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PAGE 1


 その後すぐ、クリフはトーリーが紹介したマンハッタンの外科病院で手当てを受けた。
 診察中廊下の椅子に座って待ちながら、サマンサは気が気ではなかった。
 トーリーが彼女のために着替えを調達してくれたので、化粧室でシャツブラウスとスカートに着替え少しほっとする。だがクリフの怪我の状態は良好とはいえず、結局嫌応なくその病院に入院せざるをえなかった。

 数日経ち、ようやく彼の体調が回復したので、三人は揃ってカンザスに帰ることになった。


 退院した日の夜、クリフはサマンサとマシューを伴いレストランで食事を済ませると、空港近くのホテルにチェックインした。
 飛行機は明朝の便だ。部屋の前で、サマンサがまたしてもためらっているのを見て、肩を抱きかかえるようにマシュー共々部屋へ入れてしまう。彼女は室内を一瞥するなり、ほっとした表情になった。

「安心したかい?」
 ちらりと皮肉な微笑を浮かべ、クリフは先に奥へ入っていった。夕食中から少しぎこちなかったサマンサの様子を見て、気持を察してくれていたのだろう。コネクト・ルームをとってくれたクリフの心遣いが嬉しかった。
 コネクト・ルームは居間や浴室は共同だが、ベッドルームだけは分けられていて、お互いのプライバシーも守れる造りになっている。親しいもの同志でも、個人の空間もほしい家族向きの部屋だ。
 子供と一緒に片方のベッドルームに入る。マシューは、しばらくベッドの上で飛び跳ねてはしゃいでいたが、やがて疲れが出たと見え、シャワーを遣わせるなりことりと寝付いてしまった。

 既にクリフもベッドに引き上げているらしい。マシューを寝かしつけてから、サマンサもようやくシャワーを浴びて一息ついた。ホテル備え付けのバスローブを羽織りサッシュを締めると髪を乾かす。
 久しぶりの大きな安堵感に包まれていた。こんな快さは何日ぶりだろう。今はもう、この子とわたしを脅かすものは何もない。ある日突然訪れた悪夢は、来たときと同じように、突然過ぎ去って行ったのだ。

 何もかも、クリフのおかげだ……。

 クリフ……。サマンサは、彼の寝室の方に目を向けた。怪我の状態がひどく気にかかっていた。医者はできればあと一日入院しているよう勧めていたのに。

 いつのまにか十一時を過ぎている。彼もとうに眠っただろう。そっと奥のベッドルームに近づき、様子をうかがった。彼は衣服を脱いでベッドに身体を横たえ、目を閉じていた。
 ようやくシャワーを浴びることを許された時の喜びようを思い出し、彼女の口元がほころんだ。彼もすっかりくつろいでいるように見えた。顔の傷はほとんど目立たなくなったが、シーツからむき出しになっている肩の白い包帯は、依然として痛々しく、壁下に点った小さな常夜灯の光に浮かんで見える。

 サマンサはそれに目を当て、唇を噛んだ。いったいどうやって償えばいいの? こうして何もかも無事に片付いたのも全て、クリフがいてくれればこそだ。自分一人では、本当にどうすることもできなかった。
 なのに彼だけが大怪我をして、あと何か月も不自由な生活を余儀なくされてしまうことになった。当分は仕事もあまりできないだろう。きっと牧場の運営にも支障をきたすに違いない。
 結局、今度の件で一番ダメージを被ったのは、クリフだ。それなのに、彼はマットを訴えないと言ってくれた……。

 その時、彼が気配に気付いたように身動きした。ぐっすり眠ってはいなかったらしく目を開き、顔をこちらに向けた。彼が身体を起こそうとしたので、いそいで近づき声をかける。

「動かなくていいのよ。ごめんなさい。起こしちゃったかしら。何かほしいものはない? 喉が渇いたとか……」
「いや、ありがとう。そうじゃないんだ。マシューはもう眠ったかい?」
 そう言いながら、彼はベッドの上に起き上がった。
「ええ、あの……、あなたもどうぞ休んで。わたしも寝るから」
 いそいで出て行こうとするのを、彼は声をかけて引き止めた。
「よかったらここに来て、ちょっと座らないか。君に聞きたかったことがあるんだ」

 穏やかな眼差しで見つめながら、彼は自由な方の手でベッドのはしを軽く叩いて見せた。サマンサがまるで引き寄せられるようにベッドのそばに立つと、右手を伸ばして優しく彼女の手をとった。
 そのまま愛しげに華奢な手の甲に親指を滑らせる。はっとして手を引こうとしたが、クリフはしっかりその手を掴んで、彼女をさらにそばに引き寄せた。

 人の出入りの激しいオープンな病室では、つっこんだ話などできなかったし、そういう気分にもなれなかった。今、ずっと心にかかっていたことを、切り出すチャンスだ。
「奴に何かされなかったかい?」
 自制のきいた穏やかな声の奥に、まだ緊張が漂っているのが感じられる。
 サマンサは静かにかぶりを振ったが、クリフは彼女の目の奥に真実を探すように、しばらく無言で見つめていた。
「本当に大丈夫だったの。連れてこられた日の夜、マットと、その……話を……しているときに、彼の奥さんから急に電話がかかってきて……」
「何だって?」
「そうなの。突然奥さんに電話で呼び出されて、彼は行ってしまったのよ。思えばあれも、あなたのおかげだったのかしらね」
 彼もプッと吹き出した。
「それは……傑作。上出来だ」
 なおも笑いながら、サマンサにベッドに座るよう促した。何も身につけていない彼のすぐそばに、バスローブ一枚でいるなんて……。だが、全てが終った今夜が、じっくり二人で話すいい機会かもしれないと考え直した。彼女の方も、クリフにどうしても尋ねたいことがあったからだ。
「実は、わたしもあなたに聞きたいことがあったの。でも疲れたんじゃない? 眠らなくて大丈夫なの?」
「今朝まで病院のベッドに縛り付けられて、たっぷり一週間分は寝たよ。何だい? 改まって」
「マットのことなの……。あなたにとって、あれで本当によかったのかしら?」
「何が?」
「今度の件では、わたしには結局、大した実害はなかったわ。無理矢理連れてこられたのは確かだけど。でも、あなたはそうじゃないでしょう。牧場に損害を受けた上、こんな大怪我までさせられたのに、彼をどうして訴えなかったの? もしわたしに遠慮してるのなら、もう平気よ……」
「そうだな。もし君に何かあったら、迷わずそうしていただろうな」
 クリフの強い眼差しに彼女はどきりとした。
「だが、君は無事に戻ってきた。それにもし、裁判になったら証人尋問やら、反対尋問やらで、こちらも莫大な時間と労力を費やすことになる。僕としても、煩わしいことはなるべく避けたかった。それよりもあいつがもう二度と、君達に手を出せないようにすること。それが一番肝心なことだったから」
 サマンサは胸がいっぱいになってくるのを感じた。思わず声が震える。
「ああ、クリフ、本当にありがとう。あなたがいなかったら、わたし達どうなっていたかわからない。何もかもあなたのおかげよ。でも、わたし、あなたにずいぶん損害をあたえてしまったわ。どうやって償えばいいのか」
「どんな損害?」
「今度の件でマウント・リバー牧場に与えた損害と、それにこの……」

 肩の包帯を見る目が辛そうに曇った。その時彼の指先がサマンサの言葉をふさぐように唇にそっと押し当てられた。
「この怪我のことは、君のせいじゃない。君が気にする必要は全くないよ。それに僕らはそんな他人じゃないはずだろう? 男が明日妻になる女性を守るためにしたことに、償うなんて言葉、必要だと思うかい?」

 彼女はさっと緊張した。唇の上の彼の手をそっとはずして両手でぎゅっと握りしめる。
 ほら、今こそ言わなくちゃ。勇気を出すのよ。どんなに辛くてもそれが彼のためなんだもの。

 急にからからになった喉からようやく声を絞り出した。

「そのことも……、話し合わなくちゃいけないと思ってたの。クリフ、もう全て終ったんだもの、無理にわたしと結婚してくれる必要は全くないのよ。あなたの友情には本当にどんなに感謝しているかわからないけれど、だからってそこまで自分を犠牲にしてはいけないわ。わたしみたいな子持ちではなくて、いつかきっとあなたにもっと相応しい人が見つかるはず……」
「………」
 彼は無言のまま目を細めた。一呼吸置いて、サマンサはさらに言葉を続けた。
「わたし……、あのホテルに一人でいる間、色々考えてたの。全て終ったら、どこかでもう一度仕事を探して、あの子と二人で新しいアパートでも借りて……」

 その時、低くののしる声が聞こえ、それ以上何も言えなくなった。彼がさっと身をのり出すと、サマンサの頭をぐいと引き寄せ、なお話し続けようとする口を荒々しいキスでふさいだからだ。
 そのまま彼女の身体に腕を回し、自分の方にやすやすと引き寄せる。弱々しい抵抗を封じ込めるように顔中にキスを浴びせ始めた。

「ク、クリフ……、だめよ! あなたまだ身体が……」
 唇に覆いかぶさってきた彼の熱情に応えそうになる自分にも必死にあらがい、なんとか身体を離そうともがきながらこう言いかけ、唇を開いた。途端に、彼の舌がさっと分け入り、口中を激しくまさぐり始める。
 驚いて逃げようとする彼女の舌を捕らえ、容赦なく熱く絡め取る。思わず喉の奥から呻き声がもれた。ようやく彼がキスをやめたとき、唇が腫れているような気がした。

「いい加減にするんだね。そんなひどい話があるか。いったいどこをどう考えたら、そこまで馬鹿げた結論が出てくるんだ!?」
 耳元でいつもの彼に全く似合わない荒々しい声がした。どうやら完全に怒らせてしまったようだ。
 彼は更に右手を動かして、半ば呆然としているサマンサのバスローブのサッシュを解くと、引き剥がすように脱がせてしまった。とたんに白い上半身があらわになる。クリフは強い視線を、驚きに目を見張っている彼女の顔から、上下している白い胸に下げると、そこに顔を寄せて唇と舌で攻撃を仕掛けはじめた。

 サマンサは一瞬身体を強張らせたが、彼の愛撫が巻き起こした痛みにも似た強い快感が押し寄せ、いつしか夢中で彼の髪に手を差し込んでいた。
 彼の右手が更に下へと動いて彼女の最も敏感な部分へと滑り込んでいく。
 その指先にかきたてられ、さらに強烈な感覚の渦に引きずり込まれながら、気が遠くなりそうだった。おもわず身体をのけぞらせて声をあげると、彼は再び顔を上げて荒々しく唇をふさいだ。

 ふいに、片手で力いっぱい抱き締められた。
 耳元で今まで聞いたこともないほど、切羽詰まった声がした。

「サマ! 僕の愛しいサマ! 君を失うんじゃないかと、気が狂いそうだった。どんなに、どんなに心配したか……」

 触れ合った彼の身体に大きく震えが走り、さらにきつく抱き寄せられる。これまでいつも見事なまでに自制していたクリフが、初めてさらけ出した、生々しいむき出しの激情だった。サマンサはなす術もなく翻弄されながら、彼が今までどれほど自分を抑えていたのか、今初めて思い知らされていた。目が覚めたような気がした。

 彼女の顔と身体の至る所にキスを浴びせながら、合間に彼の口からもうめき声がもれる。やがて限界に達したようにそのまま幾度も彼女の名を呼び、手で次の動作へと導いていった。彼女がそれに応えてゆっくりと腰を動かすと、彼が彼女の中に入ってくる。
 怪我さえも忘れたように、クリフは激しく彼女を満たし、全てを占領し尽くした。腕の痛みより、まだ胸に残る痛みの方が遥かに強かった。
 お互いの中になおもわだかまる不安と疑念を全て拭い去り、二人の関係を確かなものにしようとするように、彼はこれまで自らに課していた自制の全てを捨て去った。ただ強烈な欲望のおもむくままに彼女を突き上げ、愛し合う歓びに我を忘れていった……。


 全身を焼き尽くすばかりに青い瞳に見つめられながら、サマンサは否応無く恍惚の極みへと押し上げられていった。身体の奥から震えが走り意識が極限ではじけ飛ぶ。ついに二人は共に頂点に達し、力尽きたサマンサはクリフの胸の上に崩れ落ちた。
 汗の光るその身体を、彼は再び固く抱き締めた。


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