〜〜 ニューヨークの冬景色 〜〜


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 でも、そこへ話しかけてきたドアマンさんと早口で話す彼を見ているうちに、尊敬の気持さえ沸いてくる。彼はずっとここで生活しているのだから当り前だけど、やっぱりすごい。本当にネイティブみたいだ。
 一方のわたしは、ここで暮らすと一応決心したものの、英語力には全く自信がなかった。
 だから来る前に、もう少し英会話の勉強がしたいって、あれほど言ったのに……。
 つい、ため息が漏れる。そんなの勉強するものじゃない、こっちで暮らしているうちに自然に身に着くから大丈夫、とにかく早く来い、の一点張りだった翔平に負けて、文字通り『とにかく来た』けど、これじゃ……。

「〜〜」
 その時、翔平と話していたドアマンさんが、急にこちらに向かって何か言い始めた。
 とっさにジャパニーズ・スマイルを顔に張り付けたわたしに、グッドとかナイスとか言いながら、親指を突き出し、とどめにバチンと派手にウィンクして去って行く。

 な、何だろ……?
 訳が分からず、呆然と見送るわたしに、翔平が苦笑しながら説明した。
「俺のフィアンセが日本から来た、って紹介したからさ」
 うっ……。
 その言葉に、一瞬固まったわたしを宥めるように肩を抱き寄せ、翔平が改めてドアを開けてくれる。
「ほら、ここが当面の俺達の部屋。どう?」

『フィアンセ』とか『俺達の』と言われることにも、まだ全然慣れていなくて、ひどく照れくささを感じる。まごつきを隠そうと、わたしは急いで室内を見回した。


 まず驚いたのは、靴を履いたままで、どんどん部屋に上がってしまうこと、だった。
 確かに、映画で見た覚えがあるけれど、やっぱり抵抗を感じる。そう言うと、彼も気が付いたように瞬きした。
「こっちではこれが割と普通だから。でも履き替えたければ、どうぞ」
 すぐに、わたしの前にふかふかのスリッパが置かれる。素直に替えたけれど、翔平はそのまま。
 そのコンドミニアム、つまりマンションは、入ってすぐの位置に大きな冷蔵庫のついたキッチンと、ダイニングスペースがあった。そしてポップなモダンアートのかかった広いリビングには革張りの大きなソファー。ゆったりとくつろぎながら、テレビや音楽が楽しめるようになっている。その奥に、ベッドルームが見えた。
 余裕で広くはないかもしれないけど、二人なら十分なスペースだ。家具もさりげなくおしゃれで、彼のセンスの良さが窺える。

 黙ってわたしの反応を見ている翔平を前に、ちょっと姉らしくチェックして回りはじめた。
「よろしい、結構綺麗に片付いてるじゃない。合格ね。あ、ちょっとキッチンが狭いかなー? 今まで、食事はどうしてたの? お料理とか、あんまり自分ではしてなかったでしょ?」
「そりゃ、おっしゃる通りですねぇ」
 軽口を叩き合いながら、女の習性で冷蔵庫を覗いてみる。中にはワインが数本、それにキャセロール鍋とピザの大きな箱が入っているだけだった。
 そっか。日本とは食事もかなり違うんだろうな。とにかく食材を買ってこなくちゃ。お店は近いのかな?

 あまり使われてなさそうなシンク台や大きなオーブンがセットになったガスレンジを見ながら、そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。翔平がモニターをちらっと見て何か呟きながらドアのロックを開く。すかさず『ハロー!』と陽気な女性の声が響いて、びっくりした。
 入って来たのは、ショートボブの金髪に、スポーティなロングセーターのきれいな女性だった。歳はわたしより少し上かもしれない。
「沙夜、彼女はミセス・ステファニー・ラング。俺の元上司の奥さんなんだ。下の階に住んでて、この部屋紹介してもらったり、色々と世話に……」
 翔平の説明が終わらないうちに、ミセス・ステファニーは、わたしを見て「Oh!」と声を上げ、満面の笑みで近付いてきた。わたしの手をぐっと握って、ハグせんばかりの勢いで、挨拶らしい言葉を並べている。歓迎してくれているのはよくわかったが、とっさに口にした『はじめまして』以外、にわか英語はほとんど出てこなかった。
 顔に斜線を入れて引いているわたしに、翔平が慌てたように助け舟を出してくれる。
 まだ、日本から来たばかりで言葉ができない。早く慣れるように……、などなど、色々と解説されているような気がした。ミセス・ステファニーは成程と言うように頷くと、もう一度わたしを軽く抱きしめてから、明るく翔平に何か言って去って行った。

「彼女、何て言ってたの?」
「週末の夜に、いつもの店であんたの歓迎パーティをやろうってさ」
 か、歓迎パーティ?
「俺がよく夕食をとる、行きつけの店があるんだ。集まるのは気心の知れた連中ばかりだから心配いらないし、沙夜にとっても、みんなと知り合ういいチャンスじゃないか?」
「……うん、そうかも、ね」

 みんな、か……。
 翔平の生活が確かにここにある、そう実感する言葉だった。でも、それはわたしの生活とは異次元のような気さえする。
 曖昧に返事をしながら、コートを脱いで窓辺に近付き、通りを見下ろした。
「眺めもいいし、すごく素敵な部屋だね。さすが、翔君!」
 近付いてきた彼を振り返って、明るく笑ったつもりだったのに、笑みが少し引きつった。それきり沈黙したわたしに、翔平が眉をひそめて隣に立つ。

「急に黙り込んでどうした? 何か気に入らないことでも?」
「まさか! そんなはずない! ……だけど、十二時間以上も飛行機に乗ってたせいかな? 時差ボケっていうのか、やっぱりちょっと疲れてるのかも……」
 慌ててぶんぶん首を振ったが、声に力がなかったかもしれない。
「なるほど……」
 そうつぶやいて、翔平が少しかがんだ。と思ったら、いきなり両腕で抱き上げられてしまい、びっくり仰天する。
「ちょっ、何するのよっ!?」
「確かに、日本ならもう真夜中だもんな。当然だよ」
「だっ、だからって何も……」
「疲れたんだろ? なら、休まなくちゃな」

 にやっと笑った彼の頭上に、悪魔の黒い角が見えた。



patipati

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16/07/01  更新