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〜〜 side 翔平 in NY 〜〜



『ショウ、ショウってば、ああ、ダメェ』
『今は、名前を呼ぶな』

 熱を帯びた身体が、甘いあえぎ声を漏らし始めた女の身体を組み敷いている。唇から漏れる声をふさぐように口付けながら、豊かな肉体を好きなように弄ぶ。
 気持よさそうに目を閉じて、四肢を投げ出している女のブロンドをこぶしに巻きつけたまま、乱暴に膝を割り込ませ、さらに脚を広げさせた。

『ああん、ショウ、ショウ!』

 女が引き攣れた甲高い叫び声を上げた。その刹那、あの夜の彼女の悲鳴がかぶさるように聞こえ、はっと目を見開く。

 翔クン……! いや! いやよ、翔平! お願い……もうやめて……!

 心臓に突き刺すような痛みが走った。頭から冷水を浴びせられたように、一瞬にして酔いから覚めた心地になる。
 あの夜、俺の下で泣きながら何度も、俺の名を呼んでいた沙夜……。彼女の泣き顔が、今俺の下で身悶えしている女の顔に重なるように蘇った。愛撫の手が止まり、猛っていた身体が一気に力を失っていく。
『ショウ? どうしたのよ? 早く……』
 ふいに動きを止めた俺に、不思議そうに目を開けた女の手が伸びてきた。萎えたそれをせかすように再び愛撫し始める。触れられると、気持とは裏腹にまた反応しはじめた。ぎゅっと目を閉じ、絡み付いてくる面影をかなぐり捨てるように、目の前の白い肉体に突き刺さっていく……。

 いったい幾晩、こんなことを繰り返せば気が済むのだろう……。


『ショウって、ほんとに冷たい人ね。燃えてる最中でも、心はどこか遠くにいるみたい。あなたって、ばーっと一瞬だけ燃え上がって、燃え尽きてしまったらお終いなの? ねぇ、あたしを抱いて何も感じなかった? あなたを愛してるのよ……』

 ……I LOVE YOU。
 この言葉をこっちの女達はいともあっさり口にする。それを聞くたび、どう受け止めればいいのかわからず、眉をひそめてしまう。どこまで本気で言ってるんだ? 場合によっては、セックスした男の気を引きたいだけにしか聞こえない。
 だんだんと対応するのが面倒になり、ありふれた言葉を投げ返して終わるようになってしまった。
『もう十分だろ? 俺、眠いんだ。眠らないなら、帰れば?』
『な、何よ、わざわざ来てあげたのに、その言い方はないんじゃない!?』
『来てくれって、頼んだ覚えもないけど』
『最低!』

 横から飛んできた何かを間一発でかわすと、壁に当たったグラスが派手な音をたてて砕けた。  床に破片が散乱する。彼女はそのまま怒ったようにベッドから立ち上がり、金色の髪を振りたて、わざとらしく豊満な肉体を見せつけながらシャワーブースに消えていく。
 ハイヒールの音も高く部屋から出て行く姿を無表情に見送って、俺はベッドに上体を起こし、煙草に火をつけた。
 これでゲームセット。彼女ともお終いだな。

 こんなことばかり繰り返している自分にも、そろそろ嫌気が差してくる。
 女を抱けば確かに身体は満たされる。だが、肉体の欲求を満たした後には、虚しさと倦怠感が募るばかりだ……。


 一人きりのアパートメントで、煙草の煙にまかれながら、暗い窓の向こうに目を凝らす。ニューヨークの夜を彩る摩天楼がそびえ立つように見えている。
 ここにいると季節さえ忘れてしまう。それでもまた、秋が巡って来たようだ。
 あれから、もう八年過ぎた。
 日本を離れてから一度も会っていない。彼女もかなり変わっただろうか……。


 ……何もなかったことにしよう! ね、翔クン、約束して。わたし、今夜のことは誰にも何も言わない! ゼッタイによ!

 違う、違う! そうじゃない! 俺は……!
 耳の奥で、また彼女の言葉が蘇り、頭を振って唸り声を上げた。

 何が違うんだ? 彼女にして見れば、あれは間違いなく……。

 くそっ!

 やりきれない気分がまた襲ってくる。ぼすっと枕に顔を埋めて、歯を食いしばりきつく目を閉じた。
 気が付くと全身で、抱き締めた時の彼女の感触を思い出そうとしている。その愚かしさに、また苦笑して大きく寝返りを打った。

 いつまで、こんなことを繰り返していれば終わるんだろう?
 いつか、終わる日が来るだろうか……。

 そのまま行けば、沙夜に会いに行く勇気は、まだまだ出なかっただろう。
 きっと……。


◇◆◇


 悠々と水を湛えたハドソン川の面が、午後の陽を浴びて青く反射して見える。
 ロウアー・マンハッタンに位置するワールドフィナンシャルセンター。世界経済の中心、ウォール街から続くこの場所には、金融の中枢グループが大挙して居を構えている。その中に、メリル金融グループのオフィスもあった。一介の東洋人に過ぎない俺がここに入れたのは、大学のコネクションと、日本から中国にいたる東洋圏へのビジネス拡大に対する上層部の関心の高さゆえだ。


『ハイ、ショウ! 聞いたわよ、あなた、マリアン・ルイスを振ったんですって?』 
 遅い昼食代わりのハンバーガーとスターバックスコーヒーのカップを手に、デスクのモニターを睨んでいた俺の背後で、呆れたような女性の声が響いた。
 危うくコーヒーを吹きそうになり、慌ててデスクに置くと、ごほごほとむせながら振り返った。頭上から、さらに威圧的な調子で畳み掛けられる。
『少し前から彼女、かなりヒステリックだったけど、あなたとうまく行ってなかったせいなの?』
『……ミス・ルイスとは、そもそも最初から、振るとか別れるとかいう関係ではなかったと思いますが……』
『まったく! 同じ管轄内で、女性とのトラブルは控えなさいって前にも言ったでしょ? この見かけによらぬプレイボーイ!』

 しれっと言い返した俺に、ビジネススーツをぴしりと着こなした女性主任が、眉を上げて言い放つ。
 普段ならこんなことでわざわざ話しかけたりしない。何か重要な用件があるらしい。そう察知して、素直に立ち上がった。

『それで、ご用件は何でしょうか?』

 殊勝な顔でお尋ねすると、顔を貸せとばかりに、顎を奥の方へしゃくった。おとなしくついて入ると、デスクに部長が座って書類をめくっている。
 何かへまでもやらかしたか? マリアンの件以外、特に身に覚えもないが……。
 頭の中で素早く反芻していると、意外な事を言われた。

『君に一週間ほど、東京に出張に行ってもらいたいんだがね』
『と、東京ですか!?』
 青天のへきれきのような一言に、耳を疑い問い返す。だが、それは間違いなく現実だった。
『向こうの会議に出席して、詳細な状況をこちらに直接報告してもらいたい。現時点での調査結果はこのファイルにあるから、しっかり目を通しておいてくれたまえ』
『わかりました』
 その仕事を受けた後、俺は何だか夢心地になっていた。
 ふと、視線を感じた。書類を小脇に抱えて歩く俺に、マリアンがねめつけるような目を向けているのに気付いたが、無視して通り過ぎた。


 沙夜に会える……!

 その夜から、俺の中はその思いでいっぱいになった。
 俺を見て、彼女はどんな顔をするだろう? 何と言うだろう?
 嫌がられるだろうか。あるいは、そうかもしれない。
 それに……、あのお袋さんがいたな。

 最後の醜い言い争いを思い出し、顔をしかめた。俺の存在が邪魔で仕方なかったあの女(ひと)が、良い顔をするはずはない。
 ふん、今更だろ? さくっと無視してやるさ。

 それから毎日、倍以上忙しくなったが苦痛はなかった。仕事と日本に帰ること以外、何も考えられなくなったほど……。
 そして、約一か月後……。



 東京に着いた俺は、ホテルに荷物を置いて、八年ぶりの家路についていた。
 まだ宵の口に自宅付近まで辿り着く。この辺りの町並みはあまり変わっていないようだ。

 ふと、あたりに漂う金木犀の甘い香りに気付き、立ち止まった。
 見上げると、澄んだ空に大きな白い月が浮かんでいる。

 ぶるっと身体が震えた。心臓が突然、どくどくと大きな音を立てて打ち始める。

 それが強い期待からなのか、虞(おそれ)からなのか……。彼女に会えば、わかるだろうか……。



〜〜 fin 〜〜



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16/06/20  更新