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「君が着飾れば、さぞや男達が先を争ってダンスのパートナーになりたがるだろうに」
「まさか……。もうこりごりです」
「こりごり? こんな風に田舎に引きこもっているのには、何か事情でも?」
「………」
 小さな呟きを聞きとがめられ、ひやりとした。それ以上何も答えない彼女に、侯爵の目が挑戦的にきらめく。
「ではこうしよう。近々、シルヴィアがここでパーティを催すそうだよ。君もそれに必ず参加して、わたしのパートナーになってほしい。そうしなければ、もうロンドンに帰ってしまうよ。何なら、土地の話も白紙に戻ると、継母上に伝えてくれて構わない」
「ええっ? それは困る……かもしれないわ」
「君が困ることはあるまい? 最初から反対していたじゃないか」
「それはそうですけど……、でも」
「『でも』はもうおしまいだ」

 いたずらっぽい微笑と共に腕が伸びてきて、身体ごと捕まえられてしまった。目の前のからかうような顔を見上げ、困り果ててしまう。
 この人には本当に当惑させられる。今まで会ったことのないタイプだ。とにかくこんな真似はやめてほしいと、抵抗しながら懸命に訴える。

「お願いだから離して。こんなところを誰かに見られたら、あなただって困るでしょう?」
「そんなことはどうでもいい。君がわたしのパートナーになると約束してくれたら、離してあげるよ」
「あなたのパートナーは継母でしょう? 少なくとも継母(はは)はそう思っていますわ」
「それは生憎だったな。こちらはそうは思っていないからね」
「そ、それに……、わたしのドレスは村のお針子の縫ったもので、リージェント・ストリートで買うようなものとは全く違うわ。お客様方の前で、あなたに恥をかかせると……」
「それを解決するのは簡単さ」
 まるで言葉遊びを楽しむように軽く言った侯爵が、ふいに彼女の腰に腕を回すと、一層強く引き寄せたので、とうとう胸まで密着してしまった。間近に彼の顔が迫り、心臓が早鐘のように打ち始める。
「キスしてくれたら、わたしが君にプレゼントするよ。君のその瞳に似合う、素敵なドレスと宝石もね」
「そんなお申し出に、わたしが応じるとでも?」

 必死に突っぱねようと顔を上げた途端、はっと押し黙った。
 誘なうような黒い瞳とカーブを描いた形のよい唇が目の前に迫っていた。駄目よ、こんなの見え透いた誘惑じゃないの。
 懸命に頭をひねろうとするが、彼は離してくれない。今や完全に抱き締められていた。耳元で低い声が囁く。

「君の瞳は、時々アメジストのようにきらめくんだな。その魅力、自分でわかっているのかい?」
「か、からかわないで! わたしなんか、美しいはずがないわ」
「鏡を見たことがないのか? 君は美しいよ、ローレル」
 親しげにファーストネームで呼ばれ、率直な賞賛を受けて思わず頬を染めたローレルの、たおやかな表情の変化を見ているうちに、その唇に口付けたい、という衝動がどうにも抑えきれなくなった。ついに、その細い身体をしっかりと抱き締めると、彼女の唇を奪っていた。

 口付けた瞬間、腕の中のしなやかな身体が激しくこわばった。その唇はあまりにも無垢で柔らかく、そして甘かった。新鮮な甘酸っぱい果実をむさぼるように、彼はその味を味わった。二人の周りで咲き始めた薔薇の香りが、かぐわしい彼女の香りと一つになって彼を酔わせる。


 ああ、この感覚は何……? これがキスなの?
 いけないことなのに。よく知りもしない男性と、こんなキス、許されるはずがない。どうして身を振りほどかないのかしら、わたし。
「もっと口を開けて……」
 ささやかれ、呆然としながら悪戯な舌先に誘われるままうっすらと唇を開くと、さらに奥まで偲び込んできて、彼女の舌と触れ合った。絡め取られる熱い感触に陶然となる。
 ああ、息もできない……。
 そう思ったとき、侯爵がようやく顔を上げてくれた。彼も少し息を荒げ、目に驚きを浮かべて自分の顔をまじまじと見つめている。

 ローレルの小さな心臓が、口から飛び出さんばかりに脈打っているのが合わせた胸から伝わってきた。頬を紅潮させ、はぁはぁと激しく息をついていたが、やがてとがめるように開かれたその目に大粒の涙が浮かび、頬を伝い始めた。そんな彼女を見下ろしながら、彼の中に男の本能とも言うべき身勝手な所有欲がむくむくと沸き起こってきて、ひどく心を掻き乱される。

「……謝って欲しいかい?」
 かすれた声で囁かれ、ローレルは夢中で首を振った。

 ようやく気付いたように、侯爵はきつく抱き締めていた腕を解くと、彼女のあごを持ち上げ、震える唇を親指の先でなぞりながら、燃えるような目でさらに釘を刺した。
「わたしも謝るつもりはない。それじゃパーティの日を楽しみにしているよ、ハニー」

 まだ呆然としているローレルを庭先に残したまま、彼はさっきの薔薇を一本取り上げ、来たときと同じように悠然と歩いていってしまった。
 身を震わせながらその後姿を見送っていたローレルは、ふと視線を感じて館を振り返った。開いていた二階の窓が勢い良く閉まったのを見て、はっとする。

 誰かに見られていた?

 そう思うとかっと頬が赤くなった。いつの間にか地面に散らばっていた薔薇を拾い集めると、急いで屋敷に駆け込んでしまった。


「今度ばかりはお継母様が正しいわ。あの人は見るからに『遊び人』よ。小説で読んだプレイボーイって、ああいう人のことを言うんだわ」

 鏡を前でぶつぶつ呟きながら、解いた金髪を百回もくしけずってから、ローレルは乱暴にブラシを置いた。
 だが、その夜はベッドに横になってもなかなか寝つけなかった。目を閉じると、侯爵の低い声と、自分を見つめていた真剣な眼差しが浮かんでくる。その都度、まばたきして追い払おうとした。
 彼の本意が全く読み取れなかったし、彼を恋しいと思いそうになっている自分にも腹が立つ。
 とにかく、このままずるずる引きずられてしまってはいけない。何とか歯止めをかけなければ。


◇◆◇  ◇◆◇


 それから、ローレルは彼に会わないよう食事時間も避け通し、学校に行くのもこっそりと家を抜け出すようにした。だが実のところ、継母が侯爵の関心を惹こうと躍起になっていたし、侯爵もまんざらでもなさそうだったから、さほど心配する必要もなかったのかもしれない。
 学校から帰り道、継母と幌のない馬車で出かける彼とすれ違った。すれ違いざま、軽く帽子を上げて微笑みかけられたが、にこりともせずお辞儀しただけで通り過ぎた。
 戯れはもうたくさん!
 そう思いながらも、気が付けばなんとなくいらいらしたり、逆にぼんやりしてしまっている。


 久しぶりのパーティの準備に、館の裏方はひと騒ぎだった。貴公子の訪問に華を添えるため、継母が近隣に住む地主夫妻を二組ほど招待していたし、さらに玉の輿狙いの令嬢達まで一緒に訪れて、静かだったパトリッジ館は急に賑やかになった。
 今も、継母が演出する娯楽ゲームを楽しむ声が、ローレルの部屋にまで聞こえてくる。継母が社交上手なのは認めるが、だから家計がああいうことになるのよ、と深いため息をついた時だった。
 部屋のドアにせっつくようなノックがあった。
 もしかして……。
 返事をするべきかためらっていると、いきなりドアが開き、アシュバートン侯爵が立っていた。



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14/4/24 更新
簡単な後書きは、ダイアリーにて。