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 お母さん、それにお父さんまで来てる……?
 どうしてそこまでするんだろう、お母さん……。帰るって言ったじゃないの……。まったく過保護にも程がある。わたしがまだ、高校生だとでも思ってるんだろうか。

 白にゴールドブラウンのタイルがアクセントを利かせたバスルーム。間接照明がものうげに照らす中、それでも簡単にシャワーを浴びた。髪を洗う暇さえないまま衣服を身につける間、困惑と母への苛立ちとが同時に頭を駆け巡っていた。悲惨に破れたストッキングに苦笑する。換えはバッグの中だ。

 そして思い出す。ああ、あのベッドの乱れ方……。わたし達がこの部屋で何をしていたか、一目瞭然にならないだろうか。
 ここに至っても、翔平とセックスしたと両親に知られるのは、いたたまれない気がした。ましてやあの母に……。どれだけ汚いものでも見るような顔をされるか、わかったものじゃない。
 早く支度して、何とかごまかさなくちゃ。
 そんな思いばかりが、頭の中をぐるぐる回り、慌てれば慌てるほど、手は遅くなるばかりだ。


 急に、浴室の閉まったドアの向こうが騒がしくなった。母の甲高い声が聞こえ、はっとして耳をそばだてる。
 ああ、間に合わなかった……。ヒステリックに喋る声に、わたしは鏡に向かって思い切り顔をしかめた。
 なんてまずいことになったんだろう。あの時、律儀に電話なんかしなければよかったのに……。どんなに後悔しても、もう後の祭りだ。
 あの母が、わたしと翔平の関係をすんなり認めてくれるだろうか? 戸籍は同じだけど、こういう場合、法律では……どうなるんだろう? そんなこと、今まで考えたこともなかった……。

 ちょっと待って!
 そこで重大なことに気付き、さらに愕然とした。その前に、そもそも翔平の気持さえ聞いていないのだ。
 過去の彼の思いは確かに聞いた。でもたった今、どう考えてわたしを抱いたのか、それはわからない。すべては曖昧なまま。あやふやなまま。それじゃいったい、今からどう振舞えばいいの?

 事態は、数時間前にこの部屋を訪れた時からは考えられないほど、ややこしくなってしまったような気がした。
 でも何より、これ以上、母と翔平の仲をこじれさせるわけにはいかない。とにかく早く出て行こう。わたしがこんな所に閉じこもって、翔平にばかり対応させるのはフェアじゃない。
 懸命に身支度を整えたわたしは、勇を決してバスルームのドアを開けた。途端に我が目を疑った。


 父と翔平が、掴み合うようにじっと睨み合っていた。いや、正確には翔平のシャツの襟元を掴んだまま、睨みつけているのは父の方だ。翔平は正視を避けるように、父から目をそらせている。酷くうろたえているようだった。

「どうしたの……? 二人とも、いったい?」
 急いで近付こうとしたところを、母に鋭く呼び止められた。
「あなたがしっかりしていないから、こんなことになるのよ! いくつになっても、本当に情けないったら!」
「どういうことなの? お父さんと翔平、どうしたのよ?」
「……あなたのせいですからね、沙夜」
「お母さん!」
「お父さんの車で来ているの。いいから帰りましょう」
 帰りましょうと言われて、このまま帰れるわけがない。わたしはもう母を無視して、二人に駆け寄った。
 わたしに気付いた父が、少しほっとしたようにつぶやいた。
「ああ、沙夜……、いたんだな」
 翔平の襟元を掴んでいた手が離れたので、わたしはとっさに、二人の間に割り込んだ。
「さっき、お母さんから聞いたばかりなんだよ。沙夜……、今の今まで何も知らず、本当にすまなかったね」
「何? 何のこと? いったい、どうしたの?」
「こいつの性根がそこまで腐っていたとは……。父さんは情けなくて……。お前もお前だ。どうして、今まで一言も言わなかったんだね? いいか、翔平!」
 翔平を見た父の声が、再び怒気を強めた。
「もう二度と、お前を家には入れんぞ! わかったか!」
「待ってったら!」
 その剣幕に驚いて、わたしは懸命に口を挟んだ。この際、事実と少し違おうがかまわない。
「翔君は別に何もしてないわよ……。わたしが勝手にここに押しかけて、ちょっと長いこと話し込んでただけで……。どうしてそんなこと言うの?」
 けれど、父はわたしの説明など聞いていなかった。
「自分の息子がまさか……、か弱い女性を、それも……さんざん世話になっていた姉さんを……レ、レイプするような人間だったかと思うと……。こんなに情けない話を、この歳になって聞かされるとは!」
 聞くなり、わたしは反射的に叫んだ。
「翔君はそんなことしてない!」
 背後で翔平が「黙ってろ」と言うように唸ったが、構わなかった。
 父も疲れたように大きく息をついた。
「もう隠す必要はないんだ。こいつ自身、たった今認めた……。アメリカに行く前に、お前を無理やり……その……」

 わたしは、とっさに翔平を振り返った。彼もまた、父と同じくらい打撃を受けているように見える。
 違う。彼じゃない。歳のいった父親にわざわざ衝撃を与えるはずがない。
 とすると……。ついで母に目を向ける。その表情が明らかに物語っていた。
 じっと乱れたベッドを凝視していた母が、冷たい怒りのこもった言葉を翔平に投げる。
「あなたは、やっぱりあの女(ひと)の息子ね。わたしの一番嫌がることを、よくも選んだようにやってくれるわ!」
 それは、母の心の底に淀む憎しみまでが、はっきりと現れているような言葉だった。
「あの人はそういう人だった……。若い頃、わたしから、お父さんをかすめ取って行ったやり方にそっくり……。やっぱり血は争えないのね」

 わたしは驚いて母を見た。そんな話、聞いたことがない。それじゃ倉橋の父とこの母とは、若い頃にも付き合いがあったということ? それに翔君のお母さんも?
 翔平も同じように感じたらしい。わたし達はほとんど同時に問い返した。
「お母さん、それ、どういう意味?」
「……どういうことだよ? あんた、俺の母親のこと、昔から知ってたのか?」
 さらに、翔平は父を振り返ると、目を細めた。
「この人と……、俺の母親、昔、何かあったのか?」
 今度はなぜか父までが、むっつりと唇を引き結んで答えない。母は失言した、というように額に手を当てると、わたし達の問いを無視し、部屋のドアに近付いて行った。

「あなた達のおかげで、すっかり疲れてしまったわ。今何時だと思ってるの? とにかく、家に帰るのよ」
 わたしは即座に嫌だと言い張った。

「そんなのおかしいわよ。翔君とわたしにわかるように、ちゃんと説明してちょうだい。でなきゃ帰れない。こんな状態のままで、帰れるはずないでしょう?」
「馬鹿なことを言うんじゃありません。嫁入り前の娘がホテルから一人で朝帰りなんて、世間の評判を落とすような真似はやめてちょうだい! 杉浦さんには、わたしからちゃんと、ご挨拶の電話を入れておきましたからね」
「えっ?」
「あちらは、家族ぐるみできちんとお付き合いしたい、っておっしゃってくださってるの。本当にいい方じゃないの! 明日、また改めてお誘いいただいたのよ」
「だって、わたし、お断りしたのよ? どうして、そうなるわけ……?」



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16/05/31  更新