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PAGE 15


「十年ぶりぐらいか? 最後に会ったのは王宮の閲兵式だったな、ジャルディン……。君はアブドゥラ将軍の片腕となったそうだが、ここに来た用向きは何かな?」
 くつろいだ雰囲気の中にも、寸分の隙もない鋭い眼差しを向けられても怯むことなく、その男は顔を上げ、大胆に切り出した。
「ご心配なく。もとより武器は持参しておりませぬ。しかし、事と次第によっては、あなた様が我が国に入国され次第、逮捕することも考えながらやって参りました」

 一歩また一歩と王子に迫ってきた男が、ふいに微笑んでそう言ったので、また場内が騒然とした。だが、アシュラフは動こうとした周囲を手で制し、その男をまっすぐに見据え、続きを促した。

「それで? ジャルディン副将軍。今でも国境を越えた途端、わたしを逮捕されるおつもりか?」
「いいえ、もちろんそんなつもりはございません。あなた様もすでにご承知のように」
 それは静かな決意に満ちた声だった。
「あなた様の先見力とお覚悟の程がわかり、感嘆いたしました。この命に代えて、殿下をお守りいたします」
 ジャルディンが忠誠を誓う儀式を終えると、アシュラフは彼を立ち上がらせ、西洋式の固い握手を交わした。

 ジェイドは詰めていた息を大きく吐き出した。緊張が解けた反動で、眩暈さえ覚える。背筋をまだ冷たい汗が伝っていた。言葉はよくわからなかったが、沸き立つ周囲に混じってジェイドもまた、アシュラフがたった今、最大の危機を乗り越えたこと、そして勝利への大きな布石を手に入れたことを実感していた。


◇◆◇  ◇◆◇


 さらなる綿密な打ち合わせが続く中に、副将軍がもたらしてくれた王宮内部の情報ははかりしれない力となった。
 静かなる政変(クーデター)。その目標は、アブドゥラ・ハジャイル将軍とその傀儡参謀達の捕縛。そして、正統な王による新政権の樹立……。


 ライトを消して車で夜にまぎれて密かに移動した。見張りの兵達とともに国境線を見回った後、宿営のテントを張り、割り当てられる。これから起ころうとしている事態を考え、ひどく緊張しながら、ジェイドはテントに入ってきたアシュラフに寄り添った。彼の力強さだけが頼りだというように。

「ここはもう我が国に隣接しているんだ。少し外へ出てみないか?」
 彼に連れられ、一緒に外に出ていった。
 どこまでも続く砂漠の夜空には、ジェイドがこれまで見たこともないような、降るような星が瞬いていた。
 満天の星々と果てしなく続く砂の平原。その光景は永遠の昔からの荘厳さそのもので、見ているうちに畏怖の念さえ沸き起こってくるほどだ。
 アバヤの下でぶるっと震えた彼女を抱き寄せ、アシュラフは微笑んだ。

「夜の星と月は、我々を導く道しるベだ。砂漠では灼熱の太陽はすなわち死を意味する。古来より夜の月明かりを頼りに、移動してきたからな」
 二人はしばらく黙って星空を見上げていた。その感覚は時空の束縛の中に生まれてきた者が、ふいに時空を超越した『永遠』そのものを垣間見たような畏怖の念、とでも言えるかもしれない。ジェイドはアシュラフにもたれたまま小さく震えていた。
 アシュラフがふいに彼女の身体を離し、顔を覗き込んできた。唇が優しく重ねられる。顔を上げたとき、彼はひどく真剣な思いつめた表情になっていた。

「ジェイド、ついてきたことを後悔していないか? 君のご両親もさぞ心配しているだろう?」
「後悔なんて絶対にしないわ。あなたはわたしの誇り、わたし自身よ。どうして急にそんなことを言うの?」
「急に、ではない。もっと早くにこうするべきだったのに、できなかった……。君を離したくなくて、ずるずるとこんな辺境地まで連れてきてしまったのは、僕の身勝手だ」

 どういう意味? まさか、わたしを連れてきたことを後悔しているの?
 はっと表情をこわばらせて見返したジェイドを無言で抱き寄せ、彼は夜空を見上げて大きく息を吸い込んだ。

「君は明日、アメリカに帰るんだ」
 アシュラフ?
 ジェイドは驚きのあまり、抱擁から身を振りほどいて彼をまじまじと見返した。
「冗談でしょう? いや! 絶対にいやよ! 離さないって言ったじゃない。どうして突然そんなことを言うの? もうわたしが要らなくなったの?」
 ふいにその可能性を微塵も考えなかった愚かな自分に気付き、彼からまた一歩後ずさる。
「答えて。もうわたしに飽きた? お国に戻れば、もっと素敵な女性がたくさん待っているから?」
「馬鹿なことを言うな! 今だって、僕がどんなに君を離したくないか、まだわからないのか?」
「だったらどうして……?」
「………」

 無言で身体が折れるかと思うほどきつく抱き締められると、どくどくと脈打つ心臓の音が聞こえるほどだった。彼の痛いほどの思いが全身から伝わってくる。泣きそうになるのを何とかこらえ、顔を上げて、彼の表情を覗き込んだ。
「もしかして、外国の女を連れていては不都合? そうなのね?」
「不都合なんてものじゃない。この先は純粋に危険なんだ。命にかかわるからだ!」

 彼の震える声が、砂漠の夜の空気を裂いて響いた。何とか落ち着きを取り戻そうとしているように、はぁ、と大きく息をつく。
「国境をこえれば、すぐにも内戦に突入するだろう。そして、サマールにはまだまだ保守的な人間も多い。外国人が安全に暮らせるという保障は皆無だ。もし万が一、君が入国して将軍派の人間に捉えられでもしたらどうする? たちまち命の危険に陥るだろう。過去世と同じ過ちは二度と犯せない。君の身の安全を考えたら、当然の結論だ」
「その結論に、わたし自身の同意は含まれているの?」
 正論ではあるが、一方的な男の論理に反発を覚え、彼女は昂然と頭を上げて見せた。
「わたしなら大丈夫。外に出るときはいつも、このアバヤをかぶっていれば、顔なんかわからないでしょう?」
「もう君だけの問題ではないだろう!」
 彼がふいに大声をあげると彼女を引き寄せ、腹部を手のひらで愛しげに撫でたので、ジェイドもはっとする。
「まさか……、気付いていたの?」
「もちろんだ。僕の目にも、君は痩せたし、気分が良くないのをずっと我慢しているようだった。疑っていたが確信は持てなかった。だが、一度キャンプの裏で、君が食べたものをもどしているのをアリが見つけて、報告してくれたんだ。これは決定的だと思った。同行させても大丈夫なのか、と何度も言われたが、離すことができなかった。ここまでは……」
「アシュラフ」

 ジェイドの声が震えた。彼はわかってくれていた。そうと知って安堵の涙がこぼれる。

「君を愛している。我がファム・ファタルよ。君をもしまた失うことになったら、たとえ国を取り戻しても何になる? だから、この先は安全な場所で、僕の子供を産んで待っていてほしい。どれぐらい時間がかかるかはわからないが、必ず迎えに行く。子供を育てながら、僕が行くのを待っていてほしい」
「必ず迎えに来てくれるのね? 本当ね?」
「もちろんだ。今も、僕がどんな思いで君を手離そうとしているか、わからないのか?」

 彼の声も震えている。まるで激しい痛みをこらえているようだ。つらいのはわたしだけじゃない。わたしと、まだ見ぬ子供を愛してくれているからこその決断なのだと、ジェイドにもその時はっきりとわかった。

「それで、子供にはどんな名前を付けたらいいのかしら?」
 あきらめにも似た気持で、問いかけた彼女の顔をまじまじと見て、アシュラフがやっと微笑みを浮かべた。それはとても美しく、哀しげな笑顔だった。
「男ならユースフ、女ならジャスミンと……」
「わかったわ。アメリカであなたを待っているわ。でも必ず連絡をちょうだいね」
「ジェイド、我が宝石、我が命よ……」
 彼の腕が再び痛いほどジェイドの身体を抱き締める。


 その夜、満天の星の下に張った天幕の中で、二人は永遠の時をたゆたうように、愛を交わし合った。
 力強い腕にしっかりと抱かれたまま眠りに落ちる直前、ジェイドは、かつて見ていた天幕の夢が現実になったわ、と、微笑みを浮かべて呟いた。


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13/12/09 更新
簡単なあとがきを、ブログにて。