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「誤解だって? では、我が奥方には是非ともその証を立ててもらいたいものだな」

 彼の手が伸びてきて、その場で前を留めていた飾り紐を引きちぎるようにして、レースのナイトガウンが肌蹴られた。露になった柔らかな乳房に飢えたような口が近付いてきて、熟した果実のような先端をむさぼるように弄び始める。
 否応なく快感を引き出され、目をぎゅっと閉じてしまった。同時に頑なに閉じていた脚の付け根の最も敏感な部分をこじ開けるようにして、指が二本潜り込んでくると、一層甘い攻撃を加え始める。がっちりつかまれた腕の中で身もだえしすすり泣きながら、その執拗な攻撃にもう限界だと感じたとき、腕に荷物のように抱えあげられて傍の天蓋つきのベッドに投げ出された。

「ジェフリー……、ねぇ、どうしてなの? お願いです、こんなのは嫌です! やめて……」

 引きつった声で懇願する妻の声も、酒と欲望に猛り立った男の耳には届かないようだった。そのまま力任せに組み敷かれ、身体中を執拗に愛撫されるうち、全身の感覚が嫌が上にも高められていく。猛り立った彼自身を露にし、まるで蹂躙するように彼女の中に押し入ってきた彼を必死になって受け止めると、そのまま彼が満足して果てるまで、幾度も幾度も荒々しく貫かれるに任せる他なかった。
 狂おしい夜がゆっくりと過ぎていく。ローレルはただ、夫の体を全身で包み込むように抱き締めながら、精一杯の愛を伝えようとしていた。


 翌朝、目覚めてみるとベッドに一人きりだった。昨日乱暴につかまれたところに数箇所、またあざができている。
 侍女を呼ばずに何とか一人で部屋着のドレスをまとうと、ゆっくりと階下に降りていった。執事が気遣わしげに声をかけてきた。聞けば、夫は早朝から出かけたという。

「しばらくの間、お戻りにはなれない、とのことでございました」
「旦那様はどこに行かれたの?」
「グラスゴーでございます」
 そう、わたしには何も言わないでスコットランドに行ってしまったのね……。
 何も……言わないで?
 昨夜、すべてが終わった後、のろのろと体を起こした彼が、捨て鉢になったようにつぶやいた言葉がよみがえってきた。途端に恐怖に胸が締め付けられる。

『もういい。君はバーミングシャーに帰るんだ!』

 ああ、わたし達の結婚はこんなにもあっけなく、もう終わってしまうのだろうか……。
 だが、夫からそう命じられたのなら、自分に選択の余地などあるはずもない。

「わかりました。ではわたしもバーミングシャーに参りますので、馬車の支度をお願いできますか?」
 無理をして何とか震える唇に笑みを作り執事を見返した。泣いてしまいそうだ。でも駄目、今はまだ泣いてはいけない。侯爵夫人としての精一杯のプライドがある。
「奥様……」
 執事も何ともいえない顔で言葉を濁していたが、やがて事務的な態度に戻るとこう告げた。
「かしこまりました。旦那様からもそのように仰せつかっております」
 普段無表情な執事もこのときばかりはひどく悲しそうな表情だった。主人に忠実なこの執事を好きになっていたローレルも、寂しさを覚えたが、それ以上何も言わず毅然と階段に向かった。
「まずはお食事を部屋にお運びいたしましょうか?」という家政婦のおずおずとした声に、疲れ切った気分で頷くと、ローレルはまっすぐに自室に戻った。
 食事の盆が置かれ、再びドアが閉まった。やっと一人になれた。ほっとした途端、涙が後から後から滝のように流れ始める。
 そのまま、しばらくベッドに身を投げ出して泣きじゃくっていた。


◇◆◇  ◇◆◇


「何だお前、まさかもう侯爵から暇を出されたわけじゃあるまいね? 出戻りは困るぞ。またシルヴィアが、何やらたくさん買い込んでいるし……」

 突然パトリッジ館に帰ってきたローレルを、兄のラッセルが眉をひそめて迎えた。聞けば、結婚式以来会っていなかったシルヴィアは、継娘が侯爵と結婚してめでたく借金が消えてから、また安心したように社交三昧の日々を送っていると言う。
 あっけに取られて兄を見た。
「わたしは何も知らないわ、どういうこと?」
「だからさ、シルヴィアの買い物の請求書が、今でも侯爵閣下に回ってるんじゃないのかってこと。僕に回されても絶対に払えないからね」
「お兄様、それ本当なの?」
 思わず青くなって兄に詰め寄った。そんなこと、夫は一言も言っていなかった。妹の剣幕にたじろいだようにラッセルが口ごもっている。
「いや、前にシルヴィアから、ちらっとそう聞いたんだがね。僕も詳しいことは知らないし……」
「とにかく、今すぐに浪費をやめるよう、お継母様に伝えてちょうだい! いいえ、わたしが直に言うわ。でないと、このお屋敷もなくなってしまうと侯爵様がおっしゃっていたわよ」
「わ、わかった、わかったよ。お前、やっぱり侯爵夫人なんだな。少し会わないうちにすっかり威厳がついたみたいだぞ」
 もう考える気力も出ないまま、ローレルは精一杯の嫌味をこめて答えた。
「そうかもしれないわね。でもお兄様にもお継母様にも、今後はご自分で何とかしていただくしかなさそうよ。ご期待に添えなくて申し訳ありませんでしたけど」

 半年前まで自分が使っていた部屋は、まだそのまま残っていた。 懐かしい部屋で独りきりになるや、どっと疲れが襲ってきた。力が抜けて、いつもの椅子にぐったりと座り込んでしまう。
 シルヴィアがまだそんな真似をしていたのかと思うと、腹が立って涙が出る。そんな事情があったのなら尚のこと、夫が自分に嫌気が差して、帰されたのも無理はない。
 窓からはいつもと変わらぬブルーベルの森が見えた。夫が兄から買い取ってくれたおかげで、今ではすっかり自分の森になっている。
 ひどく懐かしい気がした。とにかく、あの森だけはこの手に残ったのね。でも……、それなら、わたしはどうすればいいのだろう。

 これから冬の間は、森も大地も一切が眠りにつく。とりあえず動く気力が戻ってくるまで、わたしもぐっすりと眠ろう。そして、するべきことを一つ一つ考えてみなければ……。


◇◆◇  ◇◆◇


 春のロンドン・シーズンの幕開けと共に、アシュバートン侯爵もやっとロンドンの邸に戻ってきた。そこにもう妻が居ないことはわかっていたが、それを確認したくなくて、ぐずぐずとスコットランド滞在を長引かせていたような気がする。

「本日のお手紙をお持ちいたしました」
 五月になると、 夫婦同伴のパーティへの招待状もたちまち増える。その日届いた手紙を銀のプレートに載せて、主人の書斎をノックした執事に、「入れ」と不機嫌な侯爵の声が応えた。
 ロンドンに戻った後も、いつになく口数が少なく、書斎に閉じこもってばかりいる。

「旦那様、最近はよくお休みになれますか?」
「別にいつもと変わらないが。何故だ?」
「その……、少々お顔の色がお悪いようですので……。社交シーズンも始まりましたし、そろそろバーミングシャーに奥様をお迎えに行かれましては……」
 無造作に手紙を受け取った主人に、執事はとうとう遠慮がちに声をかけた。だが、余計なことを言うな、とばかりに殺気立った目で睨みつけられただけだった。

 ふん、それができるなら、とっくにそうしているさ。
 彼女が喜んで、ここに戻ってきてくれるなら……。

 執事が出て行くや、彼はうんざりしたように目の前に置かれた招待状の束を脇に押しのけ、深いため息をついて椅子の背にもたれかかった。苦悩の色が浮かんだ目をきつく閉じる。
 だが目を閉じれば、妻の軽やかな笑顔が浮かんでくるばかりだった。

 ああ、自分がどんなに彼女に会いたいか、この手で抱き締めたいと思っているか、誰にもわかるまい……。
 だが、彼女に与えた行為の数々を思い出すたび、そしてベッドでの彼女の涙を思い出すたびに、自分自身への激しい嫌悪感でいっぱいになっていた。
 あれは全部酒の勢いだった、などと言い訳できるはずもない。自分で自分が許せないものを、まして妻が許してくれるとはとても思えなかった。

『ブルーベルは人の手で育てるより、自然に任せたほうがよほど美しい花を咲かせるんですよ』

 その上、オクタヴィアに言われたあの言葉が、彼の胸に突き刺さるように残っていた。図らずも真理を言い当てられたような気さえしている。
 そう、ブルーベルは豊かな古い森でこそ、生き生きと咲き誇るのだ。だとすれば、この結婚は間違っていたのだろうか? どんなに彼女が欲しくても、摘み取ってしまうべきではなかったと言うのか?

 自問自答の堂々巡りに疲れ果て、投げやりな気持で目を開いたジェフリーは、招待状の束の中にあった一通の手紙に目を留めた。それはオクタヴィア・バートラム夫人からで、封書に『至急』と書かれていた。
すぐさま封を開いて読み始めた彼は、驚きのあまり立ち上がって執事を呼びつけた。
「すぐに出かける! 保存協会の事務所まで馬車の用意を!」

 手紙には、レディ・アシュバートン、彼の妻が、その保持するブルーベルの森を売りたいと言ってきた、と記されていた。



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14/6/12 更新
次回、完結です〜。