Chapter 11
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「パット……、君は自分が何を言ってるのか、わかっているのかい?」
ロイが半ば呆れ、半ば感心したように呟いた。だが、その皮肉な声に関心を払うより先に、パトリシアの脳裏に重大な事実が閃いた。
そうよ。あまりに色々なことが一度にあって一番大切なことを忘れていた。闇のなかで光明を見つけたように彼女はそれに飛び付いた。
「ウェスコット先生はたった今、わたしの父が帰ってきたっておっしゃったじゃないですか! それなら!! 第一わたしとロイは婚約したんです。じきに結婚するんですもの! 父が帰ってきたのなら、今までのことを詳しく説明して、アーノルドとの婚約もきれいに取り消してもらえるわ……。もちろんこの馬鹿げた手配書もね。そうよ、きっとうまくとりはからってくれるわ!」
声をあげるパトリシアの少し上気した顔を、ロイは皮肉と感嘆の入り混じった複雑な面持ちで眺めていた。この崖っぷちに追い詰められてもなお、パトリシアへの思いはますます身を焦がすほど強く激しくなるばかりだ。彼自身も驚くほど……。
ああ、本当に愛しているよ、パトリシア……。心から。
胸の中でこう囁くたびに、震えるほどの波が身体の奥から熱く突き上げてくる。
だが……、同時に、彼はひどい虚脱感に囚われ始めていた。もしかしたら、もう何もかも手遅れになっているのではないだろうか……。
ふと、ロイの眼差しに気付いたように、パトリシアが頬を染めて黙り込んだ。
しばらく間を置いてから、彼はようやく口を開いた。その声は低く淡々としていた。
「なるほど……。親父さんに君から事情を全て説明するとしよう……。じゃあ君の親父さんは警察にそれを正直に証言してくれるだろうか?」
「も、もちろんだわ。あの父の性格から考えても……」
ロイの顔を見ているうちに、なぜか答えが不安げにゆらぎ始める。
「じゃあもうひとつ聞くけど、パトリシア……。君は僕の潔白を証明するために、最悪、自分の身内を警察に引き渡すことになっても構わないかな? 君の伯父さんやいとこ達、さらには……君の親父さんまでが、この厄介な事件に関わってしまったのかもしれない、と言っても?」
部屋に凍りつくような沈黙が流れた。
ロイはますます平板な口調で畳み掛ける。
「もちろん、君が起こった事実に忠実にいきさつを警察で証言してくれるなら、僕らはことの次第を公にして説明してみることが可能かもしれない。それにしたって裏付ける重要書類はすべてあの夜アーノルド・ホイットリーに奪われてしまったけどね。おまけに、万が一うまく事を立証できたと仮定してその結果は……、どうなる? 結局君達の首を絞める結果になるだけなんだ。最悪の場合、僕は法廷でやるように君をその場で尋問し、他ならぬ君自身の口から、一族に不利な全てを証言してもらわなければならなくなる。僕の言ってる意味はわかるかい?」
話が複雑すぎて、すぐには飲み込めないようだった。だが徐々にパトリシアの黒い瞳が、衝撃を受けたように大きく見開かれ、うつろに輝きを失っていった。それを見守るロイの表情も次第に厳しさを増していく。それでも、彼は自分自身に強いるように言葉を継いだ。
「すべての事の起こりは君の伯父さん一家が首までどっぷり浸かっているラトランド商会がらみの鉄道債の件なんだ。そして君の親父さんが家に帰ってきたということは、つまり……。親父さんまでがそれに加担した可能性は非常に高いと思う。とすれば僕のために証言することは、親父さんの、ひいては君自身の首まで絞める結果になるんじゃないのか? それでも君は、僕のためにそれができるのかい?」
「そんな……、そんなことって」
頭がずきずきと痛み始めた。彼の言っている意味がわからない。いや、頭で理解することを心が必死になって拒否しているようだった。
それでも頭の片隅では、ロイの言うとおりだと悟り始めている。
トーマス伯父達の何かの計画については、彼女がホイットリー邸で聞いたとおりだとすれば間違いなく事実だ。だが、その企てにあの潔癖な父までがとうとう加わってしまったというの? だから、父はトロントに帰ってくることができた……、ロイはそう考えているらしい。
でも、それじゃいったいどうしたら……。
パトリシアはふらりとよろめいた。ロイの手がすぐに支えてくれたが、その手がどことなくよそよそしく感じられた。
ついさっきまで咲き誇っていた幸福の薔薇達が、突然の突風に目の前であっという間に吹き散らされていくような気がした。とうとう涙が抑えようもなくあふれてくる。唇に手を押し当て必死に嗚咽をこらえながら、彼女は今度こそその場にくずれるように座り込んでしまった。
ロイはしゃくりあげている彼女の傍らにかがみ込み、手を貸して立ち上がらせると、そっと肩を抱き寄せた。
「嫌なことを言ってすまなかった、パット。だけどこれでわかっただろう? そして僕にも到底無理なんだ。君にそんなことを絶対にさせられないよ。……それでも、たとえどんな状況になっても何とかその中で最善の方向に持っていけるよう、僕らは努力しないといけない。そうだろう?」
まるで自分自身にも言い聞かせるように、ロイは彼女の泣き濡れた目を見つめながら静かに言った。落ち着きはらった彼の声が耳から胸に染み透ってくるようだ。パトリシアは無言でロイを見上げた。その青い瞳は驚くほど穏やかに凪いでいて、かすかに微笑さえ浮かべている。
パトリシアは泣き濡れた顔を上げて大きくうなずいた。そう。泣いている場合じゃないんだわ。
「なるほど……な。確かにそれではほぼ万事休すだな。とすれば残るは……三十六計逃げるにしかず、か」
深いため息と共に、二人から目を逸らしていたウェスコットが傍らで唸った。
ロイは思いつめた目を恋人から上司に移した。
「先生、僕は……」
その時だった。
宿に面した街道筋が急に騒がしくなった。
複数の馬のひずめの音に混じって車のエンジン音が聞こえてくる。あまりにも聞きなれたその音にパトリシアは目を見開いた。堅く身をこわばらせると、咄嗟にロイに擦り寄るようにすがりつく。
彼もさっと緊張したのがわかった。
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17/05/20
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