《子爵の恋人》 番外編 1
* 本ページは【R18】とさせていただきます


後 編



 抱かれながら彼の胸に顔を押し当てていると、その鼓動が耳に、いや全身に響いてくるようだ。
 自分の心臓も破裂しそうになっていることに気付き思わず目を閉じてしまった。期待を伴う甘い痛みが、すでに体の中で渦巻き始めている。


 ドアが開き、また閉じる重い音がした。そのまま下ろされたときも、まだ眩暈がして足元が頼りなかった。
 夫が全身を包むように支えてくれていなければ、その場に膝をついてしまったに違いない。
 額を寄せて、彼にもたれかかる。だが、ジェイムズは再び彼女の肩に手をかけると、少し距離を取るように身体を離してしまった。

「顔を見せてくれ」
 こもったような低い声に、おそるおそる目を上げると、暗い輝きを帯びたダークブルーの瞳が見下ろしていた。緊張のあまり喉がからからに渇いてくる。
 子爵はそんなローズをしばらく見つめていたが、黙って彼女の手を取ると奥へ導いた。
 テーブルの上に用意されていた年代物のワインを二つのグラスに注ぎ、一方を彼女に差し出す。

「どうした? まるで、怯えて丸くなっている仔猫のようだ。わたしは今、そんなに君をこわがらせてしまったのかな?」

 上質のワインと穏やかな彼の口調とが、気持をほぐしてくれるのがわかった。ローズはようやく少し落ち着きを取り戻し、ユーモアを持って先程の出来事を振返る余裕が生まれた。わざと澄まして答える。
「そうですわね、少なくとも、洗練された紳士的なやり方とは言えませんでした。まるで今にもわたしを粉袋のように肩に担ぎ上げんばかりでしたもの。あんなふうに扱われたら、誰だってびっくりしてしまいます」

 夫の口元に面白がるような笑みが浮かんだ。手にしたワインを彼女に向けて掲げ、ゆっくりと飲み干す。
 空になったグラスを置くと、ローズの前に来た彼が、慇懃に礼をして華奢な左手に格式ばった口づけをした。

「確かに。初々しい花嫁にふさわしい優雅さが足りなかったのは認めるよ。君を前にすると、そんな常識すら吹き飛んでしまうようだな。では奥様、求愛作法にのっとってもう一度最初からやり直しますか?」
「そんな返事に困るようなことばかりおっしゃって……」

 ローズは本当に困って夫を見上げた。からかわれているのはわかっている。何かウィットに富んだ返事で応酬したかったが、どう言い返そうと所詮目の前に立つ恋愛ゲームの達人には太刀打ちできない、と思い直した。
 今こんな言葉遊びをするのは、どう考えても分が悪い。ローズは逃げ道を探すように、広い寝室へ目を走らせた。
 途端にどっしりした17世紀様式そのままの、濃い深青のビロードのカーテンが下がった四柱式寝台が目に飛び込んできた。昨夜のことを思い出し、さらに頬が熱くなる。

 広い寝室のアルコーブに灯る美しいフォルムのランプが、部屋全体に柔和な光を投げかけ、チェストの上に活けられた大輪の薔薇が甘い香りを放っている。
 ローズは、その薔薇の花瓶にゆっくりと歩み寄った。花を覗き込む振りをして、夫から表情を隠そうとする。


 晴れて夫婦となって愛し合った昨夜の体験、心に何の負い目も咎めもなく、夫に完全に身を委ねることの素晴らしさをローズは初めて思い知った。
 彼はとても情熱的だったが、まだ未熟な彼女にもわかるほど、精一杯抑えてくれていた。
 優しい言葉と心得きった手と唇が、まだ男女のことなど何も知らないに等しい彼女を、ゆっくりと信じられない魔法にかけて、目もくらむような高みへと導き上ってくれたのだ。

 気が付いたとき、ローズは彼の腕の中で泣いていた。そして、宥めるように愛を囁く低い声とぬくもりに包まれて、完璧に満ち足りた眠りに落ちていった。
 こんなふうに心行くまで肌を合わせ、持てる全てで愛する人を受けとめながら、小鳥の声で目が覚めるまで共に過ごすことは、とても自然で美しいと思える……。



◇◆◇



 だが今、彼女は同じ寝台を前にして、ひどく困惑していた。この複雑なドレスを脱ぐのを手伝い、寝支度を整えてくれるはずの小間使い達も、何故か誰も来ない。
 まさか彼の前で着替えるわけにもいかないのに、一体どうすれば……。


「庭園の薔薇だな。そう言えば、まだ案内していなかったね。明日は二人でゆっくり散歩しよう。いい香りだ……。そう、まるで今の君のように芳しく、人を狂わせるように咲き匂っている」

 振り向く間もなく再び腕を回され、引き寄せられた。ローズは慌てて話を現実に戻そうとする。
「ド、ドロシーがもうすぐ御用伺いに来るのではないでしょうか? このドレスを、着替えなくてはならないのですもの」
 頬に彼の唇が触れ、笑いを含んだ声がした。
「いや。ご希望に添えず申し訳ないが、今は誰も来ないよ。主人の意向を皆よく承知しているからね。ほら、そんな風に身構えて逃げようとばかりするんじゃない。今はわたしが君の侍女になってあげるよ」

 ローズの驚きも意に介さず、彼はそのままドレスの背にずらりと並んだ小さなボタンを、楽しむようにはずし始めた。
 ボタンが一つはずされるたび、背中が少しずつ露になっていく。
 いいのかしら、こんなこと……。
 気恥ずかしさに、組んだ手をぎゅっと握りしめたときだった。

 予期せず、ドレスの背中から暖かい手が滑り込んできた。思わず声を上げてしまう。彼は小さく笑って、滑らかな肌の感触を味わうようにゆっくりと撫で下ろし、また撫で上げることを繰り返す。
 ぞくぞくするような感覚に息を吸い込んだとき、ドレスが肩からさらりと落とされた。すかさずかがみこんだ夫の手がペティコートの紐を解いて取りのけてしまった。
 器用な手が身につけていた薄物や装身具類を無造作に落としていき、やがて絹糸のような金髪が肩にはらりと流れた。
 とうとうローズはガーターベルトで止めた絹の薄い靴下だけで、震えながら彼の前に立っていた。

 灯火の下、いかにも無防備な姿をさらした自分の姿に息を呑み、反射的に両手で裸身を隠そうとする。
 だが、彼の手でぐっと押さえられ、身動きがとれなくなってしまった。熱っぽい瞳に余すところなく見つめられ、いたたまれずに目を閉じてしまう。
 彼の手が顎に触れ、俯いた顔をそっと持ち上げた。

「……きれいだ。こういう君を毎晩夢見ていたんだ。この肌の透き通るような色とクリームのような君の味わい、忘れたことは一度もなかったよ。……ようやく完全にわたしのものだ。もう二度と離さない」

 最後の方は呟くような声だった。次の瞬間、ローズの唇は再び熱いキスで覆われていた。

 さっき以上に駆り立てるように巧みに誘っては、少し満たしてまた引くことを繰り返す。
 巧妙な駆け引きに合わせ、指先と手のひらが豊かな胸のふくらみを愛でながら、女らしい輪郭線をゆっくりと辿っていく。
 手と唇、両方の動きに否応なく駆り立てられ、つぼみが生き生きと息づきはじめた。耐え切れなくなり、ローズはせがむように彼の手のひらに胸を強く押し付けた。だが憎らしい手は少し弄んだだけで背中に回り、背筋を辿って腰の丸みを撫で下ろしている。

 たまらなくなって、自分から彼の首筋に回した手に力を込め、口づけをもっと深めるように舌先を触れ合わせていった。まるで待っていたかのように、彼の舌がそれを絡めとり熱く吸い上げる。
 深く唇を重ねたまま、彼女は再び抱き上げられた。
 まるで投げ出されるように、大きな寝台に横たえられたとき、夫の礼節がまた吹き飛んでいるようだと、ローズは小さな笑みをこぼした。
 こんなにも情熱的に求めてくれることが、女として素直に嬉しい。

 シーツの滑らかな冷たさが、ほてった肌に心地よかった。目を閉じていても、彼が服を脱ぐ気配が伝わってくる。

 肩と足に手がかかった。ほとんど同時に温かな唇を首筋に感じ、びくりと震えた。
 さんざん焦らされた後で、感覚がいつもより敏感になっているようだ。彼の唇がたっぷり時間をかけながら下へ辿り、ようやく艶やかに息づいて待ち望んでいり胸のつぼみを捉えた。舌先で転がし始めると、安堵にも似た強い歓びの声が漏れる。
 その間にも、器用に靴下を取り除けた手は、そっと足首から繊細な膝のくぼみを伝い、滑らかな白い脚に螺旋を描いてさらに上まで進んでくる。

 長い指が、隠された秘密の茂みに忍び込んできたとき、ローズは驚いて激しく全身を強張らせた。とっさに腰を引こうとしたが、力強い脚に押さえこまれ、身動きすらできない。
 器用な指は、そのまま彼女のもっとも敏感な部分に幾重にも円を描いた。好きなだけ時間をかけ、彼女が昨日まで存在すら知らなかった快楽の熱い泉を探りあてると、彼女が我慢できず身悶えするまで、いつ果てるともなく愛撫を繰り返した。
 あえぎとも泣き声ともつかない声を漏らし、ローズは胸に覆いかぶさった彼の黒髪を掴み、肩に爪を立てた。重ねた互いの身体が次第に汗ばんでくる。
 痺れるような甘い疼きが身体の中心部からどんどん沸き起こっては体内を駆け巡り、再び彼が弄んでいる最も敏感な部分に渦を巻いて溜まっていく。
 か弱い抵抗のしるしに気付いているだろうに、意地悪な唇と指は容赦なく感覚の棘で攻めたてる。
 時になぶる様に、時に軽くまた荒々しく、絶え間なく変化する痛いほどの歓びの責め苦が続いた。
 これでは、まるで拷問……。いつしか、あられもない声をあげて泣き叫ばないよう、唇をぎゅっと噛んで堪えるのが精一杯になっている。


◇◆◇


 妻の身体が小刻みにわななき、激しく強張ったのを感じて顔をあげたとき、彼は彼女の頬が涙に濡れそぼっていることに気付いた。
 そっとぬぐってやりながら顔を寄せ、噛み締めたため赤く腫れかかっている唇を、自らの唇でそっと開かせ、優しく舌先でなぞる。

「今は君が感じたままに、素直に振舞えばいい。この部屋には、わたしと君、二人だけしかいないんだ。夫婦の間では何ひとつ恥じる必要も抑える必要もないんだよ。君はただ感じるままに感じ、触れたいようにわたしに触れればいい」
 こう囁くと、彼はおもむろにローズの隣に横たわった。

 しばらく彼女を休ませるように抱いていたが、やがてシーツを掴みしめていた細い手を取り上げ、汗ばんだ自分の胸に導いていく。
 ローズがひどくためらいがちに、自分とは異なる夫の引き締まった身体を手探りし始めると、彼はびくりと身じろいで目を閉じた。はっとして手を離しても、再び促すように幾度も導かれる。

 夫の呼吸が次第に浅く速くなってくるのがわかった。先ほど自分が味わった気も遠くなるような感覚を、自分も彼に与えることができるだろうか。
 そう思うとぞくぞくするような歓びがこみ上げてきた。勇気を得て、積極的にもっと大胆に彼をまさぐり始める。

 ジェイムズが、とうとうこらえきれない、というように身震いし、彼女の表情を見ながら、熱く硬く猛った彼自身に彼女の手を優しく導いた。
 大きく見開かれた茶色の瞳を、無言で見つめ返す。
 最初の驚愕が過ぎ去ると、華奢な手が抑え切れない好奇心を持って、ゆっくりとまるで楽しむように彼自身を包み込み、撫で上げ始めた。
 今度は彼が呻き声を上げて仰け反る番だった。息を殺してしばらくの間、その手がもたらす究極の甘い苦しみに耐えていたが、とうとう妻の無邪気な手を再び掴んだ。
 荒い吐息をついて身を返すと、彼女に再びのしかかって脅すように唸る。

「このいたずらな妖精……お返しをたっぷり覚悟するんだ」
「でも……今のが……お返しですもの……」
 彼の顔をまさぐり、彼女がにこやかに微笑んだ。その解放されたのびやかな笑顔は、ずっと見つめていても飽きないあの表情だ。

 彼の目からふざける気配が消え、強い手が再び彼女の足にかかった。脚を押し開かれ、彼の手と唇が更なるひめやかな攻撃を開始したとき、もはやローズは完全に無力だった。
 最後の抵抗も自らの肉体の高ぶりの前に完全になぎ倒され、ただただ降伏することしかできなくなる。

「もうやめて……! どうか、お願い!」
 とうとう耐えかねたように、悲鳴とも懇願ともつかぬ声を上げた妻を見た彼の口元に、満足そうな笑みが浮かんだ。
 全身を激しく震わせている彼女の、開きかけた花びらのような唇に再びむさぼるようなキスをすると、情熱の赴くままに彼女を奥深くまで一息に貫いた。
 途端に春の大嵐にも似た歓喜が、二人を取り巻き荒れ狂いはじめる。

 熱く完全に彼女を満たし、彼女の全てを完膚なきまでに征服しようとする。そんな夫の激しい動きについて行こうと、ローズも懸命に足を絡めてしがみついた。
 促されるまま、共に虚空高く飛翔していく。

 解放の瞬間は突然に、容赦なく訪れた。ローズの内側で一切を消尽しつくすようなまばゆい光が閃いたとき、彼もまた同じ頂点を極めて声を上げ、荒々しく彼女を抱き締めていた。


◇◆◇


「……いったい何が起こったの? どうなってしまったのかしら、わたし……、わたし達は……」
 しばらくたって、完全に精魂尽き果てたように彼に身を寄せながら、ローズはそっと呟いた。
 たった今、互いの身に起きたことが、まだ信じられずに戸惑っている。

 濡れた額に張り付いた一筋の金髪をかき上げ、そっと口付けてから、ジェイムズはさらに妻を自分の体にしっかりと寄り沿わせた。

「……愛の巻き起こす奇跡だよ。これがわたし達のアルファでありオメガなんだ。これから一生かけて、分かち合っていくものさ」


 甘い薔薇の香りが、部屋いっぱいに立ち込めている。

 それ以上の人生など、確かに望むことすらできそうにない。
 夫のぬくもりに包まれて、ローズはただ、幸せの深い吐息をついた。


- fin -


BACK ・ TOP ・ HOME

patipati
-----------------------------------------------

12/05/01  
自分の筆力では、これ以上は書けない、もう制限いっぱいいっぱいです…(笑)
本編でじらしたお詫びに、二人の愛の世界に思い切り浸っていただければ、嬉しいです。
次回は、ローズのロンドン社交界デビューの時のお話を…。

『読まなくてもいい』かつての更新後書きは、こちらです(PC限定?) → Blog