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* 本ページはオンノベではR18基準の描写が含まれます




PAGE 3



 ユンソクは奈美をそっと抱きかかえるようにしながら、部屋の奥に連れて行った。
 落とされた照明が、壁に二人の暗いシルエットを投げかけている。彼の手がゆっくりとボレロを取り去り、肩の細いストラップを落としていくのを、奈美は目を閉じたまま半ば夢心地で感じていた。
 背中のファスナーが下ろされドレスが軽い衣擦れの音を立てて床に滑り落ちると、露になった白い肌に彼の唇がついばむように降りてくる。
 熱い唇はそのまま敏感な鎖骨から肩のラインを辿り、その間にも器用に下着が取り除けられて、ついに丸い形のよい乳房が露になった。
 彼の指が試すように触れただけで堅くとがった敏感な蕾をそっと口に含まれると、思わずうめき声をあげてしまった。奈美の震えを感じ取ったように、ユンソクは彼女の滑らかな背に優しく手のひらを這わせると、まるで待ち焦がれていたように二つのふくらみを愛撫しはじめた。彼女の両腕が胸元の頭をしっかりと抱き締める。
 歯と唇のリズミカルな動きに伴い、うずくような快感が身内から押し寄せ、次第に立っていられなくなってくる。とうとう足元がふらついたとき、抱き上げられてベッドルームに運ばれていった。
 これは本当に現実の出来事なのだろうか。
 まるで夢の中のように、目の前に白い霞がかかっている。

 気がつくと小さな常夜灯の光の中、全裸で大きなベッドのシーツの上に横たえられていた。彼が傍らで服を脱いでいる。
 ゆっくりと寄り添ってきた男の肌の熱さを確かめるように、広い肩に手を伸ばしそっと指を這わせてみた。かつてひそかに思い描いたとおり、彼の全身は鍛えられてとても素晴らしかった。
 そしてとても大きい……。
 彼が覆いかぶさってくると思わずびくりと震えた。
 今まで男性を迎え入れた経験がないわけではないが、そんなものはこれからの経験に比べれば物の数には入らないと、触れ合うぴりぴりするような緊張感が伝えてくる。
 彼は全身を使って彼女を味わうように身体を強く押し付けながら、しっかりと両腕で抱き締めた。彼の唇が奈美の唇を再び捕らえ、舌が唇を割って熱い命の息吹を吹き込もうとする。
 やがて彼の唇が首筋を辿り、奈美のはりのあるきれいな胸のふくらみをもう一度包み込むと、彼女の身体の神秘を暴く愛撫と探索が始まった。
 いっそう熱がこもっていく唇とリズミカルな指の動きは、時に心地よく時に責めさいなむように、彼女の敏感な肌を滑りまたとどまっては、様々な音色を奏であげていく。

 この人に捕えられてしまった……。もう戻れない。
 感覚の底なしの淵に引きずり込まれ、果てしなく落ちていく……。
 こんなにも情熱を込めて自分の身体を愛する男を、彼女はそれまで知らなかった。
 もう、引き返したいとも思わなかった。

『奈美、僕を見て。奈美……、奈美……』

 かすれた声が、はるか遠くから聞こえてくるようだ。エクスタシーの螺旋階段を急激にのぼりつめていく衝撃になすすべもなく、彼女は白い身体を弓なりにそらせ、自身のすべてを彼の目にさらしていた。
 がくがくと震えながら、やっとの思いで手の下の湿ってよじれたシーツをつかむと、それが命綱ででもあるかのようにきつくきつく握り締める。額に汗の雫が光り、髪が濡れて張り付いた。
 すでに充分潤っていた彼女の中に彼がようやく自身を納めきったとき、その深く満たされた感覚に思わずまた声をあげた。力強い指先が顎にかかり、彼女の顔を持ち上げる。熱い吐息混じりに彼が口元で何か囁き続けている。
 再度促され、ようやく開いた彼女の目はせまりくる快感にうつろで、何も映していないようだった。彼が数回強く突き入れると、天井を向いたまま揺れた彼女の瞳から、涙が数滴こぼれ落ちた。
 見下ろす彼の瞳が、いっそう黒く燃え立った。

『奈美! 今日から君は僕のものだ。僕だけの女になってくれ!』

 唸るような声が聞こえた。同時に荒々しく幾度も突き入れられ、はじけ飛ぶような衝撃に、奈美の喉から叫び声がほとばしる。
 薄れ行く意識の中で、彼が激しく彼女の中に自らを解き放ち、覆いかぶさってくるのを感じていた。


*** ***


 あるいはずっと後になったら、この無謀な行動を後悔する日が来るのかもしれない。
 だが、そのときはとてもそんな気にはなれなかった。彼はあまりにも魅力的な素晴らしい恋人だった。そしてどうやら彼のほうも、一夜限りの性欲のはけ口以上の相手として、自分を求めてくれていたようだ。
 こうしてその夜を境に、二人の関係は大きく変わった。昼間はともにオフィスで業務をこなし、夜は彼の部屋でこの上なく親密な恋人同士として過ごす。無我夢中だった最初の時を除いては、もちろん避妊にも気遣ってくれた。二人に許されていた時間がごく限られていたからこそ、お互いにいっそう熱く燃え立ち、相手にのめり込んでいったのかもしれない。

 そう、思い出すのもつらい最後のあの夜までは……。



*** *** ***



「だから、『カイサチュ』じゃなくて『カイサツ』、改札口よ。ああ、そんな顔しないで。あなた達に『ツ』の発音が難しいのはわかってるもの。母国語にない発音は、とてもしづらいのよね。だからこそ、それができればあなたの日本語は、ますます完璧に近くなると思うわけ」
 むっとしたように少しふてくされた彼の表情を見て、からかうような励ますような笑顔を向けると、奈美は「さ、食事に行きましょ」と、彼の腕に腕を絡ませた。
『やれやれ。随分言いたいことを言ってくれるじゃないか。それなりの覚悟はできてるんだろうね?』
 わざと横目で睨みながら、さらに脅しをかけるように軽く拳をあげて見せる。奈美はまた笑って、ユンソクをうながした。

 この十日間ほとんど毎日のように通って、いつしか馴染んでしまったゴージャスなスイートルーム。入った途端、すっかり片付けられた机と、その横の大型スーツケースが目に飛び込んできた。
 今の今まで必死になって考えまいとしてきた現実が、否応なしに目の前に迫ってきた。とうとう明日になればユンソクは、自分の前から永遠に去っていくのだ。奈美の表情が激しくこわばった。動揺を悟られないよう、彼に背を向けたままさりげなくスーツケースに近付いて、光沢のある硬い表面を指先で撫でてみる。
「……今夜でここに来るのも最後なのね。明日のお昼には、あなたは飛行機に乗って飛び立ってしまうんだわ。そして、あなたがいた痕跡もなくなってしまう……」
 背中に彼の視線を痛いほど感じた。思わずこぼれそうになった涙を飲み込んで、奈美は一生懸命、明るい声を出した。
「何か忘れ物とか……ない?」
『あるさ、ここにね』
 いつの間にか彼は真後ろに来ていた。耳元で低く呟かれたハングルの意味に戸惑って振り向いた刹那、背後からさっと両腕が回され、奈美は力いっぱい抱きすくめられていた。彼の手が、薄いブラウスの上からいとおしむように彼女の身体を撫で上げていき、そのまま顎を指で押し上げる。唇を奪われ、あっという間に抱き上げられて、二人はともに大きなベッドに倒れ込んでいた。服を剥ぎ取るように脱がされたのは、これが初めてのことだった……。


 やがて夜半も過ぎた頃、ベッドの中で汗に濡れた白い裸身を強靭な男の裸体に寄り添わせながら、奈美はぐったりと枕に頭を落とし、乱れた呼吸を整えていた。
『これからどうする?』
 彼の唇が額にそっと触れ、真剣な声がこう尋ねる。目を開くと常夜灯の小さな光の中で、ユンソクの黒い目がじっと彼女に注がれていた。
 その表情にどきりとしながら、奈美はしいて軽く答えた。
「どうって……、朝が来たらいつもと変わりなく起きるのよ。それから最後のモーニングをいっしょにとって、そして……、別々に会社に行ったら、わたしは普段の業務に戻る。あなたは飛行機に乗ってソウルに発つ。あとはまた、以前とまったく変わりない日々が始まるだけ、じゃない?」

 二十五歳の自立した一人前の女として、彼に追いすがって泣くような見苦しい振る舞いは絶対にすまいと決めていた。どれほど激しく抱き合っていても、彼が『サランヘ愛している』と口にしてくれたことは一度もない。どうせ先のないひとときだけの恋なのだ。
 だから、自分からこんなふうに言えば、彼の方もきれいさっぱり解放された気分で帰れるだろうと思っていた。

 だが、その時の彼の表情は安堵からは程遠いものだった。
 ユンソクは、まるで殴られでもしたように反射的に身体を起こして彼女の顔をのぞき込むと、身体にかけた腕に力を込めた。痛さに思わずうめいた彼女の顔を、彼は無理に自分の方に向けさせた。
『本気で言ってるのか? 君にとって僕達二人のことは、それっぽっちの意味しかないことだった?』
 その声はかすれ、わずかに震えていた。まるで信じられないと言わんばかりだ。奈美は思わず目を見張った。どうして……?
 ああ、そうだ。忘れていた。韓国の男はプライドが高く、とても人情に厚い。だから今は彼もそんなふうに感じてくれているのかもしれない。
 でも、他にどうするって言うの? まさか、海を越えた遠距離恋愛……? そんなの続くわけがない。
 この結論だけは、改めて考え直すまでもないように思えた。

 これ以上何か言われたら、泣き出してしまいそう……。

 奈美は焼き尽くすような視線から目をそらし、やっとの思いで明るさを装って続けた。
「あら、あなたは違うと言ってくださるの? 無理しなくてもいいのよ。この一か月間、本当に楽しかったわ、ユンソクさん。あなたはとても優秀な日本語の生徒だったし……、夜はこの上もなく素敵な恋のパートナーになってくれた。きっとしばらくの間、夜になるたびあなたを思い出して、恋しく思うでしょうね……」
「しばらくの……間?」
「や、やっぱり今夜はもうお暇するわ。明日の帰国に備えて、あなたもゆっくり休みたいでしょ……」
 あれほど親密な時間を分かち合った後で、いったいどんな顔をしてこのあらかじめ用意し、幾度も練習しておいたセリフを言い続けられると思ったのだろう。
 自分でも限界を感じ、ベッドから身を起こしかけたときだった。

 彼が吐き捨てるように一言呟いて、荒々しく奈美の身体をシーツの上に押し倒した。
 今度は本当に力づくだった。あっという間に奈美の華奢な身体は、たくましい身体の下に再び組み敷かれてしまっていた。三年間の軍隊生活で鍛えられた彼の腕はとても強く、細い腕のささやかな抵抗などには、びくともしない。
 強い驚きと衝撃の浮かんだ瞳を、怒りに燃える黒い炎のような眼差しが捕らえた。彼は奈美の身体を押さえ込んだまま、膝で脚を大きく開かせると、前戯もなしに容赦なく深々と刺し貫いた。
 思わず背中をのけぞらせて声をあげた途端、唇をふさがれ逃げることもできず舌を絡め取られる。むさぼり尽くすようなキスの果て、ようやく顔を上げた彼は、無言のまま、これまでにない激しさで腰を彼女の腰に打ちつけ始めた。
 彼女がもうやめて、と悲鳴を上げても懇願しても、それはまだ続いた。

 このまま身も心も粉々になってしまいそう……。
 否応なく極限まで高められ、息もできないほど緊張した直後、文字通り大嵐のようなエクスタシーの渦に巻き込まれた。
 すべてが終わり彼が身を起こしたとき、奈美は閉じたまぶたから涙を流し、全身を震わせながら、ぐったりと放心したように横たわっていた。
 そんな彼女をベッドに残したまま、彼は黙ってシャツとスラックスを身に着けると、振り向きもせずに部屋から出て行ってしまった。

 それが一年前の春、奈美がパク・ユンソクを見た最後になった……。



*** *** ***



 止まらない涙にしばらく枕を濡らした後、ようやく動けるようになると、何とか衣服を身に着けホテルを出た。

 翌朝、自分のワンルームからぼろぼろの気分で出社するなり、上司から困惑顔を向けられる。
「急に予定が変わったとかでね、パク・ユンソク氏は今朝早朝の便でソウルに発ったんだよ。我々もささやかな花束贈呈式など、考えていたんだがね」
 ぐらり、と足元が揺らいだかと思うほどの衝撃を受けた。そのまま立っていられたのが不思議だった。
 だが、そんな彼女の感情の動きなどはお構いなしに、上司はやれやれと言うように言葉を継いだ。まるで追い討ちをかけるように、次なる衝撃の波が再び襲い掛かった。
「ま、とにかくこれで終わったよ。この時期に、韓国有数の財閥の一つであるコリアデジタルから御曹司の出向だ。こちらも正直心配していたんだが、君は非常によくやってくれたよ。さぞ大変だったろうね。本当によく頑張ってくれた」
「え? お、んぞうし……って、パク・ユンソクさんが……ですか?」
「ああ、もちろんパク・ユンソク氏のことだよ。すまなかったね。実は本人から堅く口止めされていたんだ。表向きは本社研修員だが、実はコリアデジタルの会長の次男坊でね。今回のことは、外国企業向けの要職ポストに着く前の、言わば上層部への顔見世的な意味もあったという訳だな」
 頭がくらくらし始めた。失礼します、と言ってどうにか上司の前を辞した彼女は、その足でまっすぐ化粧室に駆け込んだ。

 彼がただの研修員でないことは、うすうす気付いていたはずだった。これまでの奈美の立場では縁がなかったVIP専用フロアで、専務や常務、社長までが同席している会議に、彼が幾度も入っていくのに同行したときから。
 だが彼は何も言わなかったし、彼女もまた余計なことだと、あえて自分から問いただしてみようとはしなかった。それならあのホテルのスイートにも納得がいく。

 もし、このことを知っていたら、何か違っていただろうか。
 そうは思えなかった。最初から彼の肩書きなどどうでもよかった。
 自分が愛したのは『パク・ユンソク』その人だ。他の事情など一切関係はない。

 ……もう二度と、彼に会えない……。

 そう思うだけで胸が押し潰されるようだった。涙が溢れて溢れて、どうすることもできない。
 時間も化粧がくずれるのも構わず、奈美は声を殺して泣き続けた……。




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07/02/09 更新