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 アシュバートン侯爵ジェフリー・マッケインは、その日の午後ようやく館に戻ってくると、ローレルの姿を探した。
 だがどこにも居ない。また村の学校にでも行っているのだろうか。
 だが、そこへ現れたシルヴィアから爆弾のような宣言をされて、呆然としてしまう。

「失礼、今、何と……?」
「ローレルはこの館から出て行きました、と申し上げましたのよ」
 いかにも厄介払いしました、と言わんばかりのシルヴィアの言葉を聞いても、まだ我が耳を疑っていた。
 ローレルが突然館を出た? 何故だ? あれほどロンドンへ行くことさえ嫌がっていたのに……?
 しかも、自分には一言も告げず……?

「それはいつのことです?」
「今朝早くに、ですわ。わたくしも、あなたがご滞在中なのだからと、一生懸命引き止めたのですけれど、どうしても、あなたとこれ以上一緒に居るわけにはいかないと言い張るものですから……」
「……馬鹿な!」
 心に衝撃が渦を巻いて迫ってくるようだった。自分と一緒にいられないと、彼女がこの家を出て行った、だと……?
「そ、それで、いったいどこへ? どこへ行ったんだ?」
 狼狽しながら噛み付くように問いかける。こんな彼を見るのは初めてだった。たちまち、シルヴィアの胸に激しい嫉妬が沸き起こってきた。
 彼が継娘に関心を持っているのはわかっていたけれど、まさかこれほどだったなんて!
 まったく、あんな小娘のどこがいいのよ?

 だが、あえて悲しげな顔で深いため息をつくと、忠告するように彼に摺りよっていく。
「……どうやら、あなたまで、あの子の穢れない天使のような顔にだまされたようですわね」
「どういう意味だ?」
「あの娘にはお気をつけになって、などと、今頃言っても遅いかもしれませんわね。でも、あの娘は穢れなさそうに見えて、誰に似たのか以前から男癖が大層悪い娘ですのよ」
「シルヴィア。そんな根も葉もない話は、彼女への侮辱だ。あなたでも聞き捨てならない」
 刺すような視線で警告する彼に、シルヴィアが毒を含んだ訳知り顔を向ける。
「根も葉もない噂などではございません。わたくしもその場にいたのですから。第一、なぜあの娘が社交界にも出ず、この田舎に引っ込んでいるのか、本人からお聞きにならなかったでしょう? 話せるは ずがありませんものね」
「と言うと……?」
 彼女はさらに侯爵に近づき、内密の話を打ち明けるように、表情を強張ばらせる彼の耳元に赤い唇を寄せた。
「実は……あの娘、社交界にデビューして間もない頃、ロンドンの《コールズビー》で、ある紳士を誘惑して、ひどい騒ぎを起こしておりますの。見つかったときは半裸の姿を人前にさらして……、何をしていたか一目瞭然でしたわ!」
「《コールズビー》だって?」

 それはロンドンを代表する社交クラブの名だったし、彼も何度か出入りしてよく知っていた。だが、その話を聞いた途端、記憶の中におぼろげにあった映像が鮮明に蘇ってきた。

 二年、いや三年前か? まさにその《コールズビー》で、両手で露になった胸元を覆いながら膝を突いて震えていた金髪の若い娘の姿……。

 そして、そのおびえきった美しい娘の顔を覗き込んだときに見えた、珍しい色の瞳も……。

 ローレルを見るたびに、意識の中で何かが動いていたのはそのせいだったのだ! まったく、今の今まで思い出せなかったとは、何と言う間抜けだ!
 だから彼女はロンドンへ行くことをあれほど嫌がったのか。スキャンダルの名残を心配して……。そんな理由だったのか!
 これではっきりした。

 心の中で、もやもやしていたものが一瞬にして今のローレルに結びつくと、彼は居ても立ってもいられなくなった。
「それで、彼女は? どこへ行ったんだ?」
 彼はシルヴィアを揺さぶらんばかりに問い返した。さすがにただ事ではないものを感じ、厚顔な彼女も青ざめてくる。
「で、ですから、行き先はわからないと……。でも別に、あの娘がいなくても障りなど何もないでしょう?」
 急に彼女から手を離すと、ぴしりと音を立てて手にしていた皮の手袋をテーブルに叩きつけた。そのまま無言でドアに向かう彼に驚き、「待って、ジェフリー!」と、シルヴィアが必死になって追いすがる。
「どこへお行きになるつもり?」
「あなたには関係ないことだ。わたしはこれで失礼する」
「ま、まさか、あの子を追いかけるおつもり? 見つけられっこないわ。あなた、どうかしているわよ。あんな持参金もない小娘のどこがいいの? 狂ってるわ!」
「……かもしれない。恋は盲目、とはよく言ったものだ」
 その言葉にいよいよ真っ青になった未亡人は、一歩下がると侯爵に意地悪く言い返した。

「それはお生憎でしたわね。あの娘、すぐにも婚約するのよ。あなたがその邪魔をする権利はないわ。あの子の叔母が、もう手はずを整えているはずだもの!」
「なるほど……。行き先は、叔母上……フイッツロイ夫人がご存知という訳だ。では、まずはそこから当たるとしよう。ホッジズ!」
 廊下に出て大声で従者を呼んだ彼を見て、ぐっと言葉に詰まったシルヴィアを、彼は冷酷な目つきで振り返った。
「その時は、わたしが君達を破滅させてやる。土地の買い手など未来永劫現れないから、覚悟して今後の身の振り方でも考えておくんだな。ホッジズ、急げ! 今すぐロンドンへ戻るぞ」
「ジェフリー! そんな……お願いよ、至急払わなければならない請求書が……。待ってちょうだい! 入会地保存協会とのお話は今更反故にできないはずよ、どうなさるの?」
「君達がどうなろうが、わたしの知ったことではない!」
「ジェフリー、お願い! 待ってちょうだい!」
 金切り声を上げて追いすがろうとしたシルヴィアを冷たく突き放すと、それ以上目もくれず、すぐさま今まで使っていた部屋に戻り、残っていた身の回りの品をトランクに放り込み始めた。


「旦那様、お嬢様付きのメイドが来ておりますが……」
「何だと……?」
 主人の剣幕に恐れをなしたように、ホッジズが恐る恐る部屋をノックしたので、乱暴にドアを開いた。従僕の背後に、確かに彼女付きのメイドが立っている。
  思いつめた顔でおずおずと差し出された包みを受け取り、彼は直接問いかけた。

「教えてくれ。彼女はどこに行ったんだ?」
「あたしにもわかりません。ただ……、お嬢様はずっと泣いておいででした、あなた様のせいです!」
「……それは誤解だ。会えばすぐ解ける。もう行きなさい!」

 使用人からまでいきなり断罪されて、内心ますます腹立ちが募った。そのままドアを閉めると、すぐさま渡された包みを開いてみる。
 中から、先日彼女に与えたドレスと宝石類が、そっくりそのまま出てきて衝撃を受けた。そして、さらに……。

「これは、何だ……?」
 きれいに漂白されて糊付けされていたが、かすかに茶色くしみの残る白いハンカチ。そして昔着ていた覚えのあるイブニングジャケットだった。
 震える手で内ポケットの縫い取りを確認する。それは確かにあの数年前の夜、クラブ・コールズビーでかの乙女に与えたジャケットとハンカチだった。
 それでは、彼女は覚えていたのか、自分のことを……。
 彼は思わずその二枚をぐっと掴みしめた。わが鈍さを呪いたくなってくる。


 もはや、当初の訪問目的だったブルーベルの森のことも、この家の借金も保存協会の依頼も、何もかも頭から消し飛んでしまっていた。
 今の彼の意識にあるのはただひとつ、あのブルーベルの妖精を、一刻も早くこの手で捕まえてしまわなければ、という切羽詰った激しい思いだけだった。

 途中までできていた帰り支度を終えるのに、さほど時間はかからなかった。
 放心したように、まだ玄関ポーチに立ち尽くしていたシルヴィアに軽く帽子を上げて見せると、ジェフリーは決然とパトリッジ館を後にした。




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patipati
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14/5/15 更新
簡単なあとがきは、ダイアリーにて。