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「どうして知ってるの? そんなことまで調べてきた訳?」

 もう限界。つい感情的になってしまった。彼も負けずに「当たり前だろ!」と唸ると、どうなんだよ、と身を乗り出すようにして食い下がってくる。
「……そう。検査してから、ここ半月ほど入院してる。でも容体は安定したし、命に別状はないから。それより……」
「どこの病院なんだよ? お前の地元か?」
「えっ? うん、そうだけど……。でもそんなこと、あなたには関係ないでしょ?」
「お前、それ、本気で言ってんのか?」
 途端に彼の表情が凄みを帯びて、びくっとした。本気の怒りが伝わってくる。
「来いよ、里穂。出るぞ」

 突然立ち上がった彼は会計を済ませると、わたしを引っ張って目の前のエードコーポレーション・ビルに向かって歩き始めた。
 どうなっているのか、今からどうするつもりなのかも、さっぱりわからない。呆然としながら、足早に歩く彼について行った。勢い任せに掴まれた手首は痛いくらいで、触れ合った部分がじんじんと熱を帯びてくる。


「今から行って、どれくらいで着ける?」
「って、まさか……、来るつもりなの? 北陸まで?」
「ああ。ここまで聞いた以上、そのつもりですが、いけませんかね?」
 えええっ! と仰天しているわたしに構わず、エレベーターで懐かしい会社の地下駐車場まで降りると、駐車された車の助手席のドアを開いた。乗れよ、と顎をしゃくる。
 本当にいいんだろうか。突然の展開に突っ立ったまま、まだ躊躇していたわたしは、ほとんど押し込まれるように乗せられてしまった。彼はそのまま、少しの間どこかへ電話したり、何やら検索したりしていたが、急に乗り込んでくると、黙ってエンジンをかけ、車を出した。
 匠が本気だとわかると、わたしは押し黙ってしまった。止める理由はどこにもない。これはエード・コーポレーションのトップに、わたし達の工場を見てもらう絶好のチャンスなのだから……。



 それから数時間後、わたしは匠と並んで、父の入院している病院で担当医の詳しい説明を聞いていた。
 わたしからもあらかじめ話しておいたけれど、改めて医者から話を聞き、彼もほっとしたようだった。そのまま大きな花籠を手に父の病室を訪れる。

「おお、これはこれは……」

 匠が入っていくと、父は驚いたようにベッドの上で身じろいだ。わたしと彼、二人一緒にいる姿を見た途端、父の目がなぜか潤み始め、ぎくりとする。
 もしや余計な期待をさせてしまったのではないだろうか。単に見舞いに来ただけだとわかったら、がっかりするんじゃ……。
 そんな心配をよそに、匠はベッドの上に屈み込むと、頼もしげに父に話しかけている。
 父も、わたしのことなど見向きもしない有様で、震える手を伸ばし彼の名前を呼んだ。その老いた手を、匠がしっかりと両手で包み込む。今の彼からは、普段の軽薄さはみじんも感じられなかった。

「匠君……。娘とうちの会社のこと、どうかよろしく頼みます」
「はい、もちろんです。ですから安心して、早くお元気になってください」

 い、一体何を言ってるのよ? この二人……。

 目の前で展開されている男の世界から、完全にはじき出されて、わたしが呆然としていると、匠は父に向かって笑顔でうなずき、振り返った。
「それじゃ、失礼しよう、里穂。またすぐにでもお邪魔しますよ、お義父さん」
「ああ、ありがとう。里穂、くれぐれも粗相のないようにするんだぞ」
 病室から出て行くわたし達を見送る父が、さっきまでより数歳若返ったように見えた。訳も分からず、呆然としているうち、彼に連れ出されて、病院の廊下を歩いていた。


「ちょっと、ねぇ、匠ってば! 待ってよ。今の、いったいどういう……」
 振り返った彼は、ちらっと微笑んだ。
「里穂、お義父さんは大丈夫だよ」
 そう言ったきり、後は何も答えず、黙って歩いていく。
 停めてあったわたしの車の前に来たとき、彼は何か決心したように、わたしを見た。

「次、酒造所関連の施設も見せてくれないか?」


 今日一日で、ここまで来てくれるとは、正直予想もしていなかった。ドキドキしながら頷くと、彼を案内していく。
 仕込み作業をしていた小母さん達が並んで出迎える中、昔ながらの蔵のような建物に、匠を迎え入れた。
 考えてみれば、結婚していたとき、彼がここに来たことはなかった。見せるのはこれが初めてだ。醸造所の一番最近買った機材まで、時折質問しながら点検するように見て回る彼の眼には、今まで見たこともないくらい真剣な光が宿っていた。
 これが、仕事中の加賀原匠の顔なんだ……。だんだんと、わたしの鼓動が不規則になってくる。

 ああもう。お願いだから、そんな顔、今のわたしに見せないで。
 もっと何か、期待してしまいそうになるじゃない……。

 年配の蔵元代理と一緒に、できる限り説明しながら、わたしは幾度も、弱い自分の心と戦う羽目になっていた。



 外に出ると、とっくに夕暮れ時になっていた。
 小母さん達が準備してくれた心づくしの夕食をごちそうになってから、わたし達は二人とも、黙ったまま駐車場に戻ってきた。
 車が見えてきた。もうすぐお別れだ……。そう思ったとき、ようやく声が出せた。

「匠……。今日は本当にありがとうね」
「何だよ、急に改まって」
 怪訝な顔で振り向いた彼に、心からの感謝を込めて一生懸命に笑顔を作った。
「だって、すっごく忙しいのに、わざわざここまで来てくれて。それに、いろいろと考えて、アドバイスまでしてくれて……。お父さんもみんなも、とっても喜んでたよ。エード・コーポレーションの偉い人が、真剣にうちの蔵を見てくれたなんて、それだけで、もうすっごく励みになったみたい」
「……里穂?」
「も、もしかして、だけど……、何かその、昔のよしみで義務感……とか、責任感みたいな、そういうの感じて、ここに来てくれたのなら……、当たり前だけど、そんなの一切不要だからね!」
 もどかしそうにわたしをじっと見つめる視線に、耐え難いものを感じ、わたしはふいに目をそらしてしまった。

「見て! 桜、本当に綺麗!」

 駐車場の脇にある、樹齢百年以上の桜の木。
 わたしの声につられたように、匠もその花枝を見上げた。黄昏の最後の光の中で、満開の白い花びらが後から後から降るようだ。
 そのまま、しばらく黙ってじっと立ち尽くしていた。やがて、彼がぽつりと呟いた。

「これがずっと、お前が守りたかったものなんだな? 俺の傍から、無理やり離れて行ってまで……さ」



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patipati
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13/4/16 更新
大変遅くなってしまいました。次回でラストです。