Chapter 11

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 カナダ成立以来の伝統を誇るトロントの王立騎馬警察部隊本部は、市街地の石造りの重厚な建物の中にあった。
 夕方近く、門から出て行く数人の騎馬警官とすれ違うようにアンディ・マクスウェルは部室に入ってくると、つかつかと部隊長に歩み寄り捜索手配書の紙切れを突き出した。

「さっき出て行った奴らが持っていた。こいつは何です?」
 周りのいくつかの眼がいっせいに彼に注がれる。部隊長のエイブリーは咳払いをすると、こんな時刻にやってきて詫び一つ入れず本題に入った男をじろりと眺めやった。
「やぶからぼうに何だ、お前は?」
「このロイド・クラインって、弁護士の、じゃないでしょうね?」
「お前、しばらく顔を見ないと思ったら……。そう言えば休暇中だったな。今日から出てきたのか。どうだったね? 田舎は」
「俺の休暇の過ごし方なんかどうだっていい。何です、こりゃ? まさかこの紙、トロント中にばら撒くんで?」
「そうすりゃもっと解決は早いだろうがな。トロント有数の実力者の旦那方から言われりゃ、お前だってそうはできまい? 内部だけだ」
 エイブリーは、デスクの引き出しから紐で綴じた分厚い業務日誌を取り出し、ぱらぱらとめくり始めた。
「そいつと知り合いか?」
「いや、それほど付き合いがあるって訳でもないですが、半年ほど前同じ事件の捜査に関わったことがあって……。ある被疑者の捜索と取調べに協力してもらったんです。向こうは被害者側だったんですがね。俺より十も若いくせに頭の切れるなかなか有能な男でしたよ。こっちにスカウトしたいと思ったくらいで。まさかこんな馬鹿な……」
「そうさな。たしかに弁護士にしては馬鹿なことをしでかしたもんだ。女が絡むと関係なくなるらしいぞ、お前も気を付けろよ」
 彼はアンディのあっけにとられた顔を見ながら立ち上がると、周囲に残っている者にも確認するように言った。
「トーマス・ホイットリー氏とチャールズ・ニコルズ氏のお二人から、またパトリシア嬢の捜索依頼が出ている。おととい市中を捜索し一度発見されたが、その後再び行方が知れないそうだ。どうやらこの弁護士が絡んでいる。ご子息のアーノルド氏は彼が自分を殴り倒して、嫌がる令嬢をどこかに無理に連れ去ったと証言している」
「それはまた……何とも……、信じがたい話だな」
 あいつ、気でも狂ったのか? 短く刈った茶髪をかきながら、アンディは思わず考え込んだ。奴がそんなことをするだろうか? 信じられない話だ。
「事実、令嬢が一度発見されたのはこの男の部屋でだ。それは場に居合わせた第三隊のルースが確認している。そして四日前の未明、つまりその直後にパトリシア嬢は再び消息不明になった。現場に居合わせたアーノルド氏は殴られて気絶していたらしい」
 エイブリーはこほんとひとつ咳払いをし、やや声を落とした。
「まぁ、挙がっている事実をつき合わせればとどのつまり、この件はゴシップ程度かもしれんがな。ホイットリーにしたって、かなり胡散臭い所もあるんだ……。だが、とにかく保護者から依頼が出ている以上捜索を続けねばならん。わかったな」

 しばらくして、別の警官が報告に入ってきた。
「ウェスコット氏の行き先を突き止めたと連絡が入りました。本街道をまっすぐ20マイル行ったところにあるフォスター村の『メイプル・リーフ』という名の宿です」
「よくやった」エイブリーはうなずいた。
「それじゃお前達何人か行ってこい。早馬仕立てて行ってまたどこかに移る前に、令嬢を保護しろ。クラインはここに連れてこい」

 その言葉を聞いていたように再びドアが開いた。高圧的な態度で雑然とした煙草臭い室内を見渡しているのは、トーマス・ホイットリーその人だった。その後ろにチャールズ・ニコルズが続く。
「隊長、今回はお手数をかけましたな。たった今ブラウン警官から話を窺いました。姪の居所がわかったそうで。まったくありがたい」
 エイブリーは咄嗟に感情を押し隠してうなずいた。
「ええ、十中八、九は大丈夫でしょう」
「ご協力厚く御礼申し上げる」
 ホイットリーは愛想のいい笑顔でエイブリーに感謝の手を差し伸べた。
「居所さえわかれば後はもう我々だけで十分です。我々が姪を迎えに行けばすむことですからな」
「しかし、それでは……法の問題が」
「これは娘の名誉に関わる問題です。これ以上表沙汰になっては困る」

 脇から口を挟んだニコルズは、ひどく憂鬱そうだった。父親の苦悩を察し、エイブリーは同情するようにうなずくと、その場所に案内するよう部下に指示した。
「だが、もし抵抗するようなら……」
 事の成り行きを呆然と見ていたアンディが、やおら「俺も行く」と言って連隊の帽子を取り上げた。エイブリーも止めなかった。


*** ***


「ロイ、ウェスコット先生だわ。今日は随分お早いのね。事務所はもう終わったのかしら」
 馬車の轍の音に窓から外を覗いたパトリシアが、ロイを振り返った。ロイも窓辺に近付いて彼女の背後から覗き込む。
「僕らの仕事はいつも決まったスケジュール通り、というわけじゃないんだ。もちろん朝は大体同じだが、帰りは夜遅くなることもあれば、こんなふうにまだ日のあるうちのこともあるのさ」
 そう言いながら、ロイはパトリシアの身体に両手を回してそっと引き寄せた。彼女も甘えるようにその胸にもたれかかる。片時も離れたくない。そんな思いが互いの物理的な距離をなくそうとする……。

 その日は目覚めた瞬間から違っていた。初めて身体を重ねた後の満ち足りた空気が周囲の全てを包み込んでいるようだった。降り注ぐ陽光の中、愛する男性のぬくもりの中で眠りから覚めることが、こんなにもシンプルで幸福なことだったなんて。身体の奥に残る痛みさえ甘美な疼きだった。
 シーツの上でそっと頭を動かすと、ロイはもう目覚めていた。すぐ隣で青い目を少し細めるようにして、こちらをじっと眺めている。パトリシアは白い腕を伸ばして猫のように伸びをすると、少し眠そうな声を出した。

「おはよう。本当に素敵な朝ね。そう思わない?」
 ロイは答える代わりに、彼女の額に優しく唇を押し当てた。そのまま顔のあちこちに唇をさまよわせ、最後にふっくらした唇をゆっくりと捕らえる。
「僕とこうなったこと、今朝になっても後悔していないね?」
 長い口づけのあと控えめに問いかけられ、パトリシアは目を上げた。彼の瞳に浮かんだ陰りを見て取り、彼の唇にそっとキスを返す。
「もちろんよ!」

 途端にロイの精悍な顔にまぶしいほどの笑みが広がった。ほっとしたように、再びしっかりと抱き寄せられる。なんて素晴らしい朝だろう。窓辺の小鳥のさえずりさえ、昨日とは違って聞こえるほどだ。

 それでも時は刻々と過ぎて行く。やがて心残りを断ち切るように二人はベッドを離れた。きちんと身支度を整え早めの昼食を取ったあともずっと、言葉少なに寄り添って過ごしていた。お互い口には出さなかったが、これから予想される難関が二人の心に影を落とし始めていた。時折何か考え込むように、こちらを見つめるロイと目が合い、そのたびパトリシアは強いて明るく微笑みかける……。


 部屋に入ってきたウェスコットの顔を見るなり、二人とも何か起こったと悟った。弁護士は鞄からくだんの手配書を取り出すと、黙ってテーブルの上に置いた。



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17/05/13