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「ふん、自業自得だな」
 笑いながら、彼はそのまま腕の中にローレルを抱き寄せた。もう知ってしまったそのぬくもりにはあらがえず、彼女も抱擁に身を委ねてしまう。
 今はもう、はっきりとわかっていた。自分はこの人に恋をしているのだ。多分、今感じているこの何とも言えない切ない思いが、小説に出てくる『愛』という感情なのだろう。
 もちろん、彼ほど身分ある貴族が、自分のことなど本気で相手にするはずがない。でもせめて、周りに誰も居ない今この時くらい、この悦びに浸ってもいいのかもしれない。
 彼の方も抑えきれないと云うように、ローレルの揺れる瞳の奥を覗き込み、そのまま唇を求めてきた。誰の目もはばかることなく、深く激しい口付けが始まる。

「ほら、キスの仕方は前に教えただろう。そのかわいい口をもっと開いて……」
 低く促され、ローレルも唇を開いてつたなく受け入れ始めるや、彼の熱がぐっと高まった。情熱的なキスにしばし時が静止し、閉じたまぶたの裏を金色の光が走り抜ける。
 たっぷりと彼女の唇を味わってから、侯爵はやっと満足そうに顔を上げると、まだ彼女を抱き寄せたまま周囲を見回した。

「君は、この森が本当に好きなんだね」
「は、はい……。この森には、わたしの色々な思い出が詰まっているんです。母が亡くなったときも、父のときも……、何かあったときはいつも、ここで過ごしてきましたから。ここは、わたしの愛する父祖よ り引き継いだ、命と同じくらい大切な土地なんです。他の方から見れば、何のことはないただの古い森でしょうけれど」
「いや、わかるような気がするよ。わたしの故郷にとてもよく似ているからね」
「侯爵様の故郷? スコットランドですか?」
「そうだ。緑溢れる岩肌の山々と深い森、そしてそこに立つわたしの城……。君も見てみたいと思わないか?」

 驚いたように目を上げたローレルを見つめながら、そう言った彼自身も驚いていた。
 今まで、自分の城に連れて行きたいと思った女など、誰も居なかった。だがこの女性ならば、あの古い大きな城にもぴったりと合うかもしれない。
 自分の部屋の伝統ある四柱式ベッドに、淡い金髪を乱して裸で横たわり、情熱に煙る瞳を上げた彼女の幻が、ふいに垣間見えた。強烈な欲望が彼自身戸惑いを覚えるほど押し寄せて、彼はローレ ルの弱々しい抵抗もかまわず、再び腕の中にしっかりと抱き締めてしまった。

「ローレル、わたしと一緒に来ないか?」
「えっ?」
「いや、その……」
 驚いたように目を開いた彼女に、彼もはっと我に返った。しばし黙ったまま、少し冷静になろうと深く息を吸い込む。脈拍が異常に速くなり、声まで少し震えているような気がした。

「……実は近々、シルヴィアとロンドンである人物に会う約束になっているんだが……」
「それは、とうとうこの森の買い主が現れたと言うことですの?」
 息を呑んだ彼女を安心させるように、やさしく微笑みかける。
「いや、少し違うな。だが……」
 そこで言葉を切ると、彼は腕の中のローレルをじっと見下ろした。
「そのとき、君も一緒に来るんだ」

 驚きと同時に、その高飛車な言い方にむっとした。彼の腕が緩んだ隙に何とか振りほどこうとしたが、離さないとばかりに一層強く締めつけられてしまう。

「いいえ、わたしは行きません。無理よ。学校もあるし」
「村にはもう、よい女性教師が何人も応募してきているよ。牧師さんが会えば、すぐにでも決まるだろう。君は彼女達から職を奪おうというのかい?」
「そう……ですか。でも、それとこれとはまた別のことだわ」
「君が来れないという本当の理由は何だ?」 
 次第に抵抗する力が抜け、あきらめたように目を閉じると、再び彼の抱擁に身を委ねながら囁いた。
「わたしは、ロンドンには向いていないからです」
「試しても見ないで、どうしてそんなことばかり言う?」
「いいえ、もうとっくにわかっているんです!」
「頑固な人だな。では、イエスと言うまで君にキスし続けることにしようか?」
「なっ!」

 だが、彼はその言葉を実行に移した。ローレルの顔を片手で持ち上げると熱っぽく微笑みかけ、顔中にキスの雨を降らせ始める。
 ああ、やめてと言わなければ……。
 だが、彼は次にそのキスに陶然としている彼女の唇を奪うと、舌を差し入れ一層深く彼女を味わった。今度の甘い侵略がもたらす悦びは先ほど以上に強烈だった。とうとう抵抗の壁が崩され、キスを返し ながら全面降伏してしまう。服の上から胸のふくらみに彼の手がかかった。もどかしげに首筋まで降りてきた彼の唇は甘い軌跡を描きながら、互いの欲望を一層募り始め、ローレルも我知らず、彼の首に 腕を絡ませ、身体を反らせるようにして全身で応えていた。
 日差しと甘い花の香りが、二人の情熱を一層煽るように高めていく。だが、彼の手がドレスのホックにかかったとき、びくっとして身じろぎし た。

「ローレル、君が欲しい……」
 荒い息をつきながら彼が顔をあげた。なめらかな喉にキスされ、ドレスの上から胸のふくらみをまさぐられ、ローレルが身を強張らせた。かすかに拒絶するように彼の肩を押したので、侯爵は失いそうに なっていた自制心を総動員して顔を上げた。
 彼の吐く息も荒く、声は欲望にくぐもって懇願するように響いた。
「ローレル……、シルヴィアと一緒にロンドンに来てくれ。何も怖がることはないよ。君に不快な思いは決してさせないと約束しよう。君はわたしのパートナーとして、周囲の尊敬と崇拝だけを受け取るんだ」
「そんなこと、不可能だわ!」
「いや、君なら必ずできる。もう言い訳は何も聞かないよ」
 黙れとばかりにまた激しく唇が降りてきた。彼女の口から、とうとう小さな呻き声が漏れた。
「わ、わかったわ……わかったから」
 ローレルの喘ぐような降参の声を聞き取った侯爵は、まだ目にくすぶる欲望をちらつかせながらも、顔を上げて微笑んだ。

「では、今日はここまでにしておこう。これで安心してパトリッジ館に戻れる。マイ・スイート、さっそく出発の準備を始めなさい。最低限必要なものだけでいい。時間はそんなにあげられないよ」
 まだ荒い息をついていたローレルは、彼の親しげな呼びかけに思わず頬を染めた。
「君に愛のレッスンをする日が待ちきれないな」
 かわいくてたまらないとばかりに、もう一度キスしてそう囁きかけると、真っ赤になった彼女をからかうように見てから、二頭の馬を引いてきた。二人は連れ立って再び小道を駆け戻っていった。


◇◆◇  ◇◆◇


 わたしも一緒にロンドンに行きたいと、継母に言う……。

 さぞ難しいことだろう。部屋をうろうろ歩き回りながら悩んでいると、ちょうど継母の小間使いが呼びにきたので、気まずい思いで彼女の部屋を訪れる。
 ローレルが傍に立っても、継母はしばらく椅子に座ったままじっとしていた。傍らのテーブルには何枚かの書類や手紙が無造作に広げられたまま載っている。大半はどこかの店の請求書のようだった。
 やがて彼女は怖い顔で継娘を睨みつけると、横柄に顎を突き出して見せた。
「どういうつもりでいるのかしら?」
「何の……ことでしょう?」
「しらばくれないでちょうだい! ジェフリーと随分親密そうじゃないの。いったい、どういうことかしら?」



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14/5/6 更新
簡単なあとがきは、ダイアリーにて。