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 その朝、カンザス・シティ上空には、晩夏の抜けるような青空が広がっていた。

 サマンサとマシューは、おとといからランチハウスを出て、市内のホテルに滞在していた。彼女の両親も昨日リッチモンドから到着し、同じホテルに宿泊している。
 昨夕は、初めて両親とクリフを引き合わせ、一緒にディナーをとった。両親の性格上、話がたいそう弾んだとは言い難かったが、それでも如才のないクリフに対する父母の反応はすこぶるよく、娘の結婚に満足しているのは明らかだった。


 サマンサがドレッシングテーブルの前でメイクを直していると、窓辺に置いた椅子の上から外を見ていたマシューが、ふいに「見て!」と明るい声をあげた。
 ドキリとしたのをどうやら隠し、駆け寄ってくる息子に微笑を向ける。
「ママ、牧場の車が見えた。ジョーだよ。ねぇ、小父さんは? まだ来ないの?」
「クリフ小父さんはね……」
 小さな息子の巻き毛にもう一度櫛をあててやりながら、サマンサは優しく答えた。
「ここには来ないのよ。教会でわたし達が行くのを待っているわ。あと少しで小父さんは、あなたのパパになるのよ」
「それじゃあ、ぼく、小父さんのこと『パパ』って呼んでもいいの?」
「もちろんよ」
 長く引き伸ばすような母の断言を聞くなり、さらに嬉しそうな笑顔が広がる。この子が生まれてから、まだ一度も使ったことのない言葉……。笑みを返しながら、少し複雑な思いになる。
 息子の丸い頬を指先でつつき、最後にレースの短い手袋をはめると、サマンサは鏡の中の自分をもう一度確かめた。少しふくらませた袖のついたオフホワイトのオーガンディードレス。丸首のシンプルなデザインでスカートはひざ下丈のフレアーになっている。軽くパーマをかけた襟足までのストロベリーブロンドには、小さなとも布の帽子をピンで留めてある。耳に母から贈られたサファイアとパールのイヤリングを留め、花嫁のブルーもさりげなく演出した。

 あと一時間。いよいよわたしはクリフの妻になる……。


◇◆◇


「ミリアムは今、隣の牧場にいないそうね。セントルイスの叔母さんの家に、遊びに行ったらしいわ」
 あの後、シビルがただ一度だけ夕食の席でこう言い出したことがあった。サマンサは、喉に食べ物が引っかかりそうになった。
「それじゃ招待できないわね。残念だわ。彼女も来れるとよかったのに」
 レニーが心底がっかりしたというように相槌をうつ。クリフはむっつり押し黙ったまま、ひたすらフォークを動かし続けていた。
 それからは、さすがにシビルもあきらめたのか、取り立てて非難めいた発言はしなかった。ただふっとこちらに皮肉な視線を向けてくることがあった。まるで『あなたがここでやっていけるかしら?』と、問われているような気がして、そのたびに少し落ち着かなくなる。
 もちろん、たとえ義母や義姉からどう思われようと、今更クリフをあきらめるつもりはない。もう彼なしで、自分は生きていけない。それほど今やクリフの存在はサマンサの心と身体のすべてを満たし、占領し尽くしてしまっていた。
 だから、これから自分にできることは一つだけ……。
 マウント・リバー牧場の牧場主の妻として、なすべきことを果たせるよう、精一杯努力することだ。少し時間はかかるだろう。それでも選択肢は、もうそれ以外ありえないから……。


◇◆◇


 ノックの音がして、サマンサの意識は再び現実に引き戻された。身支度を整えた母が部屋に入ってくる。
「サマ、マウント・リバー牧場から迎えが来たわ。準備はどう?」
 鏡の前で振り返った娘の姿を嬉しそうに見つめ、頬にそっとキスする。
「ああ、サマ、とてもきれいだわ、この日を迎えられてわたし達がどんなに嬉しく思っているかわかる? あなたの選んだ旦那様は、素晴らしい人よ。たとえこんなときに腕が片方使えないとしてもね。まったく、あなたがわたし達の反対を押し切って、あの子を生んだときには、どうなることかと心配したけれど……」
「パパはどこ?」
 マシューもすぐそばにいるのに、まるでいないかのように話している。子供も何か感じるのか、初めて会う祖父母にはほとんど近寄らなかった。三年以上経ってもまだ、孫のことをよく思っていない。そんな母の口癖をそれ以上聞きたくなくて、素早くそう問い返した。
「車のところで牧童頭の人と話してるわよ。ウェディングドレスにしなかったのは、とても残念だけれど、まあ、その子がいてはね」
 彼女は黙って立ち上がると、マシューを呼んだ。そして小さな紺色のスーツと赤い蝶ネクタイをもう一度直してやった。


 二人の結婚式はカンザス・シティ郊外にある、オースティン家の人々が代々通ってきた教会で執り行われることになっていた。そこはクリフが洗礼を受けた所でもある。
 結局彼女の意向をくんで、出席者は身内とごく親しい友人だけというひっそりした式になるはずだった。
 サマンサは両親、マシューととともに、黒人の牧童頭の運転する牧場のランドローバーに乗り込んだ。なんと、彼までがスーツを着てネクタイを締めている!
 ポーターに見送られながら、車はすべるようにまだ込み合っている朝のアベニューへと出て行った。


◇◆◇


 風が吹き抜ける木々の梢の向こうに、レンガ造りの古い教会堂が見えてきた。建物の壁面に絡まるツタが、緑の葉を茂らせている。
 教会の中庭に、クリフの家族と友人達の他、多勢の若いカウボーイ達がすでに集まっていた。ボスの結婚式に結局皆、参列すると言って聞かなかったんですよ、と牧童頭が笑いながら説明する。
 車から降り立つとすぐに人々に囲まれた。花嫁の付き添い役、プライズメイドをしてくれるレイチェルが駆け寄ってきて、嬉しそうに手にしたブーケを手渡し頬に祝福のキスをする。彼女はつい一か月前までサマンサが勤めていたショッピングセンターの同僚で、カンザスでの数少ない友人だった。
 同じ車から降りたマシュー、父母、そして先に来ていた義母や義姉、義姉婿らと共に、一同はクリフの友人達に案内され、花婿と牧師の待つチャペルへと進んでいった。


 中は花で美しく飾られていた。日光が降り注ぐ祭壇の中央に牧師が、そしてその前にカウボーイハットを小脇に挟んだ背の高いカウボーイが立って、こちらを見つめていた。
 その姿を見るなり、サマンサは驚きの目を見張った。心臓がたちまち早鐘のように打ち始める。
 まるで今日の空のようなクリフの青い瞳が、限りない優しさをたたえて情熱的に輝いている。結婚式に新郎が身につける、オーソドックスなタキシードスタイルではない。どうにか両方の袖を通したらしいカフスボタンつきの白カッターシャツ、首には赤いスカーフタイを巻き、ボタンをきっちりと留めた高級スキンのベストに、真新しい細身のインディゴブルーのジーンズ、そして磨き上げられたキャメルのカウボーイブーツをはいていた。
 何も聞いていなかったから、花婿としては奇抜なその服装に驚いた。だが、黒のタキシードなどよりよほどクリフらしい。その姿はまさに伝統的なカウボーイそのものだ。
 オルガンの音が響き、小さなフラワーガールの先導で、ピンクの花びらが撒き散らされたバージンロードを父と共に歩き、サマンサはとうとうクリフの横に立った。差し伸べる彼の手に、かすかに震える手を重ねた瞬間、暖かな掌にしっかりと包み込まれた。

 穏やかな牧師の声とともに式が始まった。牧師の問いに答えながら、まるで、夢の中にいるような気さえしてくる。祭壇の上のろうそくの火が日差しの中でかすかに揺れていた。
「指輪の交換を」
 二人の左の薬指におそろいのウエディングリングをはめたとき、彼の瞳がさっと色濃くなったような気がした。
「それでは、誓いのキスを」
 クリフを見上げたとき、不意に視界がかすみぼやけ始めた。彼の顔がゆっくりと近付いてくる。思わず目を閉じた瞬間、優しく、だが確固たる心の込もった口づけを受けた。
 それはほんの一瞬の、けれど永遠を誓う時……。
 自分が泣いていることに気付いたのは、すべてが終わり、クリフが微笑みながら、指先で頬をぬぐってくれたときだった。


◇◆◇


 時間にすれば、ほんの二十分あまり。
 すべてがあっという間だった。結婚許可証への証人の署名もなされ、新郎新婦は口々に祝福を受けながら、ライスシャワーの中を外に出る。
 その後、参席者達はいっせいに牧場へ移動した。
 ミセス・グレイと数人のヘルパーが忙しく行き来する中、ランチハウスの前庭に野外バーベキュー・パーティの準備が整っていた。
「すごい! こんなご馳走、初めてだ」
 マシューがパーティテーブルを見るなり、歓びの声を上げる。
「どんどん食べるんだぞ、マシュー。たくさん食べて、早く大きくなって、立派なカウボーイにならなくちゃな」
 クリフの陽気な声がして、大きな手が小さな頭にぽんと載せられた。傍らに立って優しく見おろす新しい義父をまぶしそうに見上げ、マシューははにかむように何か口ごもった。
「ん? 何か言ったかい?」
 よく聞き取ろうとしゃがみこんだクリフの耳に、「はい、パパ」というおずおずした声が飛び込んできた。彼は思わず子供の小さな体をしっかりと抱き寄せた。首に小さな手が回され、そっと抱きついてくる。
 触れ合うぬくもりが、新米親子の心の奥まで、すっと染み込んでくるようだった。
「ありがとう。嬉しいよ、とても」
 クリフが息子の顔を見つめ、そう呟いた。サマンサは再び、目頭が熱くなるのを感じていた。


◇◆◇


 ビールやカクテル、シャンパンが居並ぶ人々に配られ、新郎新婦と牧場の未来にと、グラスを上げて乾杯する。
 陽気なカントリーソングがスピーカーから流れ始める。バーベキュー台の上で、おいしそうに焼けている分厚い肉の塊は、ステーキ、骨つきスペアリブ、牛肉、ラム肉から鹿肉まであった。ホットドッグやハンバーガーも並んでいる。
 所狭しと置かれた料理に、カウボーイ達の口からも歓声が上がった。日々文字通り体力勝負、食が命の男達。この日を逃がす手はない。
 さらにチリ、フルーツサラダ、ベジタブルプレート、フルーツプレート、チップス。そしてデザートに、砂糖衣とホイップクリームをふんだんに使った大きな三段ウエディングケーキ、ブラウニー、チョコチップクッキー、パイが山のように並んでいた。ドリンクもソーダやコーク、レモネード、アイスティなどが準備されている。
 こうして一同が盛大に飲み食いし、おしゃべりを楽しんでいるうちに、スローテンポの曲に変わった。クリフが立ち上がってサマンサに手を差し出す。新郎と新婦が結婚して初めて踊るファーストダンス。人々の祝辞と暖かい拍手を受けながら、二人は曲に合わせて踊り始めた。

「こんなときに片腕なんて……。まったく、何から何まで様にならない」
 リードを取りながら、クリフが苦笑混じりにぼやいた。サマンサはまさかというように首を振り、曲に合わせてゆっくりとステップを踏んだ。ダンスなんて久し振りだ。だがもともと、嫌いではない。
「その服……」
 少し肩の力を抜いて頭を彼の右肩に寄せながら、そっと問いかけた。
「驚いちゃったわ。誰のアイディア?」
「実は、タキシードの袖がどうしても通らなくてね。考えた末、こうするしかなかったんだ。変だったかな?」
「とんでもないわ。本物のカウボーイみたいで、すごく……」
「なんだい?」
「……あ、あなたと踊るの、これで二度目よね」
 おかしそうに煌く彼の瞳がなんだかしゃくに障り、思わず話題を変えてしまった。
「たしか一度目は会ったばかりの頃、シティのレストランで食事したときだった……」
「覚えていてくれて、嬉しいね」
「あの時はまさか、こんなふうになるとは思ってもみなかったわ」
「僕は、思ってたな」
 え? と聞き返すようにサマンサが顔を上げたとき、彼の唇がゆるやかにカーブを描いて、再び覆いかぶさってきた。
 二人の周りで、再びわっと歓声が上がった。


 次にサマンサは父親と、クリフはサマンサの母親と踊った。そしてサマンサの父がクリフの母と踊り、サマンサの母もシビルの夫と踊る。
 さらに女性が少ない牧場のこと。サマンサやシビルはもとより、二人のヘルパー達から五十がらみのミセス・グレイまでもが、ダンスのお相手としてカウボーイ達から引っ張りだこだった。ミセス・グレイは、息子くらいの年齢のカウボーイと元気よく踊りながら、目を回さんばかりになって大声で笑っている。華やかな喧騒は、昼過ぎから夕刻までいつ果てるとも知れず続いた。
 やがてはしゃぎ疲れたマシューが眠気を訴えたので、ランチハウスに戻りベッドに寝かしつけてやる。しばらくして戻ると、クリフが近付いてきて囁いた。
「少し抜け出さないか? マシューは母に頼んでおいたから」
 思わず義母の方を見やる。途端にばっちり目が合った。茶目っ気たっぷりにウィンクしている。
「どこへ行くの?」
 手を取られ、パーティからこっそり連れ出されながら、サマンサは思わず問いかけた。クリフが振り返ってにやっと笑った。
「二人きりになれる所さ。草原の夕日を見に行こう」



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05/01/21 更新

このページを書くにあたりまして、情報・アイディアをご提供くださいましたアメリカ在住の読者様に
心から、感謝申し上げます。
あとがきはBLOGにて……。


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