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 得意そうなシルヴィアを見返しながら、ローレルは衝撃と怒りで、すぐには何も言えないほどだった。
 ようやく漏れた震え声に、継母は少し眉を上げたが、別に悪びれた様子はない。
「あら、そんなにいけないこと? あんな森、あっても何の役にも立たないじゃないの。裕福なジェントリのどなたかが土地を買って、別荘でも建てるんでしょうよ」
「でしたら、別の土地を探していただいて。第一、どうしてこんなに無茶なお金の使い方を?」
 経済観念がなさすぎる二人に対する怒りを抑えるのは難しかった。だが、継母はいかにも心外だとばかりに小首をかしげて見せる。
「タウンハウスには、お客様がしょっちゅうお見えになるのに、古くさい家具やひびの入った壁ではみっともないでしょう。ドレスだって、同じものばかり着て夜会に出られないし」
「だからと言って!」
「申し訳ないとは思うわ。ああ、あの人が生きていらっしゃれば、きっと何とかしてくださったのにねぇ。とにかく返済は急務なのよ」
「では、あなたのご実家にご相談なさればいいでしょう! こちらに持ち込まないで!」
「誰に向かってそんな口を利いているの?」
 娘をなだめるのに失敗したとわかると、継母はあからさまに高圧的な口調に戻った。
「爵位と財産を相続したのはラッセルで、あなたではないのよ。これはお兄様のご指示でもあるんですからね」
「そんな……」
「いいこと? お客様への態度は特に気をつけてちょうだい。ドレスもまともなものがないなら、いっそ出てこないで! あなたのせいで、わたしまで物笑いの種になるのはごめんですからね! わかったら行きなさい!」
 顎をしゃくられるまでもない。きびすを返して継母の部屋を出たローレルは、階段を駆け下りながら衝撃のあまり頭が真っ白になっていた。

 この土地を……、わたしの大切な森を売るなんて!

 そのまま外へ駆け出すと、馬房に行き、驚く馬丁に何も言わずに愛馬を引き出し、森へ向かって駆け出した。馬で走りながら、心の中で叫び声を上げる。
 信じられないわ! わたしには一言の相談もなく!

 お兄様もお兄様だ。当主になっても相変わらず、面倒事や考えるのが大嫌いだから、継母にうまく言いくるめられているのだろう。
 ああ、お父様、どうしてあんな人と再婚なさったの?

 今さら嘆いてもどうすることもできないが、今度ばかりは涙が溢れてくる。

◇◆◇  ◇◆◇

 派手好きで美しいシルヴィアは、ある商家の娘だった。
 持ち前の美貌を武器に社交界に出て、観劇でローレルの父、パトリッジ男爵と出会ったらしい。やもめ貴族で人が良かった父など、格好の獲物だったに違いない。そもそも男爵とシルヴィアは、倍近く歳が離れていた。そして、ローレルがまだ十五歳で寄宿学校に居た時に、訪ねてきた父から電撃的に再婚の知らせを聞かされたのだった。
 だが、初めて会ったときから、シルヴィアには好感が持てなかった。年齢的にも二人は母娘というより歳の離れた姉妹に近い。さらに性格の違いと趣味の違いが、二人の間に乗り越え難い壁のようにそびえ立っていた。
 それでも父の存命中は、シルヴィアも少なくとも父の前では、ローレルのことを気遣う振りをしていたし、よき継母役を演じていた。
 兄のラッセルに至っては、性格もなかなか合うようで、かなり親身にさえなっていた。ローレルは、自分一人だけ蚊帳の外に置かれたような寂しさを感じていたが、継母には品の良い無関心を通していた。

 その中で、あの事件が起こった。ローレルが十八歳になった社交シーズンのことだった。

 衰えが見え始めた父のためにも、と、継母が叔母と共に彼女を飾り立てて連れて行ったのは、華やかなロンドン社交クラブのダンスパーティだった。
 それは上流社会の年頃の娘なら誰もが夢見る社交界デビューだったが、文字通り、結婚相手探しのパーティでもあった。ローレルが連れられて行った先には、立派なドレスコートを身に着けた小太りの紳士が待っていた。
 訳のわからないローレルをよそに、その紳士の前で継母達はにこやかに笑顔を振りまき始める。
「ローレル、こちらはボーモント伯爵様ですよ」
 ローレルの顔に浮かんだ拒絶反応も、二人のレディに黙殺されてしまう。
「はじめまして、ミス・パトリッジ。これはお話にたがわぬ美しさだ」
 微笑むと葉巻の脂で黒ずんだらしい歯が見えて、さらにぞくっとした。手に口付けようとするのを拒み、言葉もなく後ずさりかけた彼女に、継母のきつい目が光る。
「伯爵様に無礼な態度は許しません。さ、ダンスをご一緒してらっしゃい」
 しぶしぶ踊り始めたものの、彼女のファーストダンスは楽しむどころではなかった。なるべく身体を離したまま、硬直した棒切れのように踊った。実際、気持の悪い目で嘗め回すように見られ、逃げ出したいのを堪えるのが精一杯だ。

 曲が終わるや、ローレルは教えられたしきたりも忘れ、急いで継母を探しに行った。
「お継母様、お断りさせてください」
「まぁ、何を言い出すの」
 継母の目がじろりとローレルを睨んだ。
「あの方は名門の伯爵様なのよ。お年もまだ三十過ぎでちょうどいいわ。自分の立場をわきまえていたら、そんなことは決して言えないはずね」
 その顔には早く厄介払いしたい魂胆がありありと浮かんでいた。もう自分で何とかするしかない。そう思った彼女は、次に誘われたとき、果敢に断ってしまった。相手は立腹したようにねちねちと皮肉な言葉を浴びせると、行ってしまった。

 だが、ほっとしたのも束の間、思いの他気に入られてしまったらしい。
 それからタウンハウスを訪れてまで誘われるようになり、断ろうとするたび、継母から鞭まで持ち出されて、無理やり付き合わされる有様だった。
 ああ、どうしたらいいの? このままでは、本当に結婚させられてしまうわ。

   ボーモント伯爵から逃れたい一心で、ローレルはあるパーティで近づいてきたどこかの紳士の誘いを受けた。
 ダンスしながら切羽詰った話を聞いてくれた彼は、嫌いな相手から逃げたいなら、いい方法があるよ、と、ローレルをそっと隣の小部屋に連れて行った。ドアがかちりと音を立てて閉まり、突然彼と二人きりになったことに気付く。
「ど、どうするんです?」
「そんなこと、決まってるだろう?」

 不安そうに問いかけたローレルに、にやりと不敵な笑みを見せると、突然抱き締めてくる。
 ぎょっとして抵抗し始めた彼女の思いをよそに、背中のボタンが数個はずされ、もともと襟ぐりが大きく開いたデザインだったから乳房が見えそうになった。胸元に手が伸びてきて、まだ固いつぼみに触れられたので心底ぞっとする。
「嫌っ、やめて! 誰か! 誰か来て!」
「大きな声を出すんじゃない。こんな所を見られたら、どっちみち終わりだぞ。それより俺とちょっと楽しもうよ」
「嫌だったら!」
 もう無我夢中だった。キスされかけた唇に噛み付くと、うおっ、と大声を上げてのけぞったので、露になった胸元をボディスと手で押さえながら、必死にドアノブに手を伸ばす。
「この女っ」
 刹那、紳士の手が肩に掛かり、どうやら引っ叩かれたらしい。頬に焼けるような痛みがあり、よろめいて傍に置いてあったテーブルの角で額を打ち付けた。
 その時、騒ぎが聞こえたように外からドアが開き、二人は呆気にとられる数人の客達の好奇の目にさらされる羽目になった。
 男は「ちっ」と舌打ちすると、「誘ってきたのはそっちなんだ。とんだあばずれですよ」などと捨て台詞を残し、腫れかけた唇を押さえながらさっさと出て行ってしまう。
 一人残されたローレルは、乱れた無残なドレス姿のまま呆然と床にへたり込んでいた。頭がずきずきする。こめかみに手をやると、指に血が付いた。

「どうしました?」

 ふいに、驚きの声とともに人垣を分けて、長身の紳士が目の前に立った。


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14/3/27 更新