Chapter 0

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 女の横柄な態度に、ロイはむっとして相手を見返した。
「そうだけど。あんた誰だよ?」
 相手に負けないほど、ぶっきらぼうに応えると、女は手にした包みを 彼に差し出した。
「あたしはニコルズさんのお屋敷で働いてるエム・ジョーンズってもんだ。うちのお嬢さんから、これをあんたに返しといてくれって頼まれたのさ」
 怪訝な表情で包みを受取り開いてみると、中からパトリシアに貸した母の服がでてきた。ロイは思わずその女に訊ねていた。
「パットはどうしたんだ? 風邪でも引いたのか? 昨日も今日も 学校に来てないけど」
「ありがたいことに、そうなってはいないよ。だがね、うちのお嬢さんを、あんたなんぞに気安く『パット』なんて呼んでもらいたくないね、ロイド ・クライン。もうあんたには近寄ってもらいたくないそうだよ」
「なんだって?」彼は息を呑んで相手を見た。「あの子がそう言ったのか?」
「そんなことどうだってかまわないだろ。それじゃ確かに返したからね」
 言うなり、女はすたすたと歩き去っていった。
「パットが、そんなこと言うもんか!」
 憎らしいその後ろ姿を睨みつけながら、ロイは小さく呟いた。少しの間あれこれ考えていたが、やがて悔しそうに拳にぐっと力を入れ、また仕事に戻っていった。


*** ***


 それから二日後、パトリシアはようやく、少し遅れて学校に出てきた。
 だが、彼が幾度も合図を送り、視線を合わせようとしても、そのたびに目をそらせてしまう。結果、ロイはいらいらしながら授業時間を上の空で過ごし、帰宅時間まで待つことになった。
 終了の鐘と共に、彼らの属する上級クラスの教師ミス・ウィンターズが教室を出て行くと、ロイは他の連中が来る前に急いでパトリシアに近づき声をかけた。
 だが、彼女は俯いたまま曖昧な返事で、本を抱えて先に帰ろうとする。
 驚きを抑えて彼も一緒に歩き出した。
「パット、ちょっと待ってくれよ。いったいどうしたんだい? この前からずいぶん君らしくないことをするね」
 その言葉に、彼女もはっとしたように立ち止まったが、途方に暮れたように彼を振り返ったまま、しばらく黙っていた。こんな様子は一度も見たことがない。眉をひそめるロイに、やがて彼女は小声で言った。
「だって、あたしどうすればよかったの? お父さんが……」
「ああ、やっぱり舟の件を親父さんに知られちまったんだろ? 狭い村だから、何でも筒抜けだな」
 ため息交じりの口調とは裏腹に、心配そうな彼の眼差しを見てパトリシアはまた、受け止めきれない、というように視線をそらせてしまう。
「どうしたの? それで親父さんから俺みたいな奴とは付き合うな、とでも言われたかい? それで君も同意したってこと?」
 彼の口元に皮肉な微笑が浮かんだ。パトリシアはようやく彼をまっすぐ見返した。その黒い目には強い戸惑いがあった。
「あたしはあなたのこと、本当にいいお友達だと思ってるわ。でも」
「何だい?」
「だってあなたが、あんなことするんだもの……」
 小さな声で答えて頬を赤らめる彼女に、ようやくロイにも原因がわかった。思わず手を伸ばし、彼女の顔をしっかり自分の方に向けさせる。
「別に気にすることじゃないだろ。たかがキスくらい。挨拶だって」
 顔をしかめてわざとぶっきらぼうに答えると、彼女の顔がほっとしたように明るくなった。
 ……でも、あれは違ったんだ。心中は複雑だったが、今は当面の問題を優先させることにした。

「それで君の親父さん、かんかんに怒ってたのかい?」
「うちのお父さんは『かんかんに』怒ったりしないわ」
 まあ、と口を尖らせたパトリシアは、もういつもの彼女に戻っていた。
「でも怒ってたのは、間違いないの。それで……」
「いや、待てよ、そうか!」彼はふいに思い当ったように肯いた。
「君をあんな目に合わせて、俺が謝りにも行かなかったから、ご両親がまだ怒ってるんだろ。わかったよ。今日やっぱり君んちに行かなくちゃ」
「今日はお母さんがいるけど、大丈夫かしら」
 心配そうに呟く彼女に、ロイは安心させるように微笑みかけた。
「そうひどいことにはならないさ。とにかく行こう」


 森屋敷までの散歩は楽しかった。ポプラの並木道を通って、緑の丘から一本引かれた赤土の道を、二人は思い付くままあれこれ喋りながら、並んで歩いて行った。
 だが訪問の結果は、ロイの予想を裏切って散々だった。
 二人が連れ立って屋敷の門から庭に入っていくと、その様子を窓から見ていたエムが驚いたように中から走り寄ってきた。そしていきなりパトリシアの手を取ると、抵抗する彼女をほとんど無理矢理に屋敷の中へ引っ張り込んでしまった。
 ロイは目の前で閉まった扉を見て唖然とした。混乱しながら、がんがん扉を叩くと、再び女中が怖い顔で出てきてじろりとロイを睨む。
「何度言ったら分かるんだろうね。ここはあんたなんかが来る所じゃないよ。さっさと帰っておくれ」
「お、俺は、ミセス・ニコルズに会って、この前のことを謝ろうと……」
 思わず声がかすれた。彼が扉に手をかけ無理に大きく開こうとしたので、エムは思いきりしかめつらをしてその手をぴしりと払いのけた。
 無情にもバタンと音を立てて重い扉は再び閉ざされ、中でかんぬきがかかる音がした。
 残されたロイは呆然とした。白い円柱が間隔を置いてぐるりと張り巡らされた美しいポーチから、ニコルズ家の広い庭がよく見渡せた。一面緑の芝がはられ、その中に煉瓦で美しく造られた三列の花壇には、季節の花があでやかに咲き揃っている。
 その庭をしばらくぼんやり眺めていたが、やがて我に帰ると一目散にそこから走り去った。


*** ***


 翌日、学校にきたパトリシアは、まったく元気のない様子で机にしょんぼり向っていた。だが未だ昨日の不当な扱いへの怒りの中にいたロイは、そんな彼女にまったく同情的な気分になれなかった。
 授業が終わり、友人と何やら話し込んでいるロイに、パトリシアは恐る恐る近付いた。二人が気付いて話を止める。
「ロイ、昨日はごめんなさい……」
 ロイは青い目に苛立ちと濃い憂うつの色を漂わせたまま、黙って彼女を見返した。彼と話していた少年は、二人の雰囲気を見るなり、ごゆっくりとばかりに手を上げて教室から出て行ってしまう。
 いつの間にか午後の教室に残っているのは、二人だけになっていた。
「お願い、話を聞いてちょうだい!」
 懸命に言いかける彼女を、ロイは片手で遮ると立ち上がった。
「もういい。昨日の君の態度も、お屋敷のあいつの言い分を聞いてよくわかったよ。君だって、もっとはっきり言えばよかっただろ? 森屋敷のお嬢さんは、俺みたいな貧乏人とは付き合えないってさ」
 パトリシアは今にも泣き出しそうになっていた。
「だって、この上あなたと付き合うなら、お父さん、あたしを今すぐトロントへ行かせるって言うんだもの」
「トロントだって? 本気かい?」
 今度はさすがのロイも驚き、彼女の顔を食い入るように眺める。
「ええ、もう前からゆくゆくはそうするつもりだったって言うの……」
「なるほど、そういうことか」

 分かったと言うように小さく肯き、彼は天井を見上げた。打ちのめされた自分の顔を、見せたくなかったからだ。
 やがて、ずたずたになったプライドを精いっぱい張り直すと、ロイは大袈裟に彼女に一礼した。
「パット、いやパトリシアお嬢さん。それじゃ貧乏農家の息子は、ここらで失礼するとしましょう」
「ロイ、あたしはあなたのことが好きよ。大好きな、一番大切なお友達だわ」
 尚も一生懸命に言い募る彼女に、もういいとばかりに手を振り、彼は歩き出した。
「さよなら、パット。君も早くお帰り」
「ロイ、忘れないで」

 その時、彼女は泣いていたのかもしれない。その辛そうな声を背に、彼はゆっくりと外へ出ていった。

 明るい午後の日差しが、いつになく目に染みた。


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16/12/09
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