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Epilogue


 身分違いの二人の結婚は、ロンドン社交界でかなりのスキャンダルになった。
 サーフォーク子爵ともあろう人物が、なぜ平民出身の、持参金一ポンドすら持たない家庭教師の娘などを、レディ・サーフォークとして迎えたのかと、人々は興味本位に噂し、中傷した。
 行く先々でローズは人々の好奇の視線にさらされることになった。もちろん、そんなことはとうから覚悟していた子爵はびくともせず、妻が傷つくことがないよう最大の注意を払っていたが、それでも人の口に戸は立てられない。否応なしに心ない言葉がローズの耳にも入ってきた。
 だが、レディ・アンナから子爵の決意のほどを聞かされてから、ローズ自身も子爵が驚くほど強くなっていた。
 互いを失ったと思い込んでいた、あの苦悩の日々を思えば、後のことなど何でもなかった。
 こうして、レディ・アンナやエルマー夫人の友情の応援も手伝って、結婚後一年が経つうちには、ロンドン社交界の中で誰一人、二人のことを悪く言う者はなくなってしまった。

 そして、五年の歳月が流れていった……。



 時計が午後九時を打ったころ、表に馬車が到着し、サーフォーク邸の扉が開かれた。

「お帰りなさいませ、お早いお戻りでございましたね」
 ブライス執事がにこやかに二人を迎える。子爵夫妻がオペラハウスから、戻ってきたのだ。
「家内の調子が少し悪くてね。早めに引きあげてきた」
 執事に説明してから傍らの妻に優しく目を向ける。
「もう大丈夫かい?」
「ええ、もともと大したことではなかったんですもの。そんなにいそいでお帰りにならなくても、よかったんですわ」
 ローズが、微笑みながら答えていると、ぱたぱたと軽い足音が聞こえた。

「お父しゃま、お母しゃま!」
 そう叫びながら中央階段の踊り場から今年四歳になる長男のダニエルが駆け寄ってきた。黒髪にダークブルーの瞳を持つ彼は、ジェイムズの幼いころにそっくりだ。
「まあ、坊や」
 息子を見るなり、ローズは笑顔で近づいて身につけている高価なドレスを気にも留めずに抱きあげる。
「いい子にしていたかしら」
「もうお前にはかなり遅い時間だよ。どうしてまだ寝ていないんだい?」
 子爵も横から手を伸ばし、ダニエルの丸い頬を撫でながら問いかける。
「お母しゃまのお帰りを待ってたの。ケントもそうなの。おやすみなさいのキッス、して欲しくって」
 子爵が顔を向けると、子守り役のアリスがおろおろした顔で、二歳になったばかりの次男ケントを抱いて階段の下に立っていた。
 ケントもふわふわの黒髪だが、目元はローズに似て、愛くるしい茶色の目をしている。
「ちゃんとアリスの言うことを聞いて、おとなしくしないとだめじゃないか」
 わざと怖い顔で言うと、ダニエルは「だって」と言いながらしょんぼりうなだれて見せた。ローズは一瞬困ったような顔をしたが、アリスを呼んで、ダニエルとケントの柔らかな頬に優しくキスした。
「さぁ、これでいいわね。お父様にご挨拶して、いい子でアリスと休みましょうね。お母様もすぐ、お部屋に行くわ」
「はい、お母しゃま。お父しゃま、おやすみなさい」
 母の言葉に安心したように肯くと、父にぺこりと頭を下げて今度はおとなしく部屋に戻っていった。
 ローズも子爵に微笑みかけると、先に自室に引き取った。部屋着に着替えて、二人の様子を見に行くつもりなのだろう。
 ジェイムズは帽子と上着を執事に預けると、書斎へ上がっていった。机に向かって幾つかの手紙に目を通しながら考える。


 彼女と結婚してもう五年も過ぎたのか……。あの結婚式が昨日のことのように、脳裏に蘇る。
 最初の一年を乗り切った後は子宝にも恵まれ、平穏で暖かい日々が過ぎていった。ローズマリーにも今では、子爵夫人として誰もが認めざるを得ない威厳と優雅さが身についている。もはやレディ・サーフォークのことを育ちが悪いとか、素性が知れない、などという者は誰もいなかった。

 それにしても、生来の慎ましさや世話好きな所は失われていなかったから、そのことでかえって自分の独占欲が刺激され、やきもきさせられる時があるのは否定できない。彼の口元に思わず苦笑が浮かんだ。
 彼女は子供が本当に好きなんだな。それは彼女が就いていた職業からもわかりそうなものだった。今改めて、我が子達に接する妻の姿を見ながら、自分の幼いころと比べてみる。
 あの子達はまったく幸せ者だ。そして自分も。彼女と出会い、結婚できたことは信じられないくらい幸運だった。心からそう思う。
 例え倉庫いっぱいの持参金を積まれても、彼女とは比べることもできない。愛情溢れる家庭というものがどんなものなのか、味わってみたことのない連中には、その味わいなど知るべくもないだろう。

 一八七七年。
 大英帝国の勢いは、ヴィクトリア女王がインド帝国皇帝の座につき、ますます盛んなように見える。だが、本国では、すでに不況の波が到来しているのだ。
 今やドイツやアメリカがぐんぐん勢力を伸ばし、イギリスの地位を脅かしつつある。これから愛しい息子達は、どういう時代を歩むことになるのだろうか……。



 しばらく、一人そんな物思いにふけっていたが、時間がかなり遅くなっていることに気付き、子爵は書斎を出て寝室に入っていった。
 壁の仄かな灯りの下で、ローズはすでに眠っていた。上掛けの上に丸くなっている所を見ると、自分を待っているうちに眠りこんでしまったのかもしれない。そう言えば最近外出がかなり増えている。疲れているのだろう。

 彼はローズをそっと抱き起こし、起こさないように、上掛けをその身体の下から引き出そうとした。
 彼女はぴくりと動き一瞬目を開いたが、また閉じてしまった。こういう時はとても無防備で、可愛らしく見える。彼の心臓がどくんと音を立て、身体が否応なく緊張し始めた。脈が速まり身体が熱くなってくる。
 結婚し夜ごとともに休むようになって何年も経つのに、彼女への情熱は一向に冷める気配もなく、むしろ更に深く激しくなっていくようだった。

 子爵は彼女の頭を枕に乗せ、少しためらいつつも、ナイトガウンの襟元を結ぶリボンを引っ張った。襟ぐりが深く開き、彼女の滑らかな白い肩がむき出しになる。
 そこからそっと愛撫の手を這わせ始めるうちに、彼女が刺激に反応して、それを払おうとするように右手を動かし、けだるい声を出した。
「……あなたなの?」
「他に君にこんなことをする奴がいたら、生かしてはおかないさ。ほら、上掛けの上で眠っていると、風邪を引くよ」

 そう言いながら、なおもじらすようにゆっくりと指先を動かし続ける。ローズは急に目が覚めたように身震いすると、上体を起こした。途端にナイトガウンが肩からずり落ちそうになり、慌てて手で押さえる。

「いつの間に眠ってしまったのかしら。わたし、あなたにお話したいことがあって」
「何だい? 珍しく新しいドレスでも買ったのかな? 構わないさ。いくらでも買えばいい。だいたい、君はもとからおねだりがなさ過ぎるよ」
「まさか。今あるだけでもう十分です」
「じゃあ、帽子か? それともネックレス?」
「そういうお話ではなくって……」
「それなら、後にしよう」

 彼の手がナイトガウンを押し下げ、あらわになった胸の先端に触れたのと同時に、熱く唇を覆われて、ローズはそれ以上話ができなくなってしまった。
 彼の巧みな舌と手と指先の動きにつれ、熱い奔流が身内に押さえようもなく沸き上がってくる。もうだめだわ。今度はガウンのすそから入ってきた手が彼女の脚を伝い、付け根の敏感な場所が幾度も刺激される。
 こらえきれず身体を反らせ、すすり泣きをもらした時、彼の手でガウンが取り去られた。彼もすぐさま衣服を脱ぎ捨て彼女に覆い被さってきた。
 いつもよりも更に性急に高まっていくような夫の動きに、いつしかローズも全身で応えていた。彼女のしなやかな動きに駆り立てられ、ジェイムズもますます熱くなる。全神経で彼女のすべての反応を感じ取り、鋭く彼女の感覚をとらえて、耐え切れないほど激しく揺さぶっていく。
 二人はともに火炎のように燃え上がり、やがてベッドの上に崩れ落ちた。二人の身体には汗が光っていた。



 ようやく呼吸が静まってくると、ジェイムズは腕の中のローズを眺めた。
 全身の力を使い果たしたようにぐったりと目を閉じ、彼の肩に頭を預けている。
 彼女が最近、何だか更に敏感になっているようだが気のせいか? そう言えば、さっき気分が悪いと……。

「ねえ、君、もしかして……?」
 顔を覗き込むようにして、心に浮かんだ疑惑を恐る恐る口に出してみる。ローズがぱっと目を開き、少し怒ったように口を開いた。
「わたしの話を最後までお聞きになるか、もう少し早くお気付きになるべきでしたわね。こんな扱いをなさって、あなたの大切なベビィがお腹の中で抗議していますわ、きっと」
「それじゃ、やっぱり?」

 普段動じない子爵が、目を丸くして口ごもったので、ローズは思わず笑い声をあげた。つられて彼も吹き出し、彼女をきつく抱き寄せる。二人は満足そうに寄り添った。
「今度は女の子だといいけれど」
 彼の腕の中で、ローズが眠そうに呟く。
「きっとそうさ。君にそっくりなかわいい女の子だ」

 ロンドンの秋の夜は、そんな二人を包み込んで、静かに更けていった。


 F I N


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patipati
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12/04/27
二人の結婚後を描いた番外編もありますので、よろしくお願いします…。