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 会場となっているホテルのホールには、すでに結構な人が集まっていた。

「ラファエロ・サンマルティーニ伯爵家御令息様、ならびにルシア・ラティマー嬢、御到着です」

 きらびやかな会場に着くなり、そう案内され、ルシアはぎょっとしてラファエロを見上げた。
 ご冗談でしょう? 伯爵家の御令息ですって? そんなこと、全く聞いていなかったわ!
 だが、問いただす暇もなく、タキシードやフォーマルドレスをまとった高貴そうな人の群れに取り巻かれてしまい、挨拶が始まる。

「これは、ヴィスコンティ公爵夫人、お目にかかれて光栄です」
「お久しぶりですこと。サンマルティーニの若様、ご機嫌麗しく」
「お久しぶりです、フォレスティ社長」

 今、ラファエロがにこにことそつのない笑顔で挨拶を交わしている相手は、ことごとく貴族や代議士、あるいは著名な事業家といったルシアには縁もゆかりもない人物だった。ハイソな人だとは思っていたけれど、ここまでだったなんて! 自分が誰かに紹介されるたび、背筋に冷汗が流れるような気がする。
「あなた、どうして……」
 だが、そう問い正そうとした時、すっと擦り寄ってきた華やかなドレスの若い女性に押しのけられてしまった。

「ラファエロ! 本当に酷い方ね! どんなに泣いたと思ってるの?」
「やぁ、ロザンナ。今日もキレイだね」
 目の前に突き出された手に形式的にキスしながら、ラファエロが物憂げに微笑んだ。
「わたしのパートナーになってくださらないなんて、一生恨むわよ」

 ああ、この人が話に聞いた……。そう思いながら、ルシアはそっと相手を観察した。
 美しい女性だが、性格の高慢さが表情にも態度にも隠しようもなく現れている。ひと目で、あまり好きになれそうにないタイプだと思った。
 ロザンナは、横にいるルシアなど完全に無視して、ラファエロに媚びを売るように話し続けている。
「あなたのお母様だって、とても残念がっていらしたのよ。それで、どんなシニョリーナなのかしら? このわたしを差し置いてまで、あなたがお連れになったというのは?」

 いきなり挑戦的な口調になって、話がこちらに向かってきたので、ぎくっとする。周りの紳士や貴婦人達の目も一斉にこちらに注がれた。
「ええ、わたくし達もお目にかかるのを楽しみにしていましたのよ、あなたがお付き合いなさっているというお嬢さんはどなたかしら?」
 公爵夫人の言葉に、ルシアは心底その場を逃げ出したいと思った。だが、ラファエロと約束した以上、逃げるわけにも行かない。彼が取っている手をぐっと手を握りしめた。無言で自信を持てと、ルシアに伝えているようだ。

 そう、舞台に出ると思うのよ、ルシア! 心の中で本能的な声がした。
 今のわたしはモデル。最高のドレスをまとって微笑みながら、フラッシュの洪水と人の視線の中を歩くだけ! 大丈夫、ちゃんとできるわ!

「皆様にご紹介します。こちらが、ルシア・エリザベス・ラティマー嬢。僕の大切な人です」
 ほぅ……とため息をつく声が聞こえた。興味本位の貴婦人達も一瞬黙ってしまう。

 艶然と微笑を浮かべ、ルシアはラファエロと共に進み出ると、一歩一歩客達の間をゆっくりと歩いた。
 マダム・キアラのドレスの見立ては確かに素晴らしかった。この演出は大成功だったようだ。ロザンナでさえ、二の句が告げなくなったらしい。黙ってしばらく唇を噛み、身を震わせていたが、さっときびすを返すと足早に向こうに行ってしまった。何か言われるかとひやひやしていたルシアは、内心ほっとする。

「やっと来たか、ラファエロ。ずいぶんと待たせたものだな」
「父上」
 いぶし銀のような声がした。二人の前方にサンマルティーニ伯爵夫妻が立っていた。伯爵は、ラファエロが品よく齢をとったらこうなるだろう、と思えるほどよく似ていたので、ルシアにもすぐにわかった。改めて紹介され、以前習った作法を思い出して、何とかお辞儀をした。伯爵の鋭い目が彼女を見ている内にやわらかく和んでくる。
「はじめまして、ルシア。とても魅力的なシニョリーナだ」
「彼女は自分自身を際立つように見せることをよく心得ています」
「なるほど、お前にしてはよく見つけたな」
 半ば独り言のようにつぶやくと、ルシアに向かって暖かい笑顔になった。
「今夜はくつろいで、楽しみなさい。後日、またゆっくりとお会いしましょう」

 それだけ言うと、また他の客に向かって歩き出していった。伯爵夫人もひどく複雑そうな顔でルシアを見つめていたが、夫について行ってしまった。


 それから、何人かの紳士から請われるままにワルツを踊り、シャンパンや軽食を飲んだり食べたりしながら――実際は緊張のあまり、食べ物はほとんど喉を通らなかったが――表向き、微笑みを絶やさず和やかに過ごしていた。
 だがルシアのラファエロへの腹立ちは、心に沸々とこみ上げていた。最後にラファエロと踊りながら、彼の目を見られず、顔を背けがちだったので、彼も何か察したらしかった。さりげなく、ホールを出ようと誘ってくれる。
「それじゃ、僕らもそろそろ失礼しますよ」
 伯爵から、近いうちに二人で屋敷を訪問するように、と言われているのを他人事のように聞きながら、やっと会場を後にした。

 車に乗ったときはもう言葉も出ないほどくたくたになっていた。ラファエロも何か考え込むように黙って運転し、ルシアを昨日のホテルの部屋まで送り届けてくれる。
 ホテルの部屋のドアが閉まり、ようやく二人きりになるや、彼は嬉しそうに目を輝かせながら、両手を広げてルシアに歩み寄ってきた。


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15/10/26 更新