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〜 再会の季節 〜


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 頭がひどくぼんやりしている。
 どうにか自室のドアを開くと、わたしはよろめきながらキッチンに立った。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、夢中でコップいっぱい飲み干した。
 着替えようとして、クローゼットの前で服を脱いだ。鏡に映る自分の身体に、昨夜の痕がまだ消えずに残っている。
 ああ、大笑いだ。わたし達はすでに痕跡も留めないほど、完全に終わってしまったのに……。
 薄いキャミソールのまま、わたしはへなへなとベッドに座り込んでしまった。
 耳の奥に彼のかすれた声がまた蘇る。思い出しても頭がくらくらするほど激しかった行為の記憶と共に、わたしの脳裏に刻み込まれた痛烈な言葉達……。

『俺の一年分、しっかり受け止めてもらわないと』
『お前にとって、俺はなんだ? 単なる代用品に過ぎないのか? そいつの』
『俺は結局、気分次第でセックスも楽しめる気楽なセフレ?』

 違う! 違う、違うの!
 心の中でそう叫びながら、わたしは激しく頭を振った。そもそも、わたしがあの最低男と付き合い始めたきっかけは、何だったんだろう。
 仕事を始めた頃の忙しさの中で、それまで当たり前に傍にいた雄介が、いつの間にかひどく遠くなっていた。忘れた振りしてごまかしてきたけど、心にぽっかりと、埋められない穴があいたような感覚は、確かにずっとあった。
 あの喪失感の正体は何だったの? 確かめることもしないまま、無理に別のものでその隙間を埋めようとしていたのかもしれない……。

 雄介の身体の熱が、どうしようもないほど肌に焼きついている。
 わたしは目を閉じて、両手で自分を抱き締めた。
 どうすればいいかわからない。我ながらひどく情けなかった。わたしはベッドに仰向けに寝そべって天井を見上げた。しばらく、学生時代の雄介とのあれこれを取りとめもなく思い起こしているうち、今更ながらに気付く。
 大庭雄介だけは、そもそもわたしの中で位置付けがまったく違っていたのだ、と。

 今頃そんなことに気付いても、遅過ぎるだろう。でも恋とか愛とかいう前に、雄介といる時の心地よさは、他の誰とも比べることはできなかった。
 だから、夕べ無性に人恋しくなったとき、どんな友達よりも彼に会いたくなったのに。
 とにかく雄介に、それだけは伝えなきゃいけなかった……。
 わたしの気持を理解してもらえるかどうかはわからない。でも、大切なことを何ひとつ言わないで、一方的に彼を利用したように思われたまま別れてしまうのは、絶対に嫌。
 無理にバイトを休んでまで、わたしの気まぐれに応えてくれた雄介。学生時代からいつもそうだった。突然何を言ってもぶつぶつ言いながら、大抵聞いてくれた。いつだってとても甘やかしてくれた。そしてわたしがしたいようにさせてくれていたんだ。
 その裏であんなふうに思っていたなんて、今の今までまったく気付きもしなかった。不器用な彼がやっと思いを伝えてくれたのに、わたしはそれに甘え倒した挙句、傷つけてしまっただけ……?
 本当、これじゃ『最低』だ。いくら雄介だって愛想尽かすに決まってるよ。

 よしっ、やっぱり……!

 衝動的にベッドから飛び起きると、わたしはバッグをかきまわしてスマホを取り出した。電話しようかと思ったけど、それはさすがに思いとどまった。
 代わりにこれだけ書き込んだ。

…………………………
雄介、夕べは本当にありがとう。
まだ怒ってるかもしれないけど、
わたし、やっぱり雄介が好きなんです
…………………………


 伝えるだけ伝えると、なんだかほっとした。
 もちろん返事はなかった。でも、今はこれで充分だから……。



◇◆◇  ◇◆◇


 それから……。
 表面的にはまたいつもの日々が始まり、以前と変わることなく過ぎていった。
 月曜日、オフィスに出勤するなり最低男とばったり出くわした。ヤツはわたしを見て、決まり悪そうな表情を浮かべたけれど、わたしの中ではあんな出来事などすでに星の彼方まで消し飛んだ後だったから、痛くも痒くもなかった。わたしは平然と、赤の他人的挨拶をしてさっさとデスクに向かった。
 それは確かに普通の日常だった。ただ、時折やみくもに落ち着かない気持に襲われる。仕事の途中で手を止めてぼんやり画面を眺めては、上司から注意されることもたびたびだった。今までこんなことは滅多になかったのに。
 最低男の結婚の噂が課内に広まるにつれ、ぼけっとしているわたしに訳知り顔の視線を向ける同僚も出てきたけれど、本当の理由を説明する必要はさらさらなかったから、曖昧にかわしていた。
 そんなことはどうでもいい。問題はわたしの中で、雄介のことばかりが日増しに大きくなっていくことだった。
 結局、わたしはあの日から毎日一回だけ、彼に書き続けていた。

………………………
今朝は少し寝坊したよ。夕べゲームしすぎた。
ちょっと反省して今日は早めに寝ることにします、おやすみなさい
…………………………
今日はバーゲンで新しいセーターをゲットしました。
結構お買い得だった。やったねvv
………………………

 こんな調子で、毎日たわいもない出来事を書き送った。他には勘違いでミスった書類の言い訳に苦労したとか、どこそこのケーキ屋の新発売のロールケーキがおいしいとか、また残業だったとか……。
 読んでいるのかいないのか、雄介からの返信は一切ない。
 スパムになってるなぁ、なんて苦笑しながら、それでもやっぱり一日の終わりにヒトコト、日記みたいにちょこっと書いてちょこっと送信した。いつかそれは、わたしの一日の終わりの楽しい日課になっていた。

………………………
会社前の街路樹が、すっかり葉を落としました。
もうすぐ冬だね。今もやっぱり寒いのはキライです
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昨日から少し風邪気味。雄介も気をつけてね
………………………
あー、今日はもう治ってた〜(^^;)
やっぱりバカは何とかかもー
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14/11/10 更新
次回、ラストです〜。