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PAGE 12


  「何だか、まだ夢の中を漂っているような気がするわ。これは本当に現実の出来事なのかしら……」
「たった今、泣き叫びながらこの腕の中で達した女の言葉とも思えないな。まだ実感が不足なら、今すぐにでもたっぷりと味わわせてやるが」
 真っ赤になって、ジェイドは思わず彼を睨みつけた。
「別に、泣き叫んでなんかいなかったわ……」
「そうだったかな?」
 面白がるような目つきで彼女を眺め、にやりと笑うと、アシュラフの手が再び足の付け根に伸びてきた。その指がエロティックな動きを再開しようとした矢先、慌てて引き剥がすように取り上げる。
「今はもう十分……。ただ抱いていて。こうしてあなたと一緒に居ることを実感したいの」
 そのまましばらく抱き合ったまま、満ち足りた愛の余韻に浸っていた。ジェイドがふとアシュラフの頬に手を伸ばして呟く。
「夢に見ていたわたしのスルタン様は、本当にあなただったのね……」
 彼がふっと微笑み、その手のひらにキスする。
「夢の中よりも何十倍も素晴らしかっただろう? 僕もそうだ。何しろ、ここに来てからずっと、君を抱く夢を見続けていたんだ。全てが現実になったとは、まだ信じられない気分だ」
「ここに来てからずっと? もう八年も前でしょう? そんなに前からだったの?」
「この地に来て、アルハンブラを訪れた日が始まりだった。それ以来、ここを離れられなくなった。アリには一言も言っていないがね」
「それは……言えないわね。他の人が聞いても、気が狂ったとしか思わないもの」
 自分の夢の話を人にしたとき受けた反応を思い出し、くすくす笑いながら応えると、彼の手が、こらっと言わんばかりに彼女を仰向けに返し、再びのしかかってきた。
「君はそんな風に笑っているが……。八年は長かった。いつまでこんな拷問のような夢が続くのかと、時には気が狂いそうになったんだぞ! 夢の中で今ここに居るかのようにリアルに君を見て、触れて口づけ、抱き締めているのに、目を覚ませば傍には誰も居ない。あの痛みと虚しさが君にわかるか? 本当に存在するのか、どうすれば現実に会えるのか、全く見当も付かないままで……」
「わかると思うわ。わたしも同じだったもの……。この一年くらいだけれど」
「ふん、一年程度なら、まだまだ軽いものさ」
「もうっ」

 冗談交じりに打ちかけた華奢なこぶしを捉えると、アシュラフは目をきらめかせながら彼女に熱く口付けた。しばらくしてようやくジェイドをキスから解放すると、満ち足りた吐息とともに微笑みかける。
「だが、ここにいれば、いつか夢に見ている運命の恋人が現れると本気で信じられた。他所に行っては駄目だと直感的にわかっていたような気がする。その感覚自体は間違っていなかったようだ」
「何度も言うけれど、わたしには、あなたの《運命》なんか動かせないわ。あなたの運命を動かすのはあなた自身よ」
「君に自覚はなくとも、もう何かが動き始めているような気がするがね」
 再び軽くキスすると、彼は身体を返してベッドの上に身を起こした。
「ルームサービスでも取ろう。病院で、あの食事ともいえない代物を少し腹に入れたきりだったからな」


 いつの間にか夜になっていた。
 ルームサービスの食事が届くと、二人とも素肌にガウンをまとっただけで、のんびりと会話しながらそれを食べた。二人きりで、数時間前に命を狙われたばかりとは思えないほど満たされて、完全にくつろいでいる。

 だが次第に現実が立ち戻ってくるにつれ、ジェイドはくつろぎながらも内心、いつになったらインタビューできるのかと気に掛かっていた。そもそも、インタビュアーとして、その対象となる相手とこういう関係になってしまったこと自体が大問題で、倫理観から来る微妙な良心の呵責も感じている。

 会話しながら、徐々に黙りがちになっていくジェイドに、彼も察したらしい。お茶を飲みながら、皮肉に眉を上げてこう言った。
「それじゃ、気がかりな君の宿題をまず先に、片付けてしまうことにするか?」
「こ、この格好のまま?」
 ジェイドは驚いた顔で素肌にまとったタオル地のガウンに目を走らせた。彼の目が面白そうに光る。
「この格好だと、何か不都合でもあるのかい?」
「別に……、ないとは思うけど。あなたの撮影だけ、後でするしかないわね」
「やむを得ないだろう。我が生真面目な恋人殿は、任務完了まではベッドに戻ってくれそうにないからな。その代わり、終わったらまたたっぷりと奉仕してもらおう」
「なっ、何を言って……」
 つい赤くなってしまうジェイドを見ながら、彼が愉快そうに笑い出した。もう、まったく……、と呟きながら、ジェイドも立ち上がると、食事のワゴンを片付け、インタビューの準備に取り掛かった。


◇◆◇  ◇◆◇


『最後にあなたのメッセージを、ワシントンから世界に、そしてあなたの祖国にお伝えください』
『……今こそ、我が全ての同胞に伝える。わたし達は預言者の名のもとに、新たな時代との新たなる契約を交わすべき時を迎えている。古い時代の因習とくびきから解放され、全国民が平等な権利と自由な環境の下で、先進諸国と伍していける祖国となることを、心から願っている……』


「とても素晴らしい内容だったわ、アシュラフ。今こそ、あなたは真の王になるための大事業の端緒についたのよ。とても難しいことだけど、あなたならきっとできる」
 録音を終えると、ジェイドは惜しみない賞賛の目を彼に向けた。実際、今のインタビュー内容だけを聞いても、彼が即位すればどれほど英明な君主になるか、その可能性は十分見て取れる。
 だからこそ、旧体制を維持したい権力中枢が、卑劣な方法を使ってまで彼を排除したのだろう。
「君のお陰だな、ジェイド。我が国情を知りながらも、いたずらに惰眠をむさぼっていた僕を目覚めさせてくれたのは、君だ。我がファム・ファタルよ……」
「アシュラフ……、あなたに会えて、本当によかった。この出会いは絶対に偶然ではないわね。過去のわたし達が、今のわたし達を呼び合ったのかしら」
「そして、過去のどの時にも増して、今の僕は今の君に夢中になっているよ」
「ああ……アシュラフ」
 目を伏せたジェイドを愛しげに見つめ、彼は彼女を引き寄せると顔を上げさせ、柔らかな唇に再び深く口付けた。まるで、呼吸と同じくそうせずには居られない、と云うように。


 それから、ジェイドは録音した音声ファイルと合わせて、簡単な休職願いのメールをつづると、ワシントン・ヘラルド社の上司に向け両方を同時に送信した。
 とにかく、これで与えられた仕事は何とか終わった。心底ほっとしながらアシュラフを振り返る。彼はすぐ後ろで、彼女の作業をじっと見守っていた。
「たった今、インタビュー内容を本社に送信しました。これでとりあえずオーケーよ」

 無事に終えた今、予想よりも遥かに大仕事になったことを実感していた。そして、怒涛のようだった一日の疲れがどっと押し寄せてくるようだった。
「本当に大変な内容が込められていたわね。あなたの祖国へのメッセージは、わたし達の新聞とインターネットを通して、全世界にたちまち伝わるわ。この記事は宣戦布告になるかもしれないわよ。これまで息を潜めてあなたの帰国を待ち望んできた人達が、動き出すような予感がするの」
 ふーっと大きく息をつくと、彼は皮肉な微笑を浮かべた。
「とにかく。これで、君がアメリカからはるばるやってきた用件は終わったと言うわけだ。それで、これからどうするつもりだ?」
 その声に緊張感が漂うのを感じ、ジェイドはわざとはぐらかすように微笑み返した。
「そうね、疲れたからゆっくりと眠りたいわ。幸い、ここには素敵なベッドもあるし」
「それは同感だな。このベッドは我が赤い城の中世のベッドより、はるかに寝心地がいい」

 すかさず切り返され、思わず吹き出した。だが、彼の顔を見つめているうちに、心臓が激しく脈打ち始める。


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13/11/26 更新