怒りが胸中に湧き起こって来た。彼は再び目を開き、診察を終えた医師を見据えると、低い声で尋ねた。
「最低限必要な治療を終えたら、一、二日のうちに退院させてもらいたいのですが」
「何ですと? さっきわたしが言ったことを聞いておられなかったようですな。今お連れの方が入院手続きをしています。最低五日は入院して頂かなければなりませんぞ」
「もちろん分かっていますが、事態は緊急を要するんです。薬か何かで、何とか……」

 その時病室のドアが開き、牧童頭のジョーが郡保安官を連れて入って来た。
 医師は不機嫌に、少しの間だけならと条件を付けて、事情徴収を許可し出て行った。
 初老の保安官はベッドに横たわるクリフの様子を見て一瞬眉を上げ、やんわりと諭すような口調で言った。

「やあクリフォード。真面目なお前さんがこんな羽目になるとは、いったいどうしたことだね?」
 クリフは苦々しい気持を押し隠し、しいて淡々と事の次第を説明し始めた。そこに出てきた大物の名を聞いて、相手は仰天した。
「すると……、ニューヨークのコンチネンタル・エンタープライズ社・社長のミスター・マロリーが、君の婚約者の女性を拉致し、君を狙撃させたと?」
「ええ、そうです。間違いありません」
 彼はきっぱりと言い切った。だが、保安官はにわかには信じられない様子だった。
「何か証拠でも?」
 彼女のためには、できれば伏せておきたい事実も含まれるが、こうなったらやむをえない。彼は続けた。
「もし調べてもらえれば、ここ数日間に彼が背後でうちの牧場の取引先に、脅しをかけている事実がいくつか出て来ると思います。僕が彼の要求に応じなかったために、とうとうこんな強行手段に訴えたようです」
「それじゃ、彼の目的は何だというんだ? 君の土地か?」
「彼女の息子です。彼はその子の存在を知ってから、子供を引き渡すようにと、彼女に要求し続けていました。サマンサ・バークスの息子マシューは、彼の……息子でもありますから。それは子供の出生証明を見れば、確認できます」
 胸は痛むが事実は事実だ。それはどう頑張っても変えることはできない。
「ほう、もう少し詳しく聞かせてくれるかい」
 保安官の目が真剣味を増した。クリフはため息をついて続ける。
「……裁判という形で争うことになるとばかり考えていましたが、どうやら向こうのやり方が変わったようだ。それとも最初から、彼女を呼び寄せるためだったのか……。彼女も多分何らかの形で、脅されていたんだと思います。僕がどんなに聞いても何も答えず、夜中に黙って出て行こうとした。それに気付いて引き止め、家に連れ戻ろうとした時、いきなり男が車で押し入ってきたんです。争いになり、彼女が警察に通報しようとした時、僕は背後から撃たれ、彼女は目の前で連れ去られました」
 こう話しながら再び苦い悔恨が喉元まで込み上げて、うめき声を上げないようにするのがひと苦労だった。
「ミズ・バークスは、君の婚約者だね。では、捜索願いを出さなければ」
「ええ、お願いします。だが、彼女がどこにいるかは分かっている」
「非常に興味深い話だった。また協力をお願いするかもしれないが、今日はこれで失礼するよ。どうぞお大事に」

 出て行く保安官を立ち上がって見送ったジョーは、そのままベッド脇に置いた鉄パイプの椅子に座ると、ガーゼをはったクリフの顔と、肩に巻き付けられた白い包帯とを交互に見比べていた。そして彼を元気づけるようににやりと笑う。
「とんだ災難だ。まったく女一人のために命懸けだね。惚れた相手が悪かったんじゃないのかい?」
「それぐらい、いい女だということさ」
 彼もにやりと笑うとすかさずやり返してから、ふと思い出したように、真顔になった。
「マシューはどうしているだろう?」
「あの子のことなら心配は要らないよ。ミセス・グレイが、引き受けてくれるそうだ。夜は彼女の娘に来てもらうことになってる。まあ、朝は母さんを探して大変だったらしいが」
「そうだろうな。それにしても実際、何日ここで寝てなきゃならないんだ?」
「クリフ、これ以上はもう、警察に任せるべきだと思うがな。その身体で、あんたにいったい何ができる?」
「彼女は連れ去られたんだぞ。そんな悠長なことを言っている場合じゃ……」

 そう言いかけてしばらくの間、クリフは考え込むかのように目を細めていたが、やがて決断したようにジョーを見上げた。腫れたまぶたの下で彼の青い目には、思わずぎくりとするような鋭い光が宿っていた。
「ハウスに電話して、僕の部屋にあるノートブックPCを、大至急ここへ持ってこさせてくれ」
「何をするつもりだ?」
「とにかく頼む。すぐに。ところで今何時だろう?」
「まだ、午前八時半だが。わかったよ。あんたがもう一眠りしている間に、届けてもらおう。だが早く回復したければ、いい加減で休むべきだな」
 さすがのクリフも、観念したように枕に頭を沈めた。さっき打たれた鎮痛剤が作用し始めたのか、次第に眠気が波のように押し寄せてきた。


 薄れて行く意識の中に、二人で最後に愛し合った時の記憶が蘇る。
 自分に口づけしながら、切ないほどに繰り返し愛の言葉を囁いていた彼女……。

 サマ、大丈夫か? 例え何があっても、僕の気持は変わらない。だが、君も同じだと、信じてもいいだろうか……。


ニューヨーク・エンタープライズ・ホテル


 直通エレベーターに乗せられて、案内されたスイート・ルームは、たくさんの花で飾られ、幻惑するような香りに包まれていた。
 くるぶしまで埋まる柔らかな淡いピンクのカーペットに、白木細工の美しいドレッサーとクローゼット。テーブルセット。柔らかそうなキャメルの皮ばりのソファー。そしてふた間続きの奥の部屋には、豪奢なキングサイズのベッドが置かれている。

「浴室はこちら、お着替えはこちらにございます。このクローゼットからどれでもお好きなものをお選び下さい。必要でしたら、お手伝いいたします」
 若い有能そうなブロンド女性が、微笑みながら振り返る。あくまでも丁重で柔らかな物腰。サマンサは自分の泥に汚れた衣服を見下ろしてから、強張った顔で相手を睨み付けた。
「結構よ。とにかく電話がかけたいわ」
「申し訳ございませんが、それはミスター・マロリーに直接お確かめ下さい。午後にはお出でになると思いますので」
「わたしを誘拐した上、ここへ監禁するつもり?」
 女の笑みが強張った。サマンサの問いには何も答えず、「ではご用がございましたら、内線1番でお呼び下さい。お食事はすぐにお持ちします」と言うなり、逃げるように扉から出ていった。

 クリフのことが心配で、居ても立ってもいられなかった。昨夜の乱闘騒ぎの時、撃たれた彼がどれくらいの傷を負ったのか、不安で胸が締め付けられるようだ。最後に見た、肩を押さえてがっくりと膝をついていた彼の姿が、頭から離れない。
 自家用ジェット機に乗せられてニューヨークに向かい夜間フライトしている間も、疲労のあまりうとうとするたびに、あの銃声が耳に蘇って目が覚めた。彼の安否だけでも確かめたい。まさか命に別状は……。
 それ以上耐えられず、いやな考えを追い払うように、サマンサは首を激しく左右に振った。

 一応スイートの電話で試してみるが、もちろん外線は通じない。このフロアの位置は50階以上だろう。窓の外の景色に目を向けてくらりとした。ドアから外には出られない。どうやらこのままぼんやりと、マットが来るまで待っているしかないようだ。

 マットに対して今さら憶する気持はなかった。自分でも話し合うつもりでいたのだから。その時サマンサは、マットに対する怖れが、自分の中からきれいに消えていることに気付いた。
 クリフへの愛を自覚した瞬間、妻帯者であるマットに再び惹かれてしまうのではないか、という不安は永久に消滅したのだった。
 息子に対する彼の要求が到底飲めないものであれ、聞くだけは聞かなければならない。ああ、本当にもっと早くそうすべきだったのに。クリフをあんなにも傷つけてしまう前に……。
 全部自分のせいだ。再び熱くなって来た目頭を手で拭い、サマンサは決心した。

 そう、何があっても負けはしない。そしてどれくらいかかるか分からないが、この全てが終った時には……、潔くクリフの人生からも出て行こう。
 本当に結婚しなくて幸いだった。そう、彼はわたしを愛しているとは、一度も言わなかった。優しく男気の強い彼のことだ。困っている自分達を見捨てておけなかったに違いない。
 最初から何の関係もなかったクリフを、こんなごたごたに巻き込んでしまったのは、わたしの優柔不断のせい……。
 全て終ったら、彼に謝罪し、息子と二人でどこか新しい土地に行こう。そしてもう一度、新しく人生をやり直そう。本当に、やり直せるものならば。

 そうと決まれば、戦闘態勢に入らなければならない。サマンサはクローゼットを開けて考えた末、ずらりと並んだ高価な衣装の中から一組を選び出すと、シャワーを浴びるため浴室へ向かった。



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