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 今では馴染みになった、その傲慢不遜な声音には、陳腐な恋敵への侮蔑と嘲笑があからさまにこもっている。
 ま、まさかそんな……。だが彼女が何か言うより早く、ボーモント伯爵が怒りに顔を赤らめながら振り向いた。気付かぬ間にそこに立っていた堂々たる侵入者を見て、驚きの声を上げた。

「君は……アシュバートン? どうしてここに……?」
「ごきげんよう、ボーモント伯爵。本日は、我が婚約者を迎えに参りました。何、お気遣いは無用です。彼女を引き取ったらすぐに出て行きますのでね」
 唇の端をわずかにあげて冷たく微笑むと、彼はつかつかと近付いてきて、驚きのあまり動くこともできずにいたローレルの身体を、ボーモント伯爵の腕から引き離した。彼女の震える手から、大きな白い花がぽとりと落ちる。

 わたし、もしかしたら、途方もない夢でも見ているのかしら? こんなこと、あり得ないわ……。

 そう思いながら恐る恐る侯爵を見ると、冷たい怒りと、他に何か訳のわからない激情の入り混じった皮肉な目でじろりと見据えられた。思わず視線をそらしてしまう。

「では、ボーモント君、失礼」
 呆気に取られている伯爵に捨て台詞のように言い置くと、侯爵はそのまま彼女を連れて立ち去ろうとした。だが、我に返ったように伯爵が慌てて二人の前に回って食って掛かる。
「おい、待て! 何だって? この人が君と婚約? そんな話はついぞ聞いたことがないぞ! レディ・パトリッジだって、レディ・フイッツロイだって、そんなことは一言も言っていなかった!」
「パトリッジ男爵やレディ・パトリッジにはまだ伝えていなかったからやむを得ないだろうが、こうしてここまではるばる迎えに来たことを考えれば、君にもわかってもらえるだろう? そちらこそ、大切な我が花嫁を脇からさらうような真似をされるつもりなら、アシュバートン家の名誉にかけて応ずる他なくなりますな。 ボーモント君、ここはおとなしく引き下がるか、それとも何か他の手段に訴えたいとでも? 彼女のためなら、どんな手段もやぶさかではないがね?」
「い、いや……、神に誓って知らなかったんだ。そ、そういうことなら……」
 伯爵がひるんだので、彼は冷たい微笑で応えた。
「では、これで失礼しますよ。重なる非礼をお許しいただきたい。あと、よろしければ彼女の荷物は伯母上のフイッツロイ伯爵邸に送っておいてくれたまえ」


 そのままローレルを引っ張って庭先に留められていた馬に歩み寄ると、彼女を促し鞍に押し上げてしまった。まだ呆然と立っているボーモント伯爵を残し、侯爵はそのままローレルの後ろに跨ると馬を駆けさせ始めた。
 ローレルはと言えば、馬のたずなにしがみついているのが精一杯だった。混乱した頭で今の状況を考えようとするが、何がどうなっているのかさっぱり理解できない。
 今、感じているのはただ、自分の背中をぴったりと包み込むように覆っている彼の乗馬服とその下のたくましく熱い身体だけだった。



 二人とも無言のまま、街道をしばらく夢中で駆け続けると、やがて小さな民家の集落が見えてきた。その中にあった、こじんまりとした宿の庭先で馬を止め、侯爵はローレルを乱暴とも言える手つきで鞍から引っ張り下ろした。

「ここは……、いったいどこなんです?」
 全身ぼろぼろになった気分でやっと地面に降りて、困惑しきった顔で彼を見上げると、彼はまだ激しい怒りのくすぶった目で彼女を睨み、ぶっきらぼうに応えるというより唸った。

「別にどこでも構わないだろう? この宿にわたしの馬車と荷物が預けてある。馬が疲れているから、ひとまず休ませなければ」
「あなたが心配しているのは馬のことだけですか? わたしはどうすればいいんです? こんな、こんな無茶苦茶なことをなさる権利、あなたにはないはずで……」
「戻ったぞ! 女将!」

 かっとなって彼の前に進み出て問い詰めようとしたローレルを、いつになく高飛車にさえぎると、侯爵は館の入り口から顔を出していた背中の曲がった老婦人に叫ぶように声をかけた。
「一番いい部屋を頼む。あと夕刻にはたっぷりの食事を。それから、この馬の世話もだ!」
「へぇ、お帰りなさいまし、貴族の旦那様」
 たっぷりと前金を受け取りながら、女将はうれしそうに歯の欠けた顔で笑った。
「やけにお急ぎだと思ったら、この別嬪さんと駆け落ちの最中でしたかねぇ?」

 にやにや笑いながらそんなことを問うので、ローレルはびっくり仰天した。だが侯爵は苦虫を噛み潰したような顔で、「まぁ、似たようなものだな」と答えると、ローレルをじろりと見て、やおら両腕に抱き上げてしまった。

「なっ、何をなさるんですか? 降ろして!」
「ふん、その顔では、素直におとなしく付いてきたりしないだろうからな」

 皮肉に呟くと、抗議の叫び声をあげているローレルを抱えたまま、案内する女将について宿の敷居をまたぎ、ずんずんと狭い木の階段を上り始める。何とか床に足をつけようともがきながら、顔を真っ赤にして食って掛かるが、彼はびくともしない。
「何を考えておいでなんですか? こんなのは嫌です、早く降ろしてください!」
「あまりうるさいと、周りに迷惑がかかるな」
 だが侯爵は渋い顔でつぶやくと、口答えする彼女の口をすばやく唇でふさいでしまった。先に立つ女将が素知らぬ顔で開いたドアから部屋に入ると、そのまま置かれたベッドにまっすぐに向かっていく。
「ごゆっくりどうぞ。お食事は頃合を見て、たっぷりとお届けしますわい」
 笑いを帯びたしわがれ声とともに部屋のドアが閉まり、ほぼ同時に、ローレルの身体は簡素だが清潔なリネンのシーツのかかった寝台に、どさりと投げ出されていた。

「……!」
 怒りと恥ずかしさで首まで真っ赤にしながら、必死になって彼を睨みつけ、肘で体を起こすと反対側から床に降りようとしてみた。
 だが、侯爵の動きはさらに素早かった。気が付くと、のしかかってきた彼に、ベッドに両手両膝で押し付けられて身動きすらできなくなっている。力ずくでのしかかられた上、握りつぶさんばかりに押さえつけられて、手首がじんじんと痛み始めた。
「い、痛いわ、離して……」

 懇願の声も、すさまじい男の怒りの前には無力だった。はぁはぁと互いの荒い息遣いがふいごのように響く。暗い決意のこもった眼に見つめられ、次の瞬間、ローレルの唇は荒々しく奪われていた。


 そのまま、呻きも痛みに喘ぐ声も一切を呑み尽くすような、激しい口付けが続いた。熱い唇がぬれた軌跡をつけながら、そらしたローレルの喉を這い、開いた胸元にまで降りてくると、ローレルの口からも、たまらず熱い吐息がこぼれた。このまま、男女の一線を越えてしまうのだろうか。
 でも、もうどうなってもかまわないとさえ思えた。今感じているのは、彼の切羽詰まった激しくたぎるような情熱と欲望だけだった。欲望を掻き立てるように動く彼の唇に刺激され、ローレルの中にも、かつて感じたことすらなかった奔放な情熱が解き放たれる。頭の隅で、絶望的な暗い声が囁いた。

 きっと……、わたしに与えられた時間は、今この時だけなんだわ。
 それなら、いっそ……。

 内から沸き出るその思いの激しさに、とうとう理性が屈服してしまった。唇から囁くような吐息を漏らすと、彼の乱れた黒髪に指を差し入れ、まるで愛撫をせがむようにかき抱いていた。


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14/5/23 更新