NEXTBACKTOPHOME



Page  12


 サイモンは、唖然として眺めているアリシアのすぐ傍で馬から下りると、静かに微笑みながら彼女の前に立った。帽子を脱いで気取った礼をする。

「我が麗しのアリシア。こんな所で会えるとは奇遇だね」
「サ、サイモン? あなたがいったいどうしてここに……?」
「僕も今、下の村の宿に滞在しているのさ」
「ここで何をしているの?」
「それはもちろん……」

 言葉を切った彼の目が、一瞬ぎらりと異様に光ったような気がした。ぎくりとして一歩後ずさる。

「君を迎えに来たに決まっている。この田舎で君がどう過ごしているのか、伯父上がとても心配されていてね。僕に連れて戻るよう、頼まれたのさ」
「お父様が……? 嘘よ、お父様はすべてご存知だし、了承済みよ。そんなこと、なさるはずがないわ。第一、わたしが今ここにいるって、あなたにどうやってわかったの?」
「何、簡単なことだよ。知りたいかい?」

 にやっと笑って、彼は手を伸ばすと、片手でアリシアの顎を無理に持ち上げた。

「あの屋敷のメイドの一人に金を渡して、君のことをずっと見張らせていたんだ。君が一人で屋敷を出たと合図があったから、今がチャンスとばかりに駆けつけたってわけさ。これも君の目を覚まさせたい一心でのことなんだ。わかっておくれ、マイ・スイート」

 騙されるつもりはなかった。レナードと無関係のサイモンが、いきなりこの地に現れただけでも十分異常なのに、その上、言っていることがおかしい。
 もう帰ったほうがよさそうだ。顎にかかった手を払いのけると、馬の方にそろそろと後ずさりしながら言った。

「あなたとお話することなんか、何もないわ。早くロンドンにお戻りなさいな。わたしは館に戻るわ」
「おっと、そうは行かないぞ。あんな退屈な村で、一週間以上もこの時を待っていたんだからな!」

 突然、激昂したように声を荒げたサイモンが、さっとアリシアの前に回り、行く手をふさいでしまった。

「君があの男の誘惑に負けて、ふしだらな真似をしでかさないうちに説得したいと思っていたんだが、もしかすると遅かったかい? この売女め!」
 急にぞっとするほど乱暴な言葉を吐くなり、歯をむき出して見せる。仰天し後ずさるアリシアに、彼はゆがんだ微笑を浮かべ、さらに迫ってきた。
「サイモン……、お願いだから落ち着いてちょうだい。自分が何を言っているか、わかっているの?」
「僕はいたって平静だよ、アリシア。ただありのままを言っているだけさ。社交界の『氷の華』も、一皮むけばただの雌に過ぎないってことをね。ふん、三年も待ってやって大損したよ!」
「何を言うの!?」
 サイモンはまたもやククッと笑うと、懸命に後ずさる彼女をなぶるような目で睨みながら、尚も迫ってきた。
「決まってるじゃないか。君を手に入れるのさ。今、この場で」
「それ以上、わたくしに近寄ることは許しません!」

 恐怖で竦みそうになるのを隠して、アリシアは昂然と顔を上げると、侯爵令嬢の威厳を湛えた厳格な口調で命令した。
 だが、そんな彼女を笑って眺め、彼はなおも歩み寄ってくる。
「君がどう思おうが関係ない。君を僕のものにする。僕がそう決めたんだ。三年前のあの夜にね」

 狂ってるわ……。アリシアは逃げ出そうと、とっさに乗ってきた馬に駆け寄った。
 だが、彼女がたずなに手をかける前に、背後から二発の銃声が響いた。哀れな雌馬は後足で立って一声いななくや、アリシアの傍らにどっと音を立てて倒れ込んだ。臀部と頭部から血を流しながら苦しみにもがいている。

 なんて酷いことを……。
 怒りを感じた次の瞬間、アリシアの目に更なる驚愕と恐怖が浮かんだ。
 まさか……、そんなことって……。
 だが、恐る恐る振り返って、煙を上げた小型拳銃を持ったサイモンを見るなり、疑問は疑いもなく結論へ結びついた。


「あなただったのね? 劇場でレナードを撃ったのは……。それじゃ、あの夜、わたしをさらったのも?」

 にやっと笑った彼が、いやな高笑いをあげた。
「ご名答。逃げたと聞いてびっくりしたよ。どうやったんだい?」
「わたしをあんな所に閉じ込めて、どうするつもりだったの?」
「頃合を見計らって、助け出してやるつもりだった。そうすれば君も、今度こそこっちを向くだろうと……。なのに、あいつが横から出しゃばってきた。あいつさえしゃしゃり出て来なければ、事はもっと簡単に済んだものを!」
「……いったい、何が簡単だと言うのかしら?」

 ひるむなと自分に言い聞かせ、ぞっとする表情で近付いてくるサイモンに冷たく問い返す。とにかく話をさせながら、逃げる機会を窺うことだ。
 だが、彼はそれには答えず、一層嘲笑しながらじりじりと距離を縮めてきた。
「侯爵家の【氷の華】も所詮ただの女だ。なら、僕が相手になってやるよ、アリシア。あんな図体ばかりの大男より、僕の方がずっといいぞ」

 こう言うなり、とうとう獣のように唸り声を上げると、アリシアに掴みかかってきた。草の上に組み伏せられ、大声でレナードを呼んでしまう。ああ、どうしたらいいの? 彼はいないのに……。

 サイモンはアリシアを力づくで抑えつけると、狂った目で見下ろしながら、シルクのブラウスを引き裂き始めた。
 興奮した声が、うわごとのようにしゃべり続けている。
「ここで、今すぐ僕のものになるんだ。そうすれば、君は僕と結婚せざるを得なくなる。君も君の莫大な持参金も、侯爵家の財産も、全てがゆくゆくは僕のものになる。問題はすべて一度に片付くのさ。そしてそれが一族のためだ」
「死んでもいやよ! やめて、サイモン!」
 必死になってもがき、足を蹴り出して暴れた。無我夢中で抵抗する彼女の頬に突然びしっと平手打ちが飛び、同時に首にかかった手に力がこもる。息を呑んだ彼女の首を絞めながら、サイモンがすさまじい形相で見下ろした。
「おとなしくしろ! どうなっても構わないのか?」


 そのときだった。
 丘陵地の彼方から、声の限りにアリシアの名を呼ぶ声とともに、複数の馬の蹄の音が聞こえてきた。ぎくっとしたようにサイモンが顔を上げる。
 数騎の馬が男達を乗せて、急速に近付いているのを見るや、くそっと悪態をついて立ち上がり、彼女の腕を掴んで引きずり起こす。
 霞のかかったアリシアの目にも、先頭のレナードが全速力でこちらに向かってくるのが見えた。



NextBACKTopHome


----------------------------------------------------
10/10/17  再掲