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「急に、あなた達二人の様子が変わったから、何かあったのかと心配して疑っていたのよ。それに、あなたの部屋の押入れを整理していたら、明らかに誰かに破かれた服が出てくるじゃないの。本当にぎょっとしたわ。それで、すぐさま翔平の部屋に行って問い詰めたのよ」
「お母さん、その時、翔君に何て言ったの……?」
「詳しいことは忘れたわ。あの子、しばらくうつむいて黙っていたけど、そのうちやっと、あなたに乱暴したことを認めたの。もう心底腹が立ったわ! なのに、あの生意気な子、謝るどころか何て言ったと思う?」
「何て言ったのよ?」
「……忘れたわ」
 鸚鵡返しに問い返すわたしから一瞬目を逸らせ、母はためらうように言葉を濁した。
「とにかく、唖然とするような言葉だったのは確かよ……。反省なんか、一かけらもしてないことがよくわかった。だから、もうこの家に置いておけないと思ったの。あなたにこれ以上何かされたらと思うと、ぞっとしたからね。でも、お父さんにショックを与えたくなかったから、詳しいことは秘密にして、翔平本人がちょうど行きたがっていたアメリカに留学させることしたの」
 我慢できなくなって、わたしはとうとう大声を上げた。
「それじゃ、どうして昨夜わざわざ、お父さんにその話をしたの? 矛盾してるじゃない! そんなこと、もうとっくに済んだ大昔の話なのに!」
「言わなきゃ事情が伝わらないでしょ! お父さんがなかなかホテルに行ってくれそうになかったからよ。あなたは嫁入り前なのよ」

 負けずに声を張り上げる母に、深いため息が漏れた。『嫁入り前』を連呼する古過ぎる感覚を今更責める気もないけれど、わたしは完全に毒気にあたった気分だった。
 もう十分だ。黙って席を立つと、背後から呼び止める声を無視し、階段を上がっていった。
 ドアをぴしゃりと閉め、ベッドにへたり込む。
 とにかく午後にでも、もう一度翔平のホテルに行こう。色々聞きたいこともあるし、もっとよく話し合わなくちゃ。

 彼を思った途端、昨夜の身も心も溶かすような熱い愛撫とキスが蘇ってきた。一度火がついた身体が、またくすぶるように疼き始める。
 たまらなくなって、傍にあった枕を抱き締め、顔を埋めてしまった。今、わたしの心は、泣きたいくらい翔平でいっぱいだった。



  ◆◇◆  ◆◇◆



 父は外出からなかなか戻ってこなかった。
 何度も電話してから、母は上品な着物に着替え、ドレスアップしたわたしを伴ってタクシーで家を出た。十二時きっかりに、杉浦さんやご家族と待ち合わせのレストランに到着する。
 もちろん、ここで二度目のお見合いに巻き込まれるつもりは毛頭なかった。少し遅れてきた先方と和やかに挨拶が始まるや、わたしは杉浦さんとその御両親に深く頭を下げてお詫びした。そしてきっぱりと「このお話はなかったことにしてください」とお断りした。
 隣で母の顔が激怒に引きつるのも無視し、わたしは呆気に取られて見返す人達をその場に残して、きびすを返した。バッグを手に足早にレストランを出る。そこで遅れてやって来た父とぶつかりそうになった。

 レストランから一人で出てきたわたしを見て、父は勘違いしたらしい。慌てたように言い訳を始めた。
「ああ、待っててくれたんだな。遅れてすまなかった。もう食事は始まってるのかな? 実はその……、もう一度翔平の奴に会って話していたものでね」
 翔平と聞くなり、わたしの心臓は一気に跳ね上がった。息が止まりそうになり、こわごわ尋ねる。
「どんな様子だった? 翔君……」
 まだ怒っているのだろうか。
「いや、それが……。明日の月曜日に、NY本社で重要な会議が入ったとかで、急に今日の夕方の便で帰国することになったんだよ」
「嘘! そんな……!」
 聞くなり、わたしは絶句した。顔から血の気が引いていくのが、はっきりとわかった。

 翔平が帰ってしまう? アメリカへ? 今日の夕方……?

「ど、どうして、こんなに突然……?」
 もしかして、昨夜のことが原因で? だが、父は違うと言った。
「もともと、明日帰る予定だったんだ。それが一日早まっただけのことだよ。そうそう、あいつからこれを預かってきた。お前の忘れ物だそうだ」
 差し出されたのは、確かに彼の部屋に忘れたわたしのスマートフォンだった。黙って受け取り、ぎゅっと握り締める。突然、頭が真っ白になったせいで言葉の意味を飲み込むのにしばらくかかってしまう。

 そうだった……。翔平はすぐに帰ってしまうと十分わかっていたはずだ。
 なのに、いざとなると、こんなにも衝撃を受けている……。
 目の前の父の声が、遠くから聞こえてくるようだった。

「夕べ、ああは言ったが、今度いつ会えるかわからんし、やっぱり一人息子だからね……。もう少し話をしようと会いに行ったんだが、あいつめ……」
 しみじみとため息をついて、わたしを見る。
「沙夜……、翔平の奴、こう言ってたんだよ。『……一家の厄介者は早々に消えるよ。よかったな。けどな、沙夜のことを不幸にしたら、絶対許さないからな!』とね……。すごい剣幕だったよ。あいつの顔を見ているうちに、意外にお前のことをまじめに考えていたのかもしれん、と思えてきたんだ。それならそれで、また話は……、いや、とにかく、お前のことを本気で心配しているのはよくわかったんだよ」
「………」
「だからと言って、あいつがしたことを許してやってくれ、とも言えないが……。ん? 沙夜、どうした?」
 目から涙を零し始めたわたしに、父が慌てたように問いかける。いそいで手のひらで涙をぬぐうと、わたしは明るく微笑み返した。
「心配しないで、お父さん。それに翔君は、わたしが『許さなくちゃならないこと』なんか、何もしてないわよ。昔も今もね!」

 もう十二時半も近かった。わたしは急いで尋ねた。
「翔君、成田よね? 何時の飛行機?」
「確か、四時頃だったが……。見送りに行ってやってくれるか? ここの食事会はどうするつもりだね?」
「もうお断りしたから、いいの!」
 そのとき、背後でまた自動ドアが開き、母が強張った顔でゆっくりと出てきた。まだ駐車場で話をしていたわたし達を見るなり、きつい目で睨みつけてくる。
 母の顔には「もうお前には愛想が尽きた」とはっきり書いてあったが、わたしはきっぱりと無視した。
 幸い、レストランの脇に客待ちのタクシーが止まっていた。わたしは急いでそれに乗り込むと、祈るような気持で近くの駅名を告げた。



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16/06/07  更新
次、ちょっと本文修正しながら掲載していきます。
ここ数年で、スマホ環境大きく変わりましたね。
本当に海外などでも、便利になりました。。。<しみじみ