NEXTBACK



Page  4


 美しい……。
 まるでこの花の森の精霊のようだ……。
 だが、そんなノスタルジックな思いも、いきなり降ってきた現実的な問いに遮られる。

「あなたが、ロンドンからパトリッジ館にお越しになるという侯爵様ですか?」 
 あべこべに尋ねられ、驚いて瞬きした。この娘、何を無礼な、と怒鳴りかけたホッジズに声をかけてドアを開くと、慌てたように御者台から飛び降りてきて足台を置く。
 侯爵は街道に降り立つと、突然現れた奇妙な妖精に改めて向き合った。
「その侯爵というのは、おそらくわたしのことだと思うが、君は? その館に住んでいる人かな?」
 心地よい低い声に、ローレルはどきりとした。どこかで聞き覚えがあるような気がしたからだが、今は考えている余裕はない。
「はい、わたくしはラッセル・パトリッジの妹でございます」
 作法にのっとり、膝を曲げてお辞儀したその娘は、地味な身なりからは信じられないほど優雅で堂々としていた。そのギャップにさらに興味が湧いてくる。
「パトリッジ男爵の妹君? ということはシルヴィアの……?」
 冴えない若い男爵と、赤毛の男爵未亡人の媚びるような笑顔が同時に目の前をよぎった。
「はい。ローレルと申します。シルヴィア・パトリッジはわたくしの継母でございます」
「なるほど」
 それなら二人が全く似ていないのもうなずける。しかし、シルヴィアに継娘がいるとは聞いていなかったぞ。しかも、こんなに美貌の……。
 好奇心を大いに掻き立てられたが、わざとしかめつらしく応える。
「それは、わざわざお出迎えありがとう、と言うべきかな? しかし、馬でわたしの馬車の行く手を塞ぐというのは、あまりいい出迎え方とは言えないね。それとも、わたしは歓迎されていないのかな?」
 娘が頬を赤らめた。困ったように視線を逸らしてしまう。
「本当に失礼いたしました。ですが、アシュバートン侯爵様、館に着かれる前にどうしてもお尋ねしたいことがあるのです」
「ほう、何でしょう? 聞いていますよ」

 うつむき加減になった顔を上げさせ、先ほど見えた大きなアメジスト色の瞳をじっくり覗き込んでみたくてたまらなかったが、我慢してなおもしかめつらしく続けた。
 彼女は少し言いにくそうに沈黙していたが、ようやく意を決したように顔を上げた。瞳が一層輝きを増し、思わず見入ってしまう。ビスクドールのような繊細な顔立ちなのに、全く飾り気がない。それゆえ、彼女自身の美しさが一層際立って、普段飾り立てた貴婦人ばかり見ている彼の好奇心をかきたてた。
 どうやら、ここまで来たかいがあったようだ、と内心にやりとする。しかし、目の前の妖精は真剣そのものだった。

「侯爵様のご訪問の目的は、継母とのお付き合いのためでしょうか? それとも、わたしどものこの土地をお買い求めになるためなのですか?」
「その両方だと言ったら、あなたは反対ですか?」
「継母とのお付き合いだけでしたら、もちろん大歓迎いたしますわ。ですが、この土地のことはまた別の問題なんです。この古い森は、開発には向いていないと思うからです……」
 もう一度周囲を見渡し、嘆願するように見返すと、彼は楽しそうに微笑んでいる。こっちは真剣に話しているのに、何かおかしいのかしら。
 ひどく緊張しながら、懸命に言葉を探している娘を安心させようと、侯爵は優しく頷いた。
「なるほど。ご用向きはわかりました。よければ少し、この森を案内してもらえないだろうか」
「でも、わたしの馬が……」
「馬車に繋いで、パトリッジ館に連れて行けばいい。行きましょう」
 御者の渋い表情も無視して、彼はローレルを伴い歩き出した。青紫色の花が一面に咲き乱れる深い森は、昼の日差しにもかかわらず薄暗く、大地に埋もれ眠っていた春のエネルギーに一度に満たされるようだ。

「……あなたのご心配もわかる」
 ゆっくりした歩調で歩きながら、突然そう切り出され、ローレルは彼を見上げた。
「最近、いたる所で森や牧草地が乱開発され、新興ジェントリ達が品のないマナーハウスや別荘を建てているからね。わたしもそれを憂える立場の一人ですよ。それにしても、ここは……」
 ふと立ち止まると、彼は少しまぶしそうに、梢から垣間見える青い空と光を振り仰いだ。
「あなたには前もって少しお話しておこう。この土地が開発に向くかどうか、調査するのがわたしの訪問目的の一つなのです」
「それはどういう意味でしょう? どちらのご調査ですの?」
 目を見開いた彼女の顔を、侯爵は二本の指でそっとあお向けさせると、じっと見下ろした。空と新緑の梢を背景に、漆黒の髪が風に揺れ、黒い瞳がやわらかく微笑んでいる。
 その刹那、ローレルは息を呑んで侯爵から一歩後ずさった。この方は、もしかして……?

 だが、彼は何食わぬ顔で手を離すと、馬車の方へエスコートするようにそっと背中を押した。
「ミス・パトリッジ、君は今いくつになるのかな?」
「20歳です。もうすぐ21ですわ……。わたし、そろそろ家に帰らなければ……」
 急に頬を染めて落ち着きがなくなった彼女を、まだ侯爵が優しく支えている。
「そうだろうね。ではご一緒に」

 自分の馬が豪華な馬車につながれて、おとなしく待っているのを見て、彼女はアシュバートン侯爵に従うしかないと悟った。手を取られ、素晴らしいベルベットの席に上がると、レディになったような気がしてくるから不思議だ。
「行ってくれ」
 馬車は何もなかったように進み始めた。屋敷までの間、穏やかな瞳に見つめられて、ローレルは柄にもなくどぎまぎしていた。確かに立派な紳士だ。継母がそわそわしていたのも頷ける……。


◇◆◇  ◇◆◇


「ああ、ジェフリー、ようこそパトリッジ館へ……」
 侯爵の馬車が中庭に止まると、待ちかねたように、継母が迎えに出てきた。
 だが、客に手を取られて馬車から降りてきた義理の娘を見るなり、絶句したように言葉をとぎらせる。呆気に取られたように口を開けたが、ローレルが侯爵に礼儀正しく礼を言い、彼の方も何だか楽しげに応えているのを見ると、慌てて割って入った。
「ロ、ローレル? あなた、いったいどこから出てきたの?」
「シルヴィア、御機嫌よう」
 継母の名を親しげに呼びかけた侯爵に、慌てて笑みを取り繕った継母を無言でやり過ごし、ローレルはスカートをつまみ上げると小走りに館に入っていった。
 彼女が建物の中に消えると、侯爵はシルヴィアを振り返った。
「あなたに、あんな娘がいたとは驚きだったな。途中の森で偶然に出会って、自己紹介を済ませたところだよ」
「もちろん実の娘ではありませんわ。あんな偏屈な娘……。いえ、それよりジェフリー、あの子が何か失礼なことをしでかさなかったでしょうね? もしそうなら……」
 鞭でも取り出してきそうな顔をちらりと見やり、彼はさりげなく答えた。
「もちろん何も。心地よい森の散歩をご一緒しただけですよ。あなたも変わらず元気そうだ」
 儀礼的に手を取り口付けた彼を満足げに見て、そのエスコートを受けると機嫌を直したように室内を案内する。
「ここまでお越しいただけるなんて、本当に光栄で夢のようですわ、アシュバートン侯爵」
「とても良いお住まいだ」
 まるで若い娘のようにはしゃいでいる未亡人に適当に相槌を打ちながら、侯爵はパトリッジ館をさっと目で検分した。おそらく建築されて150年から200年ほどだ。外見どおり、さほど奥行きはないが、快適に整えられている。まずは合格だな。
 それにしても、彼女はどこだろう?
 現男爵の曽祖父の肖像画を説明していたシルヴィアが、準備させた部屋に彼を案内すると、その部屋の天蓋付きベッドに目を走らせ、艶めいた笑みを浮かべた。
「まずは、こちらでゆっくりとおくつろぎくださいな。すぐに午餐の準備を整えさせますわ」


NEXTBACKTOPHOME

patipati
-------------------------------------------------
14/4/9 更新