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 一日中、色々なことがあり過ぎてかなり興奮していた。それでもやはり疲れていたらしい。

 ぐっすりとよく眠り、目を覚ました時には窓辺に明るい日差しが差し込んでいた。跳ね起きて時計を見ると、もう9時も回っている。
 慌ててバスルームに駆け込み、シャワーを浴びた。ガウン姿のまま濡れた髪をブラッシングしていると、ノックがあった。
 ラファエロ? 慌てて問うと、女性のコンシェルジュだった。大きな花束を手に立っている。

「シニョリーナにお届け物でございます。カードも中に。よろしければ、そろそろルームサービスをお運びいたしましょうか?」
「え、ええ。お願いします」

 彼女が行ってしまうと、受け取った豪華なバラの花束とカードを見て、うれしくなった。バラの香りを楽しんでからカードを開く。送り主は当然ラファエロだ。
 カードには英語でバイロンの情熱的な詩が書かれていた。そして、11時にホテルのロビーで会おう、と結ばれている。


 11時なら、まだ少し余裕があるわね……。
 安心して、ルームサービスのカフェラテとハムをはさんだまだ熱いブリオッシュ、そしてフルーツサラダをいただいた。
 今日はいよいよ問題のパーティ当日。彼は上流の人だから、当然周囲もそうだろう。ああ、わたしなんかに相手役が務まるのかしら。
 また不安になってきた。でも、あんなに困っている彼のために、なんとか上手く乗り切りたいと切に思う。

 だがフォーマルなドレスなど、イタリアで着る機会があるとは夢にも思わなかったから、たった一枚あるそれもロンドンのクローゼットの中だ。あれがあれば少しはまともだったのに。モデルの端くれのくせに情けない、と悔やんでもやむを得ない。今手持ちの中で一番マシなワンピースを選ぶしかなかった。まずは髪をアップにしてメイクしてみる。
 だが、出来上がって鏡の前に改めて立つと、まるで、取り澄ましたOLという雰囲気になっていた。深いため息をつく。どんなお客様が来られるのか知らないが、会場から追い出されずにパートナーが勤まれば良しと思うしかなさそうだ。


「ルチア、準備はできたかい?」
 11時より早めにノックがあったので、飛んでいってドアを開くとラファエロが立っていた。彼女を見て、ひゅーっと軽く口笛を吹く。
「ふむ、そういうスタイルも悪くないな。でも僕としては、もう少し色気があるほうが好みだね」
 花束のお礼が言いたかったのに、つい言いそびれてしまう。
「これじゃやっぱり駄目かしら。でも、他に手持ちがないのよ」
「駄目ってことは絶対にないさ。君が着ればどんな服でも魅力的だ」

 ウィンクして笑顔になった彼も、まだカジュアルな服装だ。当たり前よね、あと数時間はあるんだもの。外に出ると、そのまま彼の車に乗せられてしまう。

「さーて、それじゃ少し早いがランチを食べて、ショッピングに行こう。ルチア、その髪、最高にキレイだよ」
「ショッピング? 何を買うの?」
「もちろん君のパーティ用のドレスさ。それも悪くはないが、僕の美意識に反するよ。いい素材は最大限に生かさないとね」



 ランチの後で、強引に連れて行かれたのは、ミラネーゼに人気のファッション・アヴェニューだった。モンテナポレオーネ通りへと続く絢爛豪華なアーケード街には、流行最先端のブランドショップやカフェが軒を連ねている。そして、ミラノ春夏デザイナーズコレクションのポスターがいたるところに貼られていた。今ちょうど開催中らしい。
 フェラガモやグッチのブティックが充実したゴージャスな通りの中ほどで、ラファエロに留められた。これまた有名なブランドブティックに入っていく。

「マダム・キアラ、昨日電話で話した彼女です。連れてきましたよ」
「お話にたがわず、お美しいシニョリーナですわね、ええ、もう候補をいくつか選んでおいたのよ。さあ、こちらへどうぞ。ああ、この髪ももう少し手を加えたらもっとゴージャスになるわ」

 ラファエロから引き離され、うきうきした調子の華やかなマダムに奥に案内されると、モデルの仕事でもめったに着られないような高価なドレスが並べられていた。それらを前に、しばし目を白黒させる。やがて、「コレが一番お似合いね」と、一枚が選ばれた。値段を聞くのが恐ろしくて、とても聞けない。
 次に、それに合うバッグ、靴、アクセサリー類が選ばれ、言われるままルシアがドレッサーの前に座ると、メイクが始まった。


 気がつくと、ひとしきり時間が経っていた。どこかに出かけていたラファエロが、正装にタイを締めて帰ってきたとき、マダムが得意そうに彼女を引き合わせた。
 ラファエロが驚きに声も出ないように、まじまじとこちらを見つめている。思わず恥ずかしくなった。仕事でもなければ絶対に着ないような、大胆なデザインのドレスだ。だが、むき出しの首筋から胸元を華やかに彩るジュエリーが驚くほど目の色とアップにした金褐色の髪を引き立てている。


「いかが? こんなに磨きがいのあるお嬢さんは、久しぶりでしたわ」
 得意そうなマダムの声も、ラファエロには聞こえないほどだった。

 ああ、彼女が欲しい!

 突然、男の本能ともいえる強烈な欲望が沸き起こってきて、抵抗しがたいほどだった。懸命に軽口を探すが、すぐには何も言葉が出てこない。

「ああ、とても……素敵だ。グラッツィエ、マダム」
 やっとこれだけ言うと、格式ばったやり方で彼女の手を取った。その手に口付けると、細い手首に巻かれた繊細な金のチェーンがかすかに揺れる。
「あなたも……、とても似合うのね。そういうフォーマルなスタイルだと、まるで別人みたい……」
 彼女も驚いたように目を見張って自分を見ている。
「今頃わかったのかい?」

 にやっと笑ってから、彼は優雅に胸に手を当て一礼した。
「では、シニョリーナ、参りましょう」

 このしなやかな手をもう二度と離したくない。心からそう思いながら、彼は車で会場に向かった。


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15/10/22 更新