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「威勢のいいおねーちゃん、気に入ったんだけどなぁ。今夜どう? なぁ、こんだけ出せばいいだろ?」
「だから、イヤだって言ってるじゃないですか、わたし、連れが……」
「お連れなんてどこにもいないじゃない。きっと置いてかれたんだよ」
そのとき、タクシーを探しに行っていた匠が戻ってきた。
状況を見てとるなり、両肩をいからせ大またで駆け寄ってくる。彼から立ち上るオーラはマジで怖かった。
「おっさん! 人の連れに何やってんだよ!」
とっとと失せやがれ! さもないと……。
その先は彼の目が怖いほど物語っていた。しつこかったどっかの社長もソレを見て取るなり、あたふたと立ち去っていく。
助かった……。
ほっとした途端、本当に気分が悪くなった。うー、と顔をしかめてしゃがみ込んでしまう。
「むかつく……。吐きそ」
さっきの馬鹿中年の臭い息のせいだ。
絡まれた理由は、飲み屋で同じく飲んでいた客と日本酒談義になり、それが白熱してしまったせいだろう。省略された、だから言わんこっちゃない、という言葉が聞こえてくるようだった。
「別にお酒のせいじゃないんだからね!」
匠が差し出してくれたペットボトルの水を飲んで、やっと人心地つくと、わたしはむきになって自己正当化した。
まったく……とか何とかぶつぶつ言いながら、もうそれには触れず、彼は渋滞する大通りを振り返った。
「タクシーなんかとても無理だ。ちょっと遠いけど、メトロまで歩くしかないぞ、マジで」
大体、お前は何でもやり過ぎるんだ。ほんと、仕方ない奴……。
ため息交じりの匠の声に応える代わりに、うーと唸ったわたしを、肩を貸して立ち上がらせてくれる。
とたんに、一瞬くらりときた。
あれ、酔いが回った? 何だか足元がおぼつかないかも……。
匠も眉をひそめている。
「おい、大丈夫か?」
「うーん、ちょっと……、メトロまで歩けないかも……。ねぇ、このホテルとか駄目?」
ちょうど頭上にあったラブホだかなんだかわからないホテルの看板を、期待を込めた目で仰いだとき、寄り添っていた匠の体がさっと緊張した。すぐには応えず、謎めいた眼差しでじっとわたしを見下ろしている。
たった今、何気なく口にした言葉が突然濃密な意味を持ち始め、わたしはうろたえた。
意思とは関係なく、心臓が一方的に暴走し始めて、さらに戸惑う。
「里穂、悪いけどさ……」
「べっ、別に……、だから、そういう意味で言ったんじゃないんだってば!」
慌てて説明しようとしたわたしの口を塞ぐように、彼の口が覆いかぶさってきた。
それは本当に突然の展開で、身体がびーんと硬直してしまう。彼が支えてくれていなければ、ひっくり返ってしまったかもしれない。
ぽかんと開いていたわたしの唇から難なく進入した彼は、強い意志を込めてわたしの口内をまさぐり始め、わたしは何もできないまま、大いにまごついていた。
「んっ!」
息が苦しくなって、とうとう呻き声を上げ、彼の肩を押した。匠がやっと顔を上げてくれる。
はぁはぁ、と馬鹿みたいに息継ぎしながら、呆然としているわたしを見て、彼はふっと微笑うと、まるで最初から決まっていたみたいにさくっと言ってのけた。
「里穂、潮時だな」
「はっ?」
「もう潮時だっつの。今夜、お前を俺のものにするから。お前もいーかげんで腹くくれよ」
あの……、今、なんとおっしゃいました?
思い切り目を点にしたわたしに、匠がにんまりと笑いかけた。
笑うと目じりに大好きなしわが寄って、男にしてはきれいな顔がとても優しくなる。心臓がドクンと大きくうねった。
「んじゃ、参りましょうか、里穂さん」
楽しそうに言うなり、わたしの身体を抱えるようにして、やってきたエレベーターに乗り込んだ。えええっ、ちょっと待ってよ、と、あたふたしているわたしにはお構いなく、チェックインを済ませてしまう。それも『お泊り』で。
これは夢? それとも現実?
わたし、お酒飲み過ぎて、幻覚見てるとか……?
そう疑ってしまうほど唐突な展開だった。あの匠が、まるで切れたみたいに性急に動いている。
ホテルの一室のドアを開くと、一直線にベッドに向かい、やや乱暴にその上に下ろされてしまった。ひっくり返った蛙さながら仰向けに横たわって、目をぱちくりさせるわたしをクールに見下ろし、匠はもうずっとそうしてきたように、わたしの乱れた着衣を取り除き始めた。
大混乱しているうちに彼も服を脱ぎ始めたので、あわてて壁の方を向く。
けれどそのまま、問答無用とばかりにあらわになったわたしの背中に、濃い吐息とともに熱い唇と舌が這い始めた。ぞくりとして、思わず声を上げてしまう。その声は自分でもはっとするほど艶っぽかった。
いーから、お前はじっとしてろ。そう囁くなり、彼はわたしの皮膚に、まるで飢えてたみたいに唇を這わせていく。でもじっとしてるなんて無理……。どきどきしながら縮こまったり、ひえっとかきゃっとか、奇声を上げているうちに、とうとう丸ごとお召し上がりされてしまった……。
どうしよう。もう匠の顔、見れないかも……。
完全にまごついているうちに、ふいに彼の手で仰向けにされ、大きな身体にしっかりと包み込まれた。
合わせた身体から身体へ、信じられないほどの熱が伝わってくる。
「こういうの、イヤじゃないだろ?」
完全にひとつになると、匠は初めて少し自信なさげにわたしの顔を覗き込んできた。
その顔つきがとても可愛かった。彼も、もしかして少し緊張してたのかな?
思わず笑い返して、うん、と応える代わりに背中に回した腕に力を込めて、ぎゅっと抱き締める。
今まで封じ込めていた思いが、ほとばしるように溢れてきて、夢中になって身体を摺り寄せていった。
わたしの気持が伝わったらしい。彼は安堵したようにゆったりと動き始めた。次第に激しくなるその動きに弓なりに身体をそらせ、懸命についていく。わたしは奥深くまで彼をとことん迎え入れた。
何がどうしてこうなっているのか、よくわからなかった。けれど、ずっと憧れていた【その瞬間】が、今思いがけず訪れたのだと、わたしは焦げ付くような白熱の渦に巻き込まれながら思っていた……。
朝の白い光の中、見慣れぬ部屋を見回して一瞬ぽかんとする。
わたしの服と下着が、ベッドサイドにきちんとたたんで置かれていた。
ほぼ同時に、毛布の下の一糸まとわぬ自分の姿に気付き、真っ赤になる。
昨夜の出来事がフラッシュバックし、身がすくんだ。
落ち着け、落ち着け、と何度も自分に言い聞かせながら、そっとベッドから降りると簡単にシャワーを浴びた。
部屋に匠の姿は見えなかった。どうやら置いていかれたようだ。
ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な気持で呟く。
まぁ、物のはずみでああなったんだし……。顔を合わせにくいのはお互い様だよね。
だから、昨夜のことにはもう触れない方がいい……。
とにかく服を着て部屋を出ようとしたとき、ドアが開いた。匠がハンバーガーショップの包みを手に入ってくる。
瞬時に固まったわたしに、土曜日はルームサービスやってなかったからさ、食えよ、と差し出されたのは、アメリカンコーヒーとエッグマフィンだった。
「ほんと、気が利いてる……ね」
二人でマフィンをかじりながら、わたしは消え入りそうな声で言った。普通に話したいけど、すぐには無理そうだ。
匠の視線を感じながらも、目を合わさずに黙々と食べ続ける。
やっとわたしのコーヒーが空になったとき、彼は苛立ったようにわたしの前に来た。ぐいとわたしの顎を掴むと、強引に唇を合わせてくる。
わたしの顔が泣きそうにゆがんだ。顔を上げた匠が、怖いほど真顔で問いかける。
「昨夜のこと、後悔してるか?」
まさか! それは絶対ないよ!
驚いて、ううん、と即座に首を振ると、彼はほっとしたようにさらに言った。
「なら、お前らしくないことすんなよ。食ったら行くぞ」
あたふたとホテルを出ると、昨夜の大雪もおさまっていた。
会社に停めてあった彼の車に乗せられ、そのまま区役所に連れて行かれてしまう。
くやくしょ……? って、何で???
またもや、がちーんと固まったわたしをちらりと見てから、彼は婚姻届の用紙を貰うと、何の説明もないまま、わたしごと自分のマンションにお持ち帰りしてしまった……。
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13/3/20 更新
次から、現在に戻ります。。。
もう週1ペースですね。まったりとお付き合いくだされば、うれしいです。