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番外編 〜 地上のパラダイス 〜 


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 その日の午後、アシュバートン侯爵ジェフリー・マッケインは、妻同伴で招待されたティ・パーティでひどく退屈していた。
 同伴したローレルはと言えば、年配の伯爵夫人につかまったきり、長々と何か聞かされている。どうせ、大した話でもないことは、妻の困惑気味の表情からも察せられた。
 主催者の娘が奏でるさしてうまくもないピアノソナタを聴きながら、彼はまた一つため息をついた。全く、実に退屈な集まりだな……。
 姉のユージェニーから、是非会わせたい人物が居る、と言われて来て見たが、当の本人が一向に現れない。これなら、ローレルとベッドで午睡でも楽しんでいた方がよほど有意義だった。もう帰ってしまおうか。
 そう思いながら、再び妻に目を向けた途端、考えが変わった。
 そうだ。こういう場でしか味わえない楽しみもある。何より、本人に悟られずに彼女をじっくり観察するにはもってこいの機会であるのは確かだ。
 ジェフリーはローレルのエレガントな帽子の下から覗く金髪、彼女の滑らかなミルク色の頬がほんのり上気しているのを見るのがとても好きだった。そして、曇りないアメジストの瞳が活き活きと輝くのも、ばら色の唇が魅力的なカーブを描くのを眺めるのも大好きだった。さらに、その下のシルクに覆われた若々しい肉体を思い出すと……。

「閣下、失礼いたします」
 ふいに横から重々しい咳払いが聞こえ、ジェフリーは我に返って、隣に立つその家の執事の顔を見上げた。
「レディ・ダッシュウッドとお連れの方がご到着でございます。奥にご案内するよう仰せ使っておりますが」
「結構だ。では案内してもらおうか」

 わざと渋面を作り、咳払いしてからおもむろに立ち上がる。
 やれやれ、ちょうど良かった。これ以上彼女を見ていたら、今すぐ立ち上がって二人きりになれる別室に連れて行きかねなかっただろう。


◇◆◇  ◇◆◇


「随分、長く掛かりましたのね。お義姉様とそれから……、ミス・サラ・メィヒュー、とおっしゃったかしら、いったい何のご相談でしたの?」

 馬車に乗り込み、やっと二人きりになるや、ローレルはさっそく好奇心を露にして夫に尋ねた。ビロードのカーテンで仕切られた部屋の奥で、ユージェニーともう一人の見知らぬレディと一緒に座ったきり、さっきまでずっと話し込んでいたからだ。
 別れ際にようやく夫から紹介されたとき、ローレルは驚きと同情を飲み込むのに苦労した。握手したとき、その女性の目は赤く、まぶたが腫れていた。どうやら泣いていたようだ。
 理由を問う言葉が喉元まで出かかったが、ローレルの同情に満ちた眼差しにも、彼女は控えめに微笑んだだけで、また侯爵の方を向いてしまった。中年にさしかかったその女性はおそらく、感情をあまり表さない英国女性の典型のようなタイプなのだろう。

「言ってみれば、ミス・メィヒューの伯父上の資産相続がらみの話だな。富裕な投資家の末裔とはいえ、我が国の女性に相続権がない上、未婚ともなれば、しばしば起こる問題ではあるね……」
「まぁ! では彼女は大至急、結婚相手をさがさなければならないんですの? 相続のために? お義姉様のお話はそういうことだったのね?」
「いや、ちょっと違うな。確かに、一番手っ取り早いのは彼女がよい相手とすぐに結婚することなんだろうが……。あいにく本人が結婚はしたくないと言うのでね。このままでは由緒ある館やすばらしいガーデンが、会ったこともなかった遠い親戚を名乗る男に持っていかれると心配しているんだ。しかもその男には、保存すべき英国ガーデンの美を理解する知性はかけらも持ち合わせていないとか……。それよりは、いっそ保存協会に託せないかと言うんだがね」
「まったく……、なんてことでしょう。女は本当に損だわ! すぐにそれですもの。結婚しなければ明日のことも保障されないなんて!」
 かつての自分の苦悩が蘇り、ローレルは彼女に深く同情して憤慨の声を上げた。ジェフリーが笑いをかみ殺しながら妻の顔に手を伸ばし、滑らかな頬から首筋へと、指先でいとおしげに触れていく。
「よくあることさ。君がそんなに怒っても仕方ないだろう?」
「だって……。気になりますわ、そんな風に言われると。では、あなたは、そこにお出かけになるんですね?」
「そうだな……。行ってみてもいいと思うが」
 考え込むように応えた彼が、ふいに目を上げて彼女をじっと見つめた。
「よければ、君も一緒に来るかい?」
 急に思いついたように口にした途端、ローレルの顔がぱっと輝いた。
「本当に? 嬉しい! ええ、是非ご一緒したいわ」
「おやおや、いいのかい? まだどこに行くとも話していないじゃないか。うんざりするような遠方かもしれないよ」
「貴方とご一緒でしたら、旅も楽しいに決まっていますもの!」

 確信に満ちて応える妻を、愛しげに引き寄せると、ジェフリーは邪魔な帽子を取りあげ、アメジスト色の瞳に優しく微笑みかけた。
「どうしてあんなにも長い間、君と離れていられたのかわからないよ。今となってはもう到底不可能だな」
「わたしも全く同感ですわ」

 ふふっと笑って、ローレルは降りてきた夫の唇を受け止めた。酔わせるような甘いキスが、互いを求める熱く激しいキスに変わる頃、二人を載せた馬車はメイフェアのアシュバートン侯爵邸に到着した。

「では、奥様。続きは後ほどたっぷりと時間をかけて」
 名残惜しそうに顔を挙げると、馬車から降りるのに手を貸しながら、夫がにやりと笑って囁く。
 まぁ、と呆れたように軽く睨み返し、ローレルは赤くなった頬と高鳴る胸の内を何とか隠そうと懸命に息を吸い込んだ。そんな妻を見ながら、
「おやおや、僕は単に旅行の話の続きをしようと思っただけなんだがね」
 と、とぼけた顔でうそぶくので、つい吹き出してしまう。夫との関係がうまく行っていなかったときは、ひどく億劫だった社交上の訪問も、今では全く違う色彩を帯びていた。
 彼と一緒なら、どこに行っても、きっと素敵な旅になるだろう。



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patipati

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14/9/11 更新
お久しぶりの更新で、お久しぶりの二人です。
なんか、ほとんどらぶあま馬鹿ップルと化しておりますが…(汗)
本作コミカライズ記念番外編、お楽しみいただければ嬉しい限りです。