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PAGE 16


 彼から、遠ざかっていく……。

 ジェイドとアリ達が乗った4WD車を見送る王子の姿が、次第に涙でぼやけて見えなくなっていった。
 泣いては駄目よ、泣いている場合じゃないでしょう……。しっかりしなくちゃ。
 そう何度も呟きながら、こみ上げる嗚咽を必死になってこらえるうち、市街地に入り、やがて国際空港に到着する。
 航空券の手配を済ませると、アリ・ザイードはジェイドに真剣な顔で向き直った。


「アシュラフ様は、これから我が国のシークとして、多くの困難を越えていかなければなりません。そして王となられても、国家を統治なさるにはまだまだ多くの問題が待ち構えております。そして殿下が王になられた暁には、王妃を迎えねばならないのですが……」
 ジェイドは蒼白になって目を見開いた。彼の言いたい事は直感的にわかったが、黙って続きを待った。しばらく沈黙していたアリが、言いにくそうに咳払いしながら、ついに口を開く。
「王妃にはおそらく、今協力関係にある隣国シークの姫君、ファーティマ王女をお迎えになるでしょう」
「………」
「すでに内輪では、ファーティマ様との結婚話も囁かれ始めております。アメリカでは考えにくいかもしれませんが、不安定な国の情勢を維持するためには、昔ながらの姻戚関係も未だ力を持つ土地柄です。まして、アシュラフ様を支える勢力はまだまだ脆弱です」

 がんがんする頭で、アリの言わんとすることをようやく聞き取ったが、ジェイドは頑なに首を横に振った。
「アシュラフは待っていてくれ、と言ったわ。わたしはアメリカで彼を待つつもりよ」
「それはご自由ですが……。しかし、お待ちになっていても無駄でしょうな。アシュラフ様お一人で、アメリカ人であるあなた様を后に迎えることは、今の国情では不可能でしょう」
「それでも勝手に待っているわ。ご心配には及びませんから」
「ではせめて、これをお持ちください。お腹のお子様のためにも……」
 示されたのはユーロの小切手らしかった。それを見てまた呆気に取られ、思わず眉をひそめてしまう。
「まさか。結構よ。それは彼のために使って」
 頑なに拒む彼女に、アリ・ザイードは「やはり……」と微笑んだ。その時アナウンスが流れ、はっとする。
「時間だわ、行かなくては」
「あなた様にお会いされて、殿下は本当に変わられました。殿下をここまで導いてくださったこと、心から感謝しております」
「わたしも彼に会えて、彼を愛して、本当によかったと思うわ。あなたもどうかお元気で。彼をしっかりと守ってあげてね。彼に何かあったら承知しないわよ」

 アリ・ザイードが王子のために言っているのは、とてもよくわかった。いかなる時も彼に忠実なこの家令を嫌いになることなどできなかった。微笑み交わし、二人は同志のように固く握手をして別れた。
 その飛行機に乗ることは、愛する男から永遠に遠ざかるにも等しいことで、ジェイドの足取りはひどく重かった。だがそれでもしっかりと前を見て歩いた。
 もしかしたら、これが今生での、彼との別れになるのかもしれない。時は巡り、二十一世紀になっても、やはり国家の壁、民族の壁は乗り越えられなかったようだ。

 それでも……。
 飛行機のシートに腰を落ち着けると、ジェイドはふーっとため息をついて少し丸みを帯びた気がするお腹を撫でた。
 少なくとも、自分はもう一人ぼっちじゃない。彼との愛の結晶が、今しっかりとわたしの中に宿っているのだもの……。

 そう。だからあの、可哀想な女奴隷よりは、ずっと幸せな結末よね……。

 長いフライトの間中、毛布の下で滝のような涙を流しながら、抜け殻になった自分の気持を必死で奮い立たせようとしていた。



◇◆◇  ◇◆◇


「まったく……、我々がどれだけ心配したかわかっているのかね、ジェイド・ウォーレン、君は……」
 ワシントンに戻り、ヘラルド社に挨拶に行くや、上司達から安どの混じった飛び切り皮肉な文句の総攻撃を受ける羽目になった。迷惑をかけたことを侘びる彼女に、
「まぁ、しかしだ。君は確かに、予想以上の飛び切りの仕事をしてくれたよ」
 と慰労の言葉がかけられる。事実、インタビューの反響は大きく、アシュラフを支援する声は後を立たなかった。
 復職すると、またあわただしい日々が戻ってきた。ジェイドは最愛の男性を失った悲しみを何とか乗り越えようと、これまで以上に熱心に仕事に打ち込んだ。


 そして、ついにサマールで政変が起こったというニュースが流れると、生きた心地がしない日々が続いた。数週間の後、ついにアブドゥラ将軍達が逮捕され、アシュラフ王子が王位に付くというニュースが流れた。
 テレビやネット映像に出た堂々たるサマールの王となったシーク・アシュラフの姿に、アメリカ、そして世界の世論が心からの拍手喝采を送った。
「ついにやったわね。あなたなら、きっとできると信じていたわ……。ほら、赤ちゃん、あなたのパパは、とうとう王様になったのよ」
 ジェイドも、自宅で録画した彼の姿を何度も見ながら、お腹の子供にそう語りかけていた。ただ、しばらくは、彼の映像を見るたびに涙が洪水のように溢れてくるのを、どうしても止められなかったが。

 彼はインタビューで語っていたように、自身の描いていた改革をひとつひとつ果敢に着実に断行していった。自ら先頭に立ってサマールに基幹産業や工業を興し、道路を作り、国内の諸インフラを一つ一つ整備しているらしかった。そして国民の教育問題も。
 しかし、その道が果てしなく困難な事もよくわかっていたし、時に保守勢力の抵抗報道が流れると、冷やりとすることもあった。

 数か月が過ぎ、お腹は誰の目にもわかるくらい大きくなった。周囲からそれとなく尋ねられたし、社内で色々な憶測が飛び交っているのも承知していたが、ジェイドは父親のことには固く口を閉ざしていた。
 だが、王として即位した後も、彼からは何の連絡もない。
 いくら忙しくても、連絡くらいくれてもいいのに。それとも王様になってしまったら、こんなアメリカ女のことなんか、さっさと忘れてしまったの? 子供のことも?
 そうやきもきしていた矢先、インターネットニュースの記事を見つけ、衝撃が走る。

 それは、隣国との国境地帯の鉄道敷設工事施工式に参加しているアシュラフと、隣国のファーティマ王女の映像だった。王女は黒髪に黒い目の、豊満な肉体を持つ美しい女性だった。数分の動画の中で会話する二人は、どう見ても睦まじい関係に見える。さらに駄目押しのように、二人の婚約は国家間に大いに歓迎すべきこと、などと、喜ばしげなコメントがついていた。

 ジェイドはフリーズしたように長い間、空(くう)を見つめていた。そう……。だから連絡がなかったのね。
 ようやく納得が行くと、唇からふーっと深いため息が漏れた。そのままコンピュータを落とし、完全にあきらめたように微笑む。頬に涙が一筋伝い落ちた。
「……やっぱり無理だったわね。どうかお幸せにね、アシュラフ……。でも、それでもわたしはあなたを愛しているわ」


 それから二か月後、彼女は男の子を産んだ。彼と同じ、黒髪と黒い目のハンサムボーイを……。


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13/12/11 更新
短めですが切りがいいので。次回、ラストです〜。
明後日更新予定ですので、あとがきはその時にまとめて…。