Chapter 21

page 1


 サマセット村の教会には、すでにかなりの人が集まっていた。
 満開のりんごの木々の下にテントが張られ、その下で、頼んでもいない参列予定らしき人々が礼装で待っている。マジソン氏が、馬を引いて近付いてきたロイを見つけるなり、太った身体をずいと前面に出して、大声で呼ばわった。
「遅刻だぞ! ずいぶんゆっくりしたご到着だな。あんなにべっぴんの花嫁をやきもきさせるとは、色男はやることが違うな、まったく!」
 ロイは顔をしかめて、近付いてきた介添え役の友人に馬を預けると、周りの人から祝福代わりに背中や肩を叩かれながら、パトリシアの姿を探した。
「花嫁はあそこだよ。さっきからどんなに気をもんでいたか」

 言われた方を振り返った途端、ロイは息を止めた。
 教会堂の横、白い花が咲き誇る木の下で、小さな椅子から優雅に立ち上がった花嫁は、彼が長い間焦がれ続けた幻想の具現そのものだった。
 胸元にレースをあしらったパフスリーブのウェディングドレスの裾を引き、華奢な手には白い花のブーケを持っている。黒髪をきれいに結い上げ、白い小花をあしらったベールをかぶったその顔には、輝くばかりの微笑が浮かんでいた。
 その姿を見るなり、圧倒されたように立ち尽くした彼に、いっそう華やいだ笑みを投げかけると、手を差し伸べながら歩み寄ってくる。

「ロイ! やっと来たのね! 昨日の朝もそうだったから、もしかしたら、まだ眠っているんじゃないかって、とても心配していたのよ。誰かに見に行ってもらった方がいいんじゃないかしらって、本気で言っていたくらい……」

 その現実的な言葉に、緊張感が解けていくのを感じた。ちょっと笑って、ロイはゆっくりと花嫁の前に立った。もう周りの連中のことなど一切消え去っていた。白いレースの手袋をした華奢な手を取り、恭しく口付ける。深い感動と苦悶に同時に襲われて、言葉に詰まった。
 心臓がひどく痛む。今、この期に及んで何を言えばいい?

 ロイの複雑な表情に気が付いたように、パトリシアの笑みが消えた。心配そうに囁きかける。
「どうしたの? 何かあったの?」
「いや、ただ……」俯きがちに言葉を探しながら、不器用に応える。
「今日、僕と結婚して、君が……、本当に後悔しないかと……」
「今日、あなたと結婚しなかったら、わたしは一生後悔するでしょうね!」
 途端に、パトリシアはあきれたように、そして怒ったようにきっぱりと遮った。
「ここまで来て、まだそんなことを言ってるなんて! あなたこそ本当は、わたしとなんか結婚したくなかったのかしら?」
「ま、まさか! そんなはずないだろう? ただ僕は、君が後々……」
「それなら問題は何もないわ。ほら、牧師さんがいらっしゃったわよ。行きましょう」

 迷い一つ無い断固とした意志に満ちた黒い瞳をじっと見つめ返し、ロイはようやく微笑んだ。彼女の差し出した手を取り、二人並んで牧師の前に進み出る。

 気の置けない友人達に囲まれただけの素朴な式は、滞りなく進行した。牧師に続いて、結婚の不滅の誓いを復唱している自分がまだ信じられなかったが、続いて傍らのパトリシアが「誓います」とはっきり答えると、胸に迫るものがあった。
「……それでは、誓いのキスを」

 向き合った二人の目に、幼い日の自分達の姿が重なり合った。トロントでもう一度出会い、話したあの日さえ、もうずいぶん遠い昔の出来事のように思える。

 ずっと不可能だと思っていた。何度もあきらめろと自分に言い聞かせた。けれど、今、二人は確かに互いのものになろうとしている……。

 ふいに、目の前が霞んできた。ゆっくりと合わせた唇に、涙の塩辛い味を感じた。
 夢心地を破ったのは、響いてきた牧師の快活な声だった。

「今、ここに二人が夫婦となったことを宣言します!」

 周囲から、わっと歓呼の声が上がった。牧師が祝福の祈りをささげ、短くも厳粛な式は終わりを告げる。
 用意されていた花びらのシャワーと祝いの言葉を頭からふんだんに浴びながら、ロイは、まだ震える手を伸ばし、傍らで涙ぐんでいる花嫁を抱き寄せた。そして、見守る人々の前で、たった今、『ミセス・パトリシア・クライン』となった彼女にもう一度キスをした。
 言葉にならない全ての思いを物語るように、二人の唇が熱く激しく重なった。


*** ***


 式が終わると、マジソン氏のはからいで、ささやかな結婚祝いパーティが設けられた。教会横の空き地にテーブルが出され、食料に戦時使用制限が出ている割には豪勢な、心尽くしの肉料理やパイが並んだ。
 これには招待されていない者達までが顔を出した。今のご時世にもったいないことを、とぶつぶつ呟く婦人もいたが、マジソン氏は豪快に笑い飛ばした。

「こういう時だからこそ、景気付けにパーッとやるのがいいんだ。また明日から締めりゃいい。しかし、ロイド、お前が居ないと、うちの店も若い者が必要になるな。配達はわしがやるとしても、誰かに店を頼まないと……」
「マジソンさん、でしたら、お願いがあります」
 聞くなり、パトリシアが思いつめた声でマジソン氏に向き直った。
「わたしを、お店で雇っていただくことはできないでしょうか? 店番でしたら……、トロントで赤十字の仕事をしていましたので、帳簿の付け方も少しはわかりますわ」
「パット! いきなり何を……」
 仰天するロイを少し睨むように押しとどめながら、パトリシアは真剣に訴え続けた。
「わたし、本気で働きたいんです。ロイがいない間、わたし一人でも暮らして行けるようにならないといけないでしょう? そのためにどうしたらいいかと、あれこれ考えていたんです。もし人手が足りないのでしたら、ぜひお願いします!」
「ふーむ、なるほど……」
 ほっそりした優美なドレス姿の彼女を眺め、お嬢さんが突然何を言い出すのかと、驚いた顔をしていたマジソン氏も、彼女の語調の強さに驚嘆したらしかった。
 決意の程はわかった、と頷いてみせる。しばらく考え込むように黙っていたが、やがて陽気な声で応じた。
「それじゃ、ハネムーンが終わったら店に見習いに来るといい。仕事を教えてあげよう」
「はい、ありがとうございます! 一生懸命やりますわ」
「いやいや、こんな美人の店番なら、商売繁盛だろうて」

 パトリシアがマジソン氏と交渉している間、ロイは呆気に取られて花嫁と商店主を見比べていたが、成り行きを聞いて、慌てて口を挟もうとした。
「じょ、冗談だろう? パット、君にそんなことが……」
「あら、何か問題でもあるかしら?」
 途端に、文句でもあるの? とばかりに睨み返され、沈黙する。
 働くだって? あの店で? 冗談だろう?
 そう言いたかったが、もたもたしているうちに二人の間で話がまとまってしまい、彼はただ大きく頭を振ることしかできなかった。

 わたしだって、馬鹿じゃないのよ。これでも、色々と考えているんですからね!
 挑戦的に瞳をきらめかせた花嫁に、ロイは降参した、とばかりに両手を上げて見せた。


NextNexttopHome

-------------------------------------------------
17/11/10
やっと結婚式を挙げられました〜(涙)
ここまで付いてきて下さった読者様、本当にありがとうございます。