NEXTBACK



Page  14


「レディ・フィッツロイ、突然の訪問をお許しください」
 ロンドンに戻ったアシュバートン侯爵は、その翌日すぐ様フィッツロイ伯爵邸を訪問した。伯爵夫人とはもちろん社交界で顔見知りだったが、これまであまり付き合う機会はなかった。それでも、シルヴィア と知り合った折、フイッツロイ家と縁続きだと得意げに聞かされていたから、迷う必要はなかった。

「これはアシュバートン侯爵、ごきげんよろしゅう。ようこそお越しくださいました。まずはお茶を。こちら、アッサムから取り寄せましたのよ」
 サロンに出てきた夫人は、愛想よく微笑みながら給仕に指図し、手ずからカップにお茶をついで差し出した。
「この前ご一緒したのは確か、ケンジントン・ガーデンでの野外パーティの折でしたわね。あの日の朗読は……」
 品よく飾られた白髪交じりの金髪と上品なブルーグレーのドレスを見ながら、侯爵は長くなりそうな前置きを遮ると、いきなり本題を切り出した。
「実は、今日はあなたの姪御さん、ミス・ローレル・パトリッジにお会いしたいと思いお訪ねしたのです。彼女は今、こちらでは?」
「まぁ、あの子に会いにわざわざおいでくださったんですの? それは……残念でしたわね」

 さも驚いたとばかりに声を上げてから考え込むような目つきになった。夫人からローレルの行き先を聞き出すのは、思ったより骨が折れた。侯爵の意図を押し測ろうとするように、のらりくらりと話題を変 えながら、逆に色々と質問してくる。そのたびに苛立つのをこらえて、いつまでも終わらないような一族の系譜の話に延々と付き合った末、ようやく核心に触れることができた。

「ボーモント伯爵未亡人のコンパニオンだって? では彼女は今、セットフォードにいるのですか?」
「ええ、表向きはね。ですがあなた、それはあくまでも表向きのことだと伺っております。ようやくボーモント伯爵があの子のよさに目を留められて、本気になってくださったようで、わたくし達、とても期待しておりますのよ」
 ジェフリーは密かに歯噛みした。では、ボーモントがローレルに求婚を?
 それも、よりによってセットフォードだと? あんな辺鄙な場所までよくも……。
 何かを罵倒したいような怒りに駆られたが、ぐっと抑えてあくまで紳士的に夫人に一礼すると、立ち上がった。
「レディ・フイッツロイ。ミス・パトリッジの求婚者として、でしたら、わたしも是非とも名乗りを上げさせていただきたいと思います。それでは急ぎますので、失礼」
「まぁ、あなた、ちょっとお待ちになって」

 驚いたように引きとめる伯爵夫人に、失礼にならないようにその場を辞すと、その日のうちに旅支度もそこそこに出発した。宿場で馬車の馬を換えながら走り通せば、明後日には辿り着けるだろう。


◇◆◇  ◇◆◇


「まったく、お茶も満足に淹れられないなんてねぇ。今時のコンパニオンは、いったいどういう教育を受けてきたんだろうね」
「……すぐに淹れ直しますわ」
「もう飲みたくなくなったから、結構ですよ。なんならピアノでも弾いてもらおうかね」
「は、はい」
 ピアノなど、もうずいぶん長い間触れていなかったし、もともと名手というわけでもない。だが、雇い主の言葉にローレルは、やむなくサロンのピアノを開くと、適当に楽譜を取り上げて弾き始めた。だがやはり指が相当鈍っている。案の定、老未亡人は途中で不機嫌に演奏をさえぎってしまった。
「おやめ、おやめったら! そんなモーツァルトがあるものかね」

 思わず溜息が出そうになった。ここに来てからまだ数日のはずだが、もう何週間も過ぎたような気がする。そして、気難しい老婦人からは、いまだに文句ばかり言われていた。
 夜には疲れ果ててベッドに入るだけだった。おかげでぐっすり眠れるのはよかったが、働くということは、これほど気疲れするものか、と思っていた。しかし、ここでくじけて家に戻ることもできない。

「母上、それにミス・パトリッジもごきげんよう。二年ぶりですかな?」
 そこへ彼女の息子であるボーモント伯爵が、帽子を上げながら入ってきた。気取ったその声を聞き、二年前をまざまざと思い出した。だが、おかげで老婦人の愚痴は途絶えたので心底ほっとし、思わず伯爵に飛び切りの笑顔を向けたほどだ。
 この伯爵の姿を見て嬉しいと思う日が来るとは、夢にも思わなかった。

 息子の出現で、ご機嫌はかなり良くなったようだった。それから、がっしりした体格のメイドの手で淹れ直されたお茶に、パイとクリームが出され、午後のティータイムとなった。気詰まりな会話がやっと終わると、一時、休養をとるために未亡人は寝室へ向かう。コンパニオンにとって、ほっと一息つける時間だった。

 そこへ、ボーモント伯爵がやってきて、顔をしかめるような笑顔で誘いかけてきた。
「お元気そうで何よりです。それにしても、また美しくなられましたね」
「ありがとうございます」
 見え透いたお世辞に膝を折ってお辞儀を返すと、彼はきどった笑みを浮かべ、手を差し出してきた。
「母の相手はなかなか骨が折れるでしょう? 最近また気難しくなったようだ。少し一緒に歩きませんか。我が家の庭を、もうご案内しましたか?」
 かつてよりやや痩せたものの、依然として太り気味の伯爵はそう言うと、エスコートするようにローレルの手を取ろうとした。だが、彼女は控えめに微笑み返して首を振ると、「わたくし、今ではただの使用人ですわ」と言って、少し後ろから距離をとって歩き出した。


 初夏を迎えたマナーハウスは、庭師が造りこんだオランダ風のガーデンに美しい白い花々が咲き乱れ、とても美しかった。今ここで、あの方と一緒なら、どんなに楽しいだろう。
 ふとまた侯爵が恋しくなるのを抑え、ローレルはボーモント伯爵が突然話し始めた近況を、半ば上の空で聞いていた。
 彼が振り向き、彼女を上から下まで無遠慮に眺め下ろした。その日はフイッツロイの叔母から新しく買い与えられた、胸元にシャーリングを寄せたサテンの軽やかなドレスを着ていたが、それがお気に召したようだ。何度もうなずきながら目を細めている。

「あなたが、母のためにおいでくださったと聞き、どれほど嬉しかったかわかりますか? あなたには是非またお目にかかりたいと思っていたのですが、こんなに遅くなってしまいました。しかし、わたしも、貴族院に席のある身で、いろいろと忙しかったのでね」
「まぁ、恐れ入りますわ」 

 だったら、わざわざ様子を見に来なくてもいいのに、などと思いながら儀礼的に微笑み返すと、彼は突然、両手で彼女の手を包み込むように握り締めてきた。
 ぎょっとして振り解こうとしたが、一層がっちりと握りこまれて、呆気に取られる。伯爵の声がさらに熱を帯びた。

「あなたは本当にお美しくなられた。あの初めてお会いした頃よりも遥かに! 今や咲き誇るこの花のようです」
 そう言うと、急に思い付いたように片手で傍らの白い花を一本手折り、彼女の前に不器用に差し出した。
「あ、あの……」
「お取りなさい、遠慮は要りません」

 さらに今度はローレルの肩に手を伸ばしてきたので、嫌な予感が膨らんだ。身をこわばらせるが、彼は尚も近付き、まるで抱擁するように抱き寄せられてしまった。ますます強張った彼女に、自己満足的に微笑みかけながら、続ける。

「あなたについては、かつて不名誉な噂も流れた。だが、それでもわたしは、あなたをずっと忘れられなかったのですよ。今、こうしてあなたのひと時の不実さえも許し、もう一度お招きしたわたしの愛情深さと寛大さに、さぞや感謝しているでしょうね?」
 まるで今にもローレルが足元にひざまずいてキスすることを期待する、と言わんばかりの態度に、呆れてしまった。生憎と、そんなつもりは昔も今もさらさらない。
「いいえ、わたくし……、もちろんそんなつもりは……」

「もちろん、そんなことは絶対にあり得ません! 彼女は既にわたしと婚約しているのですから」

 そのとき二人の背後から、尊大な懐かしい声がローレルの言葉を引き取るように響いてきたので、息が止まりそうになった。




NEXTBACKTOPHOME

patipati
-------------------------------------------------
14/5/20 更新