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 それから、アリシアは急に言葉数が少なくなった。レナードへの態度が素っ気ないのはわかっていたが、自分の心の変化を見透かされたくない一心だった。

「近頃、なんだかよそよそしいな。まるで僕らの関係が振り出しに戻ってしまったようじゃないか。ここに居るのはつまらないかい?」
 ある日、レナードは軽い会釈だけで廊下を通り過ぎようとした彼女に、苛立ったように声をかけた。
「もうロンドンに帰りたいなら、そう言ってくれればいい。送っていくから」

 ロンドンに帰る? 帰ってもいいの? 

 アリシアはさっと振り向くと、鋭く問い返した。
「わたし達がここに来たのは、ロンドンでの危険を避けるためだったわ。それではもう危険はなくなったの? 犯人が捕まったということ?」
 レナードが一瞬言葉に詰まった。それから、笑って彼女の手を優しく取り上げる。
「いや、残念ながらまだだよ、聡明なレディ。ただ、君がひどく退屈そうだから……。ご覧のとおり、ここには娯楽施設など何もないし、僕はパーティを開いて客をもてなすのも苦手なんでね」
 とっくにわかってるわ……。アリシアの唇にも微笑みが浮かんだ。
「別に、そんなことはないわ」
「ならいいんだが……」
 自分を抑えるように口ごもると、レナードは思い直したようにこう提案してきた。
「今から一緒に乗馬でもどうだい? 馬には乗れるんだろう?」
 アリシアの瞳が嬉しそうにきらめいた。実を言えば退屈していたのだ。元来社交的で活動的な彼女は、一日中ピアノを弾いたり刺繍をして満足できるタイプではない。
「ええ、乗れるわ。すぐに支度するから待っていてちょうだい」
 ほっとしたように微笑んで頷いた彼に、にこやかに笑い返すと、準備のため部屋に上がっていった。



 だが、乗馬用の茶色のドレスに着替えて降りてきたとき、家政婦の夫人が急な来客を告げた。
「予定にないぞ。いったい誰だ?」
 アリシアの顔がたちまち仮面をかぶせたように冷やかになる。舌打ちして聞き返したレナードに、家政婦が答えるより早く、軽い足音が聞こえた。アリシアより少し年下に見える若い女性が、彼を見るなり瞳を輝かせて歩み寄ってきた。
「レナード! 三年ぶりだわ。こちらに戻っているのなら、どうして連絡をくださらなかったの?」
「これは……、クレアかい? しばらく見ないうちにずいぶん美しくなったね。元気そうで何よりだ。顔色もいいじゃないか」
 レナードも驚いたように、闖入者に優しく声をかけている。

 ……誰なの?

 アリシアは黙って相手を観察した。美しい金髪とグレーの瞳の華奢でおとなしそうな女性だ。彼女がレナードに夢中なのは一目で見て取れた。
「本当に会いたかったわ。なのに、インドからお手紙一つないんですもの、とても寂しかったのよ。ねぇ、いつわたしをロンドンに連れて行ってくださるの? その日を心待ちにしているのに……」
「君の健康には、この静かな土地でのんびりしているのが一番いいのさ。ロンドンは騒々しすぎる。君の母上もきっとそうお考えだよ」
「でもわたし、もう十九になったのよ。とっくに社交界に出ている歳なのに……」
 哀しそうに呟いた彼女の肩を、レナードが諭すように優しくかかえると、傍のカウチに座らせた。
 二人の会話を聞きながら、アリシアは次第に苛立ちを感じ始めていた。また自分の知らない彼の一面を見せつけられたようで面白くない。
 それに、クレアというこの女性はあからさまに自分を無視し、レナードに甘えてばかりいる。いくら『三年ぶり』でも、自分そっちのけで話しているレナードもいささか気に入らなかった。

「お客様のようね。ではわたし一人で行くわ」
 好きにすればいいわ……。波立つ感情を押し隠すように、出かけようとしたアリシアの背後から、厳しい声が飛んできた。
「待ちたまえ! 出掛ける時は僕も一緒に行く。一人で行ってはいけない!」
 誰に物を言っているつもり? 高飛車な命令にむっとして、彼女も同じように言い返した。
「結構よ! あなたと行くより、馬丁を一人連れて行ったほうがきっとましだわ。その方のお相手をなさればいいでしょう?」
「レナード、この方は……?」
 二人を見比べながら、横から不安そうに彼女が尋ねてくる。

 さっさと紹介しないレナードをじれったく思いながら、アリシアは娘に儀礼的に微笑みかけた。
「はじめまして、クレア。そうお呼びしてかまわないでしょう? わたしはアリシアですわ、どうぞよろしく」
「ロンドンの方ですか? どうしてこの館にいらっしゃるの?」
 心配そうに見上げた彼女に、レナードが表情を曇らせた。ひとつ咳払いして、単刀直入に説明する。
「クレア、こちらはレディ・アリシア、スタンレー侯爵家のご令嬢で……、僕の婚約者(フィアンセ)なんだ」
「うそ……、嘘だわ!」
 途端に、クレアは蒼白になった。見る間にグレーの瞳から涙をぽろぽろと零し始める。
「ひどいわ! わたしじゃだめなの? 子供の頃からずっと、あなたのことだけを思ってきたのよ! いつお帰りになって、結婚を申し込んでくださるかと、ここ数年、それだけを待っていたのに……。ああ、これからどうやって生きていけばいいの?」
「ク、クレア? いきなり何を……?」
 仰天し狼狽するレナードに、クレアがすがり付くようにして泣いている。


 なるほどね……。
 アリシアは、抱き合っている二人から目をそらすと、感情のこもらない声で言った。
「クレアさん、どうぞご心配なさらないで。わたし達は、別に何でもないの。事情があって、少しの間このお屋敷にご招待いただいているだけ。お二人で積もるお話がおありのようだし、わたしは失礼しますわ。どうぞ、ごゆっくり」
 こう言うなり、今度こそレナードの制止も聞かず、屋敷から駆け出すように厩舎に入っていった。



 今のでき事から受けた衝撃は、自分でも意外なほど大きかった。とにかく思いっきり馬を駆けさせたかった。少し一人になって考えて見なくては……。

 ついて行くと言う馬丁を断って借りた雌馬は、乗りやすい性格だった。レディ用の鞍に座り、たづなを取って走らせる。障害の無い広い丘を越え、向こうに見えるぶなの木立まで行ってみようと思った。


 緑の丘は初夏の盛りで、白やピンクの草花が群れをなして咲いている。だが美しい自然を見ても、アリシアの心は少しも晴れなかった。

 あのクレアと言う女性が、レナードを愛しているのは明らかだ……。
 だから? それが何なの?
 どうして、わたしはこんなに動揺しているのだろう?

 馬が草を食べ始めたので、そのまま一人で物思いにふけっていると、はるか向こうから馬に乗った紳士が近付いてくるのが見えた。
 最初はレナードだと思い、嬉しくなった。けれど、馬上の男の姿形が次第にはっきりしてくると、驚きの目を見張ってしまう。
 やって来たのは、乗馬用とは見えない気取ったスーツを着込んだ、またいとこのサイモン・アトキンスだった。


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10/10/13  再掲