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〜 再会の季節 〜


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 夜の渋谷駅前、いつもの交差点……。

 顔を上げると林立する広告塔がまぶしい光の洪水のように目に流れ込んでくる。秋の満月さえ、晴れた夜空に忘れ去られた明るい街頭……。
 もうかなり遅い時刻だというのに、雑踏はまるで絶えることがない。今日二十四になったばかりのわたしは、ぼんやりと行き過ぎる人波を眺めていた。

 派手な服、化粧も気合が入っていても、顔立ちは幼い少女達もいる。この子達も家に帰りたくなくて、何となくここに紛れているのだろうか。
 孤独な群集……。どこかで聞いたフレーズがふと頭をよぎった。

 何よ、自分だってその一人じゃない。
 絵里、あんた、いつまでこんな所にいるつもりよ。
 もう誰が来てくれるわけでもないのに……。

 そう自嘲気味に呟いたとき、背後から見当違いの声がかかった。
「きれーなお姉さーん、おひとり様ー? なら俺達につき合わねー?」
 ちらっと目を向けると、金茶髪の軽そうな青少年が二人、ポケットに手を突っ込んでニヤニヤ笑っている。
「結構です、待ち合わせ中なの」
「へー、でもお姉さん、もう三十分もここにいるじゃん。すっぽかされたんじゃないの? そんなのいつまでも待ってないで、俺らで手ぇ打たない?」
「打ちません。向こうに行って」
 道行く人がじろじろ見ながら通り過ぎていく。だんだん腹が立ってきて、相手を見下すように冷たく睨みつけると、バッグを持ち直してその場を離れた。おとといおいで。あんた達に構うような絵里さんじゃないわよ。
 けれど、そんな勢いもすぐに深いため息に替わる。
 本当にバカ。男見る目、カケラもないじゃない……。



「絵里、悪いな。実はマエカノにできちゃってたんだよ。久し振りに会ったときの、ちょっとした出来心だったんだけどさ。どうしようって泣き付かれて、向こうの親にまでばれちまって……」

 呆気にとられ、わたしはよく知っていると思い込んでいた男の顔をまじまじと見返した。
 洒落た店内に流れる音楽も、バクバクと唸り始めた心臓の音にたちまちかき消される。ようやく事態が飲み込めると、わたしは黙って立ち上がった。
「ごめんな、絵里。俺、本当にお前のことも……」
 未練がましく手首を掴んできた情けない男を見下ろすわたしの目には、おそらく何の感情も宿っていなかっただろう。淡々とした声が応えていた。
「ねぇ、最後に一つ聞くけど、あなた、今日がわたしの誕生日だって覚えてた?」
 相手はぎくりとしたように沈黙した。わたしの唇に飛び切りの微笑が浮かぶ。
「よーくわかった。サヨナラ、最低男さん」
 言うが早いかテーブルに置かれていた一口付けただけのカクテルを、相手の顔にさっと振りかけた。彼が上げた悲鳴も無視し、支払いもせずに、わたしはさっさとその場を後にした。どうせもう二度とこの店に来ることはない。
 何が『マエカノ』よ! 別れてなんかいなかったくせに!

 ひんやりとした夜風が、身体に心地よく染み通ってくる。沸騰した頭が徐々に冷えてきて、ささくれだった心を『常識』がとりなし始めた。
 まぁね、こんなこと、よくあるらしいじゃない。世間では……。
 結局、一番腹が立つのは、向こうが言い出すまで二股かけられていたことに気付きもしなかった自分に対して、なのかもしれない。あんな男を好きだと思って、友達にあれこれ打ち明け、密かに未来まで描いていたなんて……。
 なぜか涙は一滴も出なかった。ただ虚しいだけ。最低男は同じ会社の先輩だから、月曜からまたいやでも顔を合わせる。でも今は思い出したくもなかった。
「マエカノ……ね」
 むかつく言葉を自嘲ぎみに呟いたとき、それに呼応するように、もうすっかり忘れていたある名前が、脳裏に浮かび上がった。
 大庭 雄介(おおば ゆうすけ)……。
 記憶の連鎖反応。
 名前と同時に頑固な彼の性格を表すような癖のない硬い黒髪と、いつもどこか翳りのある眼が、突然フラッシュバックする。
 この一年間、ろくに思い出しもしなかったくせに、思い出した途端無性に懐かしくなるなんて、心はまったく勝手なものだ。

 雄介とわたしは大学時代、同じ専攻のクラスメートだった。
 リケジョと言えばかっこよく聞こえるかもしれないけど、女子の少ない理工系だったわたしは、必然的に男ばかりの中で四年間過ごすことになった。文系女子みたいにおしゃれで可愛げのある女の子に憧れながら、自分がそう見られることには妙なプライドが邪魔をした。
 あえて男達と自分は対等なんだと、ショートヘアにメイクもそこそこ、フリース着て実験データを手に議論ばかりしてる可愛げのない女子大生だった。

 雄介とは、とにかく同じ授業が多かった。最初は彼が声をかけてくれたんだっけ。一緒にランチして、気がついたら当然みたいにいつも一緒に居るようになっていた。共同研究発表のために、誰かの部屋で濃いコーヒーがぶ飲みしながらレポート書いたり、毎日研究室に居残ったり。ほとんど友達の延長みたいな関係だった。
 彼が好きなの? と聞かれれば、ちょっと考えて、うん、スキ、と答えていた。
 恋人なの? と問われるとそれはまったく微妙だった。
 彼のことは大好きだった。たぶん向こうもそんな感じだったと思う。境界のひどく曖昧なボーダーレス関係……。
 そう、世間で言う『友達以上恋人未満』。それが大庭雄介とわたしだった。
 だから、ボーダーレス的にわたし達は時々セックスもした。雄介が男で、わたしが女だったから。大抵お金もなかったから、ラブホなんか滅多に使わなかった。広くもない彼の下宿で、一緒にワインやチューハイを飲みながらふざけ合って、気が付くと彼の黒々とした目に吸いこまれるように唇を重ねている。
 キスしながら、いつもわたし達はそのまま服を脱いで絡み合った。カーテン越しに朝の光が部屋に差し込むまで。寒い晩は、互いのぬくもりに浸りこむように、一組しかない寝具の中でしっかりと抱き合って眠った。そうしているのは本当に心地よくて、溺れそうになったくらい。
 だから……? わたし達は離れてしまったんだろうか?


 卒業後、修士課程に進んだ雄介は大学に残り、わたしは今の会社に就職した。相変わらず無口な彼と俄然忙しくなったわたし。新しく覚えることが多すぎて、すれ違う日々の中、いつから会わなくなったんだっけ?
 特に話し合ったわけじゃなかった。いつの間にか連絡が途絶え、自然消滅みたいになっていた。
 やがてわたしは新しい環境に慣れ、同じ課の三年先輩だった口の上手な最低男に誘われて、一年前から付き合い始めた。そしてわたしは雄介を忘れた。すっかり忘れたと思っていた。

 なのに、思い出した途端、無性に懐かしくて会いたくなるから不思議なものだ。
 今のわたしにとって、雄介は『一番、一緒にいてほしい人』だった。

 まだあの部屋にいるのかな?
 そう、試しに電話してみるくらいなら……。


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14/10/23 更新
電子書籍と掲載開始のご挨拶など、Diaryにて。