〜 Prologue 〜


1872年 12月 23日


 その日ロンドンは、朝から冷たい霙が降っていた。どんよりした雲間から、重い氷の粒が一つまた一つ、落ちては消えていく。
 そんな人影もまばらな冬の午後、貴族達が住む邸宅街の一角にある、サーフォーク子爵邸に一人の紳士が訪れた。
 その紳士の訪問の要件は、ごく短時間のうちに済まされた。
「ご苦労だった」
 サーフォーク子爵、ジェイムズ・レイモンドは、ていねいに挨拶して出ていく弁護士に背後から声をかけた。
 再び書斎に一人になると、葉巻を取りだし火をつける。それまで無表情だった三十三歳の精悍な顔が陰りを帯び、立ち上る紫煙の向こうに、まるで誰かがいるように目を凝らす。
 彼は、この一年の間、片時も脳裏から離れなかった一人の女の姿を、心の中で見つめていた。

「ついに、見つけたぞ」

 彼はつぶやき、弁護士が持ってきた報告書に目を落とした。まったく長かった。彼女が突然姿を消してから、後二日でちょうど一年になる。狂ったように彼女の部屋へ駆け込んで、彼女がいなくなったことが事実だと思い知らされた、悪夢のようなあの夜……。それ以来、付きまとう喪失感は、どんなに自らを説得しようとしても、てこでも動きはしなかった。時にはなぜこれほどまでに探し続けるのかと、自嘲しつつ自問することもあった。もう忘れてしまえと自分に命じたことも、一度や二度ではない。
 今尚湧き起こる苦々しさを振り払うように、彼は葉巻をもみ消すと、執事を呼び出した。今日中に旅行の準備を整えるよう言いつける。
「ですが旦那様、この時期にあまり遠出は、いかがかと思われますが。今は特に、天候も道も悪うございますし」
 老執事が困惑気味に言い出すのを目で遮り、子爵はこう繰り返した。
「明朝、一番に出発する」
 断固とした口調だった。
「ローズマリーの行方がわかったのだ」


 再び一人になった彼の脳裏に、忘れられない一つの情景が蘇る。
 真昼時、カフェのある街の片隅から、こちらを食い入るように見つめていた金髪の女。一瞬の衝撃。激情にかられ叫ぶ声を振り切って、たちまち雑踏の中に消え去った細い後姿……。
 それは三月の白い太陽が見せた、束の間の残酷な幻だった。


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12/04/05