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** 本編から約1年半後の二人の日常番外編です。雄介は名古屋にいます。



 アパートの窓から見える桜並木の枝が、早くも花びらを散らせ始めた。
 決算期が終わったばかりの日曜日の朝。久し振りにのんびりと朝寝していた俺の枕元で、いきなり着メロが鳴った。
 ぼーっと電話に出ると、絵里の元気な声が響いてくる。

『雄介くん、おっはよう! 今日、別に予定なかったでしょ? 今から新幹線に乗るからね〜』
 はい? 予定? 『今から新幹線』?

 頭がすぐには回らない。眉間に皺を寄せ沈黙していると、察したように念を押してきた。
『やだなあ、雄介ってば、まだ寝てたんでしょ。とにかく起きてね〜。一時間半くらいで着くから、お迎えよろしくぅ。また電話するね〜』

 いきなり何なんだ? 
 年度末で忙しいから、時間ないとか言ってたくせに……。

 手の中のスマホを眺め、ぼそっとつぶやいてみる。でもすぐに、まぁ絵里だしな……、と思い返す。
 あいつが予測のつかない行動に出るのは、今に始まったことじゃない。それに、向こうから来てくれるなら、願ったり叶ったりだ。
 しかも、声を聞くなり、体内アドレナリンの分泌がよくなったらしい。俺もまったく単純だよな、と苦笑しながら立ち上がる。
 コーヒーを飲みながらトーストを食べ、着替えて部屋を片付けたりしているうちに、もうすぐ名古屋に着くから、いつもの所に来てねー、と第二弾が来た。
 鏡の中のにやけた顔を引き締めて、ジャケットと携帯を手にゆっくりと外に出る。


 俺が名古屋赴任になってから、もうすぐ一年が経つ。
 毎日の仕事をこなしているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。けど、恋愛だけはそういうわけにはいかないと、つくづく思う。
 今、絵里と俺はいわゆる【遠恋】をやっている。と言っても、別に九州とか北海道ってわけじゃない。
 互いのスケジュールを調整すれば、月に一回くらいは会える距離だし、そうできるように努力してきた。
 ただ、それがだんだんと厳しくなっているのも事実だ……。
 今年に入ってからは、絵里が「どうしても会うの!」と言い張った、二月十四日、一度きりになっていた。

 俺達は、互いにほとんど婚約一歩手前、のつもりでいる……。
 それでも、離れている時間が長くなれば、やっぱり不安になることもある。特に、あいつは自覚なしに、危なっかしいからな。
 絵里に言わせれば、こっちも同じらしい。この前も、俺が何を考えてるかわからなくて「すっごく心配になるときがある」と言うので驚いた。
 どこがだよ? 何、余計なこと考えてるわけ? 俺に限って、何もあり得ないだろ?
 軽く流して電話を切ったが、向こうから見ればそう見えるのだろうか。

 確かに、どんどん忙しくなる仕事や職場付き合いのせいで、一日の終わり、やっと部屋に戻る頃にはくたくたになっている。
 そういう時は、あいつからのメッセージも、見るだけで返事をつい後回しにして寝てしまう。
 その上だんだんと、会う約束が、一、二週間ズレることもざらになってきて……。

 だから心配してるのか?

 まさか……。会えなくても、俺の気持が絵里から離れるとか、他に移るとか、絶対あり得ないのに……。
 そんなこと、あいつだってとっくにわかってると思うけどな。
 それでも、離れている時間が長いと、やっぱり色んな思いが渦巻くらしい……。
 この前、がつーん、とやられたっけ。

 いつでも会えるわけじゃないんだよ? 音沙汰なさ過ぎたら、不安になるに決まってるじゃない! 生存確認でいいから、返事くらいしてよね!

 突然電話してきて、怒ったように言い出した絵里に、驚きながらとりあえず謝った。それから、しばらく返信もこまめにした。イイネスタンプとか……。
 けど……、気が緩むと、また同じことの繰り返しになっている。
 あと一年はこの生活が続く。わかってはいても、絵里も複雑そうだ。

 でも、俺が変わるなんて、あり得ないだろ?
 学生時代から、気が付けば、絵里だけを見ていたのに……。
 いつになったら、俺はあいつをしっかり捕まえられるんだろう……。
 こっちこそ、時折そんな思いに囚われることがあるのに。

*** *** ***

「雄介! ここ、ここ〜」

 駅の高架下で車を降りると、春の日差しを浴びて、いかにもお元気そうな絵里が、俺に向かってぶんぶんと手を振って近付いてくる。
 その姿に、嬉しくなった反面、拍子抜けする。
 別に、いつもと変わらないじゃないか。何かあったのかと心配したのが、一気に馬鹿らしくなった。

 彼女のふわっとした髪とスカートが、軽く春風になびいている。
 一か月半ぶりの屈託の無い笑顔。見るなり、頭の中で考えていたデートコースなんか全部すっ飛ばして、抱き締めてキスして、ホテルか自分の部屋に連れ込みたくなる。
 その衝動を抑えるために、ジャケットのポケットに手を突っ込むのは、いつもの動作だ。
 どこに行きたい? と問うと、コアラの赤ちゃんが見たいなぁ、などと、のんびり言い出した。
 どうして動物園なんだよ……、と渋い顔でお尋ねしても、「前から、見たかったんだもん」と、無邪気な答えが返ってくるばかり。


「あ、いるいる! 写真とってよ、ほら、早く」

 というわけで、俺達は郊外のこの動物園にやってきた。春先の日曜日とあって、家族連れがやけに多い。
 コアラ舎の中ではしゃぐ絵里に、お前、いくつだよ、と、ため息つきたくなるのを抑え、言われるまま携帯を取り出した。
 うすぐらい背景とこの人ごみ。いい写真になるとも思えないが、本人が満足ならそれでいいさ、と思うことにする。

「ほら、ゆーすけ〜、コアラが赤ちゃんおんぶしてるよ? 見てる?」
「だから、さっきから見てるだろ」
「あんまり関心なさそうなんだもん」
 26の男が、熱心にコアラなんか見てたら異常だろ……。そう突っ込みたくなるのを抑え、気の無い目をガラスケースに向けた。
 途端に、ユーカリの葉をのんびり食っていたでかいコアラが、のそのそと動き出す。こいつら、悩みがなくていいよな、とつぶやいてみる。

 絵里の取りとめのない話を聞きながら、目に付いた動物をいくつか見て回った。やがて、お腹がすいたと言い出したので、これ幸いと動物園から引き上げる。
 道路沿いの和風レストランで食事をした。おいしかったねー、と再び助手席に座った彼女の様子を伺いながら、またため息をつきたくなる。
 こいつ、東京から何しに来たんだよ? 明日は平日だし、今日はもう無理かも……。
 力なく、そんなことを思いながら、ちょっと投げやりに尋ねた。

「お前、何時の新幹線で帰るわけ? あとどこか行きたい所あったら、言えよ」
「ドコでもいいけど……ホテル、とか……」

 はい? と無言で見返す俺をちらりと見て、絵里はぶすっと唇を突き出した。

「もー、相変わらずなんだからぁ……。さっきからずーーーっと、いつ誘ってくれるかと思って待ってるんだよ? もー、残り時間、あんまりないんだからね! ゆーすけってば、わたしから言わないとダメなわけ? せっかく会えたのに……」
「何だよ? 突然やって来て、コアラコアラ言い出したの、お前だろ?」
 眉をひそめてやり返すと、絵里は「ウーン」と言う顔をした。
「そっ、それはそうだけど……、本当は違うもん。雄介に会いたかったから、ちょっと疲れてたけど頑張って来たんだよ……。なのに。そんなどうでもいいことみたいに……。それとも、雄介にとってはもうどうでもいいわけ? 相変わらず……、あ、んっ……」
 ああ、もういい。わかったから……。
 余計なことを喋り出す口を、いつものごとく強引にふさいだ。この瞬間をどれだけ待っていたか、体がすぐさま証明してくれる。
 身震いを抑え、柔らかな唇を割って侵入すると、逃げようとする舌を絡め取り、思い切り吸い上げた。
 途端に、絵里の方も火がついたように反応してきた。俺の首に腕を掛け、胸を押し付けてくる。両腕で細い身体をきつく抱き締め、彼女の甘い匂いを思い切り吸い込んだ。
 やっぱり飢えてるな。反動でもう、タガが外れそうになっている。
 このままやるか? ここで……。
 スカートに手をかけてから、それもな……、と思い返す。やっと誘惑から顔をあげると、絵里が、はふっと大きく息を吸い込んだ。
 紅潮したなめらかな頬を指先で軽く撫でながら、かすれた声で呟いた。

「悪かったな、気が利かなくて。それならそうと、早く言えよ……、っつか、余計な我慢、しなきゃよかったんだよな。そーいうことなら、楽しみにしてろよ」

 ちょっと赤くなって、え? という顔をした絵里に、にやっと笑いかけると、すぐに車を市内へ向けた。今のキスのおかげで、体はかなり熱を帯び、痛いくらいだ。

 こいつを今夜、無事に東京へ帰せるかな。それが一番、問題かも……。

 夕暮れの風の中、桜の花びらが、ウィンドウの向こうにはらりと舞い落ちていった。

〜 fin 〜

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patipati

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16/11/10