nextnext




PAGE 4


 その後、樹さんは本当に忙しくなった。海外と日本をしょっちゅう往復しているらしい。
 出発前に連絡をくれればいい方で、ずっと連絡がないので思い切って電話しても全然つながらない、なんてこともしょっちゅうだった。
 彼女を気取って、あれこれ聞くのも嫌がられそうだし、結局、いつ来るかわからない連絡を待つしかない。わたしのことなんか、きっと忘れ去られてるんだろうな、と思うと悲しくなった。

『付き合うって感じじゃない』と言われた意味が、だんだん身に染みてわかってくる。彼にたまたま予定がなければ会ってもらえる。本当にそれだけの関係……。
 それでもいいって言ったの、自分でしょ? ゼッタイ文句言わないって。
 自虐的につぶやいても、やっぱり悲しかった。勉強の合間に携帯の占いコーナーを熟読したり、いっそ他の男の子を好きになれたら、なんて考えてみたり……。
 予備校の講習に通いながら、ため息をつく日々だった。


 それでも、たまに誘われると、もやもやした気持が全部吹き飛んでしまうほど嬉しくて、いそいそと出かける。
 悔しいから本人には言わなかったけど、樹さんはスーツでもラフな服装でも本当に決まって見えた。会うたびに大人の余裕が増している。
 運転する横顔をちらちら眺めては、よくこんな人がわたしと会ってくれるなぁ、と不思議に思ったりした。

 その時だけは、彼を独占できるのが嬉しかった。彼の方も結構楽しんでいるように見える。

 毎日遅くまで勉強しているせいで、わたしが車内でうたた寝することがあった。
 目が覚めると彼が車を止めて、不思議な目でわたしを見つめている……。
 えっ、今どこ? って、ぱちぱち瞬きしていると、ドキっとする暇もなくキスが落ちてきたり……。
 そんな瞬間が一番好きだった。彼の熱い唇に自分を委ねると、悩み全部が吹き飛ばされて、もしかしたらこの人もわたしのことを……、みたいな期待でいっぱいになる。
 やっとキスに慣れ、彼の首筋に腕を絡めて思い切り応える。でも、もっとたくさんして、ってすり寄ってもそこまでだった。抱き締めてキスしてくれるけど、いつも彼はそこで止めてしまう。

 ある日、キスに夢中になって彼に胸を押し付けていると、急に乱暴に引き剥《は》がされた。わたしをシートに突き戻し、少し荒々しい息遣いで前を向いた彼に、ショックを隠せず問いかける。
 わたしはいいのに……。どうして?
 けれど彼は、顔をこわばらせたまま、車のエンジンをかけてしまった。

 やっぱり、そこまでの相手にはなれないんだ、わたしじゃ……。
 そう思い知らされた、最悪の瞬間だった。



 そんな関係が、大学に入学した今年の春まで続いた……。
 最後に樹さんに会ったのは、五月雨が降る夜。
 しばらく前から入院していた祖父が、とうとう他界したときだった。

 九重ホールディングスからなぜか告別式場に大輪の白菊の花輪が届き、両親がひどく驚いていた。弔問《ちょうもん》に来てくれた樹さんと、大勢の人の間で立ち話をした。
 その時、近々アメリカに行くと言っていた。今度は半年以上の長期になるかもしれないと……。
「本当にいい人だった……。俺も好きだったな」
 別れ際、懐かしむように祖父の遺影を見てつぶやくと、優しく言った。
「元気出せよ。何かあったら、いつでも俺にメールしてこい。電話でもいいぞ」

 気遣ってくれてるのよね、ありがとう……。わたしは力なく微笑み返した。

 無理しなくてもいいよ。
 この恋から、もう卒業しなくちゃいけないって、よくわかってるから。

 でも、伝える勇気が出なかった。その時は……。


*** *** ***


 さっきから樹さんのことばっかり考えてる!
 未練がまし過ぎ!

 わたしは頭を振って自分を叱ると、手にしたプレゼントを眺めた。
 それじゃ、彼、帰ってるんだ、日本に……。
 七か月? もっとずっと長いこと、会っていなかった気がする。
 その間に、世界中が何だか大変なことになってしまった。でも、それがわたしの人生にまで、こんなにも響いてくるなんて、想像もしなかったけど。

 いい機会じゃない? これでイヤでも卒業でしょ、樹さんから……。

 皮肉に考えながら、ゆっくりとラッピングを解いてみる。予想もしなかった中身を見るなり、目を丸くした。
 ビロード張りの宝石ケースに、大きなルビーを一粒あしらった金のペンダントが納まっている。繊細な金のチェーンを呆然と手に取ってみた。
 こんなの、いくらぐらいするんだろう?
 そりゃ彼は、業界最大の会社勤めだけど、そんなに簡単に買えるもの?
 第一、今のわたしが貰っていいはずがない……。

 でも少なくとも、まだ気にかけてくれてるってことよね……。

 途端に、話したくてたまらなくなった。お礼を言って、今の状況を説明したい……。
 衝動的に携帯を取り出し、コールしてみる。彼もすぐに出てくれた。

「もしもし……樹さん? こんばんは、美里です……。お久しぶりです。今、電話してもよかった?」
「美里? ほんとに久しぶりだな。どうした? 何だかちょっと声が改まってる気がするけど?」

 ひどく緊張して切り出したわたしに、いつものからかうような低い声が返ってきた。ああ、変わってない。たちまち胸がいっぱいになる。

「あの……、今見たの。すごく素敵なプレゼント、どうもありがとう。びっくりしちゃって……。わたし、樹さんが帰国してることも知らなかったから……。いつ戻ったの?」
「四日前かな。悪い悪い。色々と立て込んでたせいで電話もしなかったな。するつもりだったんだけど……って、そこで笑うなよ。で、気に入った? それ……」
「もちろん! だけど、こんな高そうなもの、どうして……」
「向こうで見つけてさ、お前に似合いそうだと思ったんだ。気に入ったら貰っとけよ。最近どうしてる? ちゃんと大学行ってるのか?」
 言い始めたお礼はすぐにはぐらかされて、保護者みたいに最近のわたしの様子をあれこれ尋ねてくる。すり切れそうだった心が、ふわりと和むのを感じた。

 いけない、和んでる場合じゃないでしょ!
 お見合いのこと、話さなくちゃ……。

 けれど、気楽に電話で言えるような内容じゃなかった。それに彼の声を聞いているうちに、会いたくてたまらなくなってきた。
 最後にもう一度だけ会えたら、そうしたら……。

 ごくっとつばを飲み込むと、わたしは勢い込んで問いかけた。
「樹さん、一度会いたいの。仕事の後でいいから、時間空いてない?」
「ん? 仕事の後なら、明日でもいいけど?」

 切羽詰っていることに気付かれただろうか。「どうした?」と、どこか用心するように問い返され、慌てて普通の声を繕った。

「あ、あの、無理しないでね……、忙しければ……」
「相変わらず遠慮深い奴……」
 くすっと笑って、朗らかな声が返ってきた。
「じゃ、明日な。頑張って八時過ぎには終わらせるよ」
 わたしは嬉しくなって、携帯に思い切り笑顔を向けた。
「ありがとう! それじゃ、いつものお店で待ってるから」
 忙しい彼がすんなりオーケーしてくれるなんて夢みたい。
 明日は、彼が見直してくれるくらいおしゃれしてみよう。それから、それから……。

 でも、あまり期待し過ぎちゃ駄目。
 突然わくわくし始めた心に、わたしは戒めるように言い聞かせた。
 これで最後。本当に最後。
 結納の日は一週間後。未来はもう決まっているんだから……。


nextnextTopHome

----------------------------------------------------------
12/12/06 更新