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PAGE 13


 彼の視線に耐えられなくなり、ジェイドは咄嗟に目をそらすと、鏡台に近付き籠に盛られた果物からぶどうの房を取り上げた。
 それを手で弄んでいる彼女を見て、アシュラフは背後に立つと、彼女の手から一粒取り上げ、彼女の口に運んでやる。口の中に瑞々しく甘い果肉の味わいが広がった。彼も一粒口に含むと、ふいに両手で彼女を包んでいるガウンの前身ごろを無造作にはだけてしまった。はっと強張り、慌てて胸元を隠そうとした手を押さえ込むように、自分の浅黒い腕を回す。
 そうして、鏡に映った果実と同じくらい瑞々しく白い豊かな乳房をじっと見詰めた。鏡の中の黒い目に、先ほど交わした炎のような情熱が再び燃え上がっているのを見て取り、ジェイドは自分が燃え盛る溶鉱炉の前に立たされているような気がした。この強い腕の中で今にも燃えくずれてしまいそうだ。それでも、あえてまだ政治の話を続けようとした。

「あなたは……、やっぱり祖国に帰るべきじゃないか、と思うわ」
「……おやおや。僕の今生の恋人は相当な頑固者だな。もう仕事は終わったのに、まだそんな話がしたいのかい?」
 揶揄しながら、大胆な褐色の手がわざと乳房の下の感じやすい滑らかな肌を愛撫し始める。そんな彼を怒ったように睨むと、ジェイドは鋭い口調になった。
「だって……、とても大事なことでしょう? あなたにとっても、あなたの国民にとっても」
「……ふむ、それで? 聞いているよ。続けて」
 にやっと笑ってむき出しの滑らかな肩のラインを唇で辿り始めた彼が、意地悪く続きを促す。
「い、今のサマールの状況、わたしも色々と調べてきたのよ……。将軍は王家の権威を利用するだけして、横暴な専制政治を続けている。国民は皆怯え、希望を失っているわ。平和で豊かだったあなたの国を取り戻すためにも……、あっ……」

 そう言っている間にもガウンの紐が解かれ、下に落とされる。今度こそ完全に露にされた美しい裸身が、鏡に映っていた。
 彼の片方の手が乳房を覆い、もう片方の手は魅惑的な曲線を描く腰を這い下りて、脚の付け根の茂みに指が二本滑り込んでいく。はっとした途端、しびれるような快感が身体を駆け巡り始め、もはや唇から漏れるのはあえぐような息遣いだけになった。
 身体に回された腕にぐっと力が入り、抱き寄せられ唇で口をふさがれる。それ以上話し続けることはもはや不可能だった。熱い舌が口の中に滑り込んできて、エロティックな動きで秘所を愛撫する指と調子を合わせて出し入れされると、もはや身もだえする以外何もできなくなってしまう。

 しばらくそうして言葉も出せずにいる彼女を思いのままに弄んでから、彼はやっと顔を上げた。
 目に涙を浮かべて全身を震わせている彼女の顔を覗き込んだ彼自身も、興奮のあまり爆発寸前まで高ぶっているようだ。耳元でかすれた声が脅すように唸った

「君の声はなぜこんなに耳に心地よく響く? 聞き惚れているうちに、やればできるのではないかという気になってしまう。実に危険だな。これ以上、何も言えなくしてしまおう」
「アシュラフ……」
「ジェイド。スルタンに捉えられた金色の乙女よ。その瞳も碧、かつてと同じだ」
「まぁ、そうだったの?」
「知らなかったのか?」
「夢の中で、自分で自分の目を見ることはできないもの」
「なるほど……」

 思わず二人そろって噴き出した。間髪入れずに、彼がジェイドを両腕に抱き上げた。今度は躊躇なく彼女もアシュラフの胸にすがりつき、満ち足りた微笑みを浮かべながら顔を上げる。
「お好きになさって。あなたなら構わないわ……」
「怯えることはない。君が嫌がることはしないと約束しよう。まだこの夜は始まったばかりだ。今は僕に全てを任せるんだ」


 気が付くと、あの夢のシーンそのままに、一糸まとわぬ姿で大きなベッドに横たえられていた。彼の指先の魔力にかかり次第に朦朧としてくる意識の中、ガウンを脱ぎ捨てた彼が、猛々しいその肉体で自分を完全に支配する。その刹那を身を震わせながら待ち望んでいる自分が居た……。
 けれど、彼はすぐには身体を重ねて来なかった。しどけなく伸ばされたジェイドの脚を撫でながらかがみ込むと、ふくらはぎを持ち上げ、その柔らかな内側に唇を押し当てる。びくっと震えて目を見開いた彼女に、いたずらっぽく微笑みかけ、膝の裏から腿の内側まで丹念に愛撫していく。だんだんと敏感な部分に唇が近付いてくると、本当に気が狂いそうになる。
「ああ、アシュラフ、アッシュ……、もう駄目、もう……」
「まだだ。まだ耐えられる。僕達の本番はこれからだ」
 その声と手と唇のもたらす恍惚の境地に浸りきっているうち、とうとうエクスタシーの大波が襲い掛かってきた。全身をがくがく震わせながら、一生懸命手を伸ばすと、ようやく重ねられた力強い体にすがりつくように抱き締める……。


   心から存分に愛し合った後、二人は夢の中の二人がそうしていたように、窓から差し込む銀色の月光の中に裸身を寄せ合い、くつろいだ。
 そうしながら、再び思う存分唇を求め、ゆったりとした動きでジェイドの全身の敏感な部分を探し出しては、時間をかけて互いの悦びを徹底的に引き出し、感じ合う愛の高まりの中で恍惚となる……。



◇◆◇  ◇◆◇


 それから二人は警察の警護を受けながらそのホテルを出ると、グラナダ空港から密かに空路をマドリードへ移動した。そこで再びホテルに潜伏し、記事が出るまでの数日間をひっそりと、しかし存分に楽しみながら過ごした。
 ジャグージを二人で使い、愛し合い、食事を一緒に取り、そして過去から未来にいたるあらゆることを話し合う。何より募っていた全ての思いをこめて、ベッドで長い時間をかけて互いを発見する。
 これこそが、自分達がこの世に生まれてきた意味であり目的だと、心の底から思えるほどの、かけがえのない時間だった。ジェイド自身、今まで恋愛にあまり興味がもてなかったから、恋のために、人生の全てを棒に振るような人間心理など、到底理解できないと思っていた。だが、今では彼らの気持もよくわかる。彼女自身、数日間をアシュラフと共に過ごしながら、このひと時のためなら、記者としての全てのキャリアを投げ出しても惜しくはない、とさえ感じていたからだ。

 新聞社からはもちろん、再三にわたる帰国要請メールが入っていたし、上司達からかなり心配されているのもわかっていた。しかし、彼女は安否を気遣うメールに、いつも自分は大丈夫だから、とのみ伝え、プライベートな理由で、社に迷惑をかけることを心から詫びた。だがそれ以上は何も告げようとしなかった。



 ついに、ジェイドのインタビュー記事がワシントン・ヘラルド紙の近東特集トップを飾ったことが伝えられてから、さらに数日後の夜……。
 アリ・ザイードが数人の男達と共に、周囲の様子を伺いながら密かにアシュラフの滞在するホテルの部屋を訪れた。

「旦那様! ワシントン・ヘラルドに掲載されたインタビュー記事を読んだアメリカ、フランス、そしてイギリス在住のサマール王党派の者達が密かに結集し始めているとの連絡がございました。この者達がぜひ、旦那様にお会いしたいとのことでございます!」

「アリ……、まずは落ち着くことだな」
 肘掛椅子に座ったまま、アシュラフは無表情に執事を見やった。お茶を淹れながら、ジェイドも息を潜めて二人を見守る。
「それは確かに信頼できる者達からの情報なのか? 曖昧な情報に踊らされれば、無駄に命を落とす羽目になるだけだぞ」
 あくまで冷静に対するアシュラフに、執事が珍しく熱くなって訴えてくる。
「もちろんでございますとも! 殿下も覚えておいででしょう。先のシークの侍従長だったムハンマド、あと、わたくしの弟のラシードや甥も参っております。実を申せば、これまでも彼らと定期的に連絡を絶やさずにおりました。反将軍派の抵抗勢力は、今も殿下を王家の旗印と仰いでおります。殿下にお伝えしたい国内の陳情もこのように……」
 彼は持参した鞄から、分厚い紙の束や写真をまとめたファイルを引っ張り出した。彼はそれを受け取り、黙って一つ一つ見ていった。どれほどの時間が流れただろう。次第に表情が深刻になり、何か考え込むようにじっと沈黙している。

「それから……。殿下、これもお持ちいたしました」
 ようやく彼が紙片から目を上げると、その様子をつぶさに見ていたアリ・ザイードが、思い詰めた顔で鞄の中から、さらに何かの楽器ケースのようなビロードの箱を取り出すと、彼の前に恭しく捧げた。
「長らくお預かりして参りました。しかし今こそ時機到来、これをお取りいただく時かと思われます」
 見るなり、アシュラフの顔色が変わった。目を見開いたまま、躊躇するように動かない。肘掛け椅子の肘付きにかけた手が、ぐっと緊張しているのが見て取れた。

「八年……。大層長い年月でございました。実を申せば……、皆、あなた様がそのお気持になってくださることを、一日千秋の思いでお待ちしていたのでございます」

 アシュラフ殿下、シーク・アシュラフ!
 今、我が国を救えるのは、貴方様だけなのです!

 アリの言葉に、目に見えない群集の叫び声が折り重なって響いてくるようだった。アリは目に涙を浮かべそう訴えると、王の裁可を待つ臣下のように緊張した面持ちでじっと彼を見つめている。その背後に、もっと多くの、現在にも未来にも希望の持てずにさまよう国民達の、切実な姿が浮かび上がって見えたような気がした。
 ジェイドはただ固唾を呑んでアシュラフを見つめていた。この叫びに、彼は一体どう応えるのだろう?


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13/12/01 更新
簡単なあとがき、ブログにて。