〜〜 ニューヨークの冬景色 〜〜


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このコーヒーショップは大丈夫だな……。

 なるほど、昨日翔平が、この店の前で、わたしをちらっと見て呟いたのは、こういう理由だったのか。

 ちょっと驚きながら、ステファニーさんに『こんにちは』と頭を下げると、『一人? ショウはどうしたの?』と尋ねられる。
 ずっとまじめに英語を聞き流していたおかげか、少しは聞き取れるような気がする。嬉しくなって、すぐ頭に浮かんだ簡単な英文で答えてみた。
『翔平は会社に行きました』
 こんな発音じゃ全然ダメかも、と思ったけれど、何とか通じたようだ。頷いて、カウンター席に座るよう勧めてくれる。


 午後三時の店内は、あと一組、奥で話し込んでいる二人連れがいるだけだった。彼女が、メニュー板を指して『何を飲む?』とゆっくり聞いてくれたので、ホットカプチーノを注文した。
『大歓迎よ、サヤ。ここは、ショウに聞いて来たの?』
『えっと、いいえ……、これは、あなたのお店なんですか?』
『まさか。わたしは四時までのパートタイムよ。ショウは何時に帰ってくるのかしら?』
『夜です……。多分』
『あなた、それまでずっと一人なの? さびしくない?』
『いえ……。少し……』
 先日会ったおかげで、こちらの事情もわかってくれている。その安心感も手伝い、身振りも交えて下手でもとにかく思いつく言葉を羅列して見ると、意外に通じるようだ。案ずるよりなんとやら、かも?
 そんなことを考えているうちに、カプチーノを手際よく淹れて持ってきてくれた。わたしの前に盛大に泡立った大きなマグカップを置いて、何か思案している。
 何か……? と目で問い返すと、エプロンのポケットから、ボールペンと紙を取りだし、あなた英語は書ける? と問われる。
 そ、それは……。言葉に詰まり、片言程度ですが……と頭の中で答えながら、つくづく情けなく思っていると、彼女が『いいこと考えたわ!』と、ぽんと手を叩いて、奥からタブレットを取り出してきた。びっくりしているわたしに、彼女はそれを操りながらにこっと笑いかけた。
『わたし達、これで会話できるわよ!』
 ナイス・アイディア! と嬉しそうに示されたのは各言語の翻訳サイトだった。
 なるほど! 英語と日本語を互いに翻訳し合いながら書いていけば、ペンで筆談するよりはるかにちゃんとした会話になりそうだ。驚きながら頷くと、彼女が早速書いてきた。

『ショウはね。去年の夏まで、わたしの主人の部下だったの。今でも我が家の夕食によく来ているのよ。あなたも是非、来てね』
 それは、彼が大変お世話になりまして……、と、つい習慣的にフカブカ頭を下げたわたしに、違うわ、と笑いながら続ける。
『サヤ、あなたに会えてわたしはとても嬉しいのよ。一度、ゆっくりお話がしたかったの』
『ショウヘイが……、わたしのことで、何か?』
 急いで問い返すと、彼女は「ノーノー」と言いながら、こう書いた。
『別に、積極的に話してくれた訳じゃないんだけど……』
 そこでタブレットから目を上げ、わたしをじっと見た。
『アメリカの男達と違って、彼はあまり自分のことをペラペラしゃべるタイプじゃないでしょ? どちらかというと、謎めいた東洋のハンサムボーイって感じね。もちろん必要な主張は通すし、そう言う点では年齢の割に落ち着いて、とてもしっかりしてる。もともとすごく優秀だったしね。無口なところも見込まれて、モーガン・グループに入ったのよ。わたしの夫も、彼のことをよくほめているわ。だけど、どんなに親しくなっても、どこかで一線引いてるっていうのかな……、特に、日本のことは何も話さないし、日本にもちっとも帰ろうとしないでしょう? 少し不思議に思っていたの……』
「……!」

 思いがけない展開になり、わたしはどきどきしてきた。多分表情も変わっていたと思う。ステファニーさんが、手を止めて言った。

『急にこんなことを言って、びっくりしたかしら? でも、わたしとジョージは、ショウが学生の頃からの友達だから……』
『いいえ……、とてもすみませんでした。そして、ありがとうございます……。彼のために、えっと、色々と、御親切に……。わたしは彼のことを、あまりよく知らないんです。最近では特に……』

 何が言いたいのか、よくわからないような言葉でも、とにかく羅列しながら、ああ、この人は、わたしが知らない翔平を、しっかり見ていてくれた人なんだ……と、しみじみ思っていた。
 いかに自分が【今の翔平】を分かっていないか、八年のブランクが長かったか、改めて思い知らされる。
 わたしは自分の言葉のたどたどしさも忘れ、一生懸命に感謝の気持を伝えようとした。そして、もっと彼の話をしてほしい、と訴えかけると、思いが通じたように、彼女は続けて書いてくれた。

『クリスマス休暇になると、みんな故郷の家に帰るのに、彼だけは一度も帰らないでしょう。どうして帰らないの? って聞いたことがあったのよ。あなたは家族に会いたくないの?って。そうしたら、「別に自分に会いたがる家族なんかいないから……」 って、淡々と答えるから、日本にはもう身内はいないのかと思ってたくらいよ』

 グサッと胸に突き刺さる一言だった。翔君……、わたし達のこと、そんな風に思っていたんだ……。
 そうよね。わたしですら、一度も連絡しなかった。そう思われて当然かもしれない。

 わたしの表情の変化を読んだように、ステファニーさんは手を振って、『でもね』と強く言うと、さらに書いてくれた。
『あるとき、わたしの主人と一緒に、ショウがたくさんお酒を飲んで、とても酔っぱらったことがあって……』
 その日のことを思い出したように、彼女はふっと微笑んだ。
『部屋に帰れなくなったので、その晩、彼はうちに泊ったの。わたし達がベッドに寝かしつけたとき、彼が寝言で「サヤ」って何度も呼んだのよ。なんだかとても苦しそうに、切なそうにね……。ああ、日本人の恋人かなって思ったわ』

 思わず頬を赤らめたわたしを見ながら、納得したように頷き、彼女はまた続けた。

『朝になって、帰ろうとした彼を捕まえて、わたしが「サヤって誰なの?」って、冗談ぽく聞いてみたの。ショウは、しまった! って顔で、ちょっと黙っていたけれど「あなたの大切な人ね?」って重ねて聞いたら、観念したみたいに少しだけ話してくれたわ。自分にとって、たった一人、今もとても会いたい人だって……。でもその人に、昔とても酷いことをしてしまった。だから、どんなに会いたくても、まだ会いに行けないんだ、ってとても悲しそうな、あきらめたような目でね……。思わず、どうして実際に会って確かめてみないの? って強く勧めたくらいよ。でも、彼はそれ以上、何も答えなかったけど』

 翔君……。そんな……!

 わたしの見開いた目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。



patipati

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16/07/20 更新
やっと、問題の核心が見えてきた沙夜です。
あと二回、どうぞお付き合いくださいませ〜。