Chapter 22

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 ついに、最後の一日となった。

 ベッドから離れるのを惜しむようにゆっくりと朝のひと時を過ごした後、二人は食事をすませ、再び村に出向いた。
 まず教会の墓地にあるロイの母の墓に行くと、家の庭に咲いた母が好きだった花を供えて結婚の報告をした。それから、馴染みのマジソン商店にパトリシアを残し、彼は再びどこかに消えてしまった。
 ロイを待ちながら、パトリシアは落ち着かない気分で店内を眺めていた。いつもは陽気な商店主でさえ、今日はかける言葉を探しあぐねているように無口だった。この機会に、結婚式の日に約束した店番の仕事を確認しようと、パトリシアは思い切って尋ねた。

「あの……結婚式の日は本当にありがとうございました。それで、このお店で仕事をさせていただくと言うお話ですが……、わたし、いつからお邪魔すればいいのでしょう?」
「ああ、そりゃ……」マジソン氏は弱々しくほほえんだ。「ロイの奴が行っちまったら、すぐでも一向に構わんよ。別嬪さん、あんたの都合次第さね。何、心配はいらん。ロイの嫁さんなら、わしにとっても息子の嫁みたいなもんだ。しかしなぁ、あのロイがとうとう……。昔まだこーんな小僧っこの時分から、ここでジャガイモを運んでたもんだが……」

 手で自分の胸くらいの位置を示しながら、マジソン氏の顔がくしゃっと歪んだ。それでも、すぐに気を取り直したように、いかんいかん、と頭を振って、まぁ、客もおらんことだし、ここに座ってゆっくりしてなさい、と木椅子を勧めると、自分は外へ出て行ってしまった。
 さっそく店番の練習ね、とパトリシアは微笑んだ。商店主の優しさに救われる思いだった。
 店内を歩きながら、並んでいる商品を確かめていった。かますから桝で量り売りする穀類やジャガイモ、そして粉類、そして最近貴重品になってきた砂糖が何種類か、それに卵や干し果実などが主らしい。その他、隅に縫い糸やめん棒などの台所用品や噛み煙草の袋も少し置いてある。もう少しきちんと整理して並べれば、客が手に取り安くなりそうだ。
 明日から、わたしがこれを売るんだわ。そう思うと、泣き出しそうになっていた気持が奮い立ってくる。
 そうよ。わたしだって、きっとできるわ。ロイが帰ってくるまで、とにかく頑張らなくては……。

 どこに何があるのか早く覚えてしまおうと、彼女は本格的に商品陳列棚を整理し始めた。
 ロイがマジソン氏とともにようやく戻ってきたとき、彼女は、カウンターの中に並んだ幾つもの粉袋のかますに、分かりやすく名札をつけている所だった。

「何をしてるんだい?」
 不思議そうに問いかけたロイの声に、パトリシアが顔を上げた。
「あら、お帰りなさい、もう用事は全部終わったの?」
 ふうっ、と一息ついて輝くような笑顔を見せた彼女の頬に、白い粉が付いている。ロイははっと動きを止めた。編み込んで頭に巻きつけた長い黒髪、袖を肘までまくりあげた白い綿ブラウスとギャザーのたっぷり寄った簡素なスカート姿の彼女は、どこから見ても健康で陽気な村娘そのものだった。再会した頃の取り澄ました美しい令嬢の姿はもうどこにも見えない。

 こんな風に、いつも君は僕を驚かせてくれるね……。
 ああ、パット、愛してる。僕は君にどんなに感謝しても足りないよ……。

 僅かに瞠目し黙り込む。 「どうしたの? 何かあって?」
 心配そうに問いかける彼女にようやく、「いや、別に」と答え、優しくキスすると、彼はマジソン氏に挨拶して家路に着いた。


*** ***


 自宅に戻ると、ロイはすぐ様二階で荷造りを始めてしまった。パトリシアは彼に食べてもらおうと、ケーキ――と呼ぶには入れた卵の数が少なく、飾りもないに等しかったかったけれど――を窯から出して、テーブルに精いっぱいの夕食の支度を整えた。
 上にあがって、簡素な荷物が整っていくのを見るにつれ、また物悲しくなってくる。必要ないと言われながらも、彼の軍服にアイロンを当ててみたり、とにかく何かしていないと、精神的に参ってしまいそうだった。だが、どんなに不安だろうと、彼に余計な心配をかけることはできない。明日の朝、彼の列車を見送るまでは気丈に振る舞い、彼が安心して旅立てるようにするのだと、心に堅く決めていた。
 それにロイの様子も、少しおかしいような気がする。そう、昨夜の夕食の後、電報を打ちに行ってパブに戻ってきてから……。
 落ち着いて見せてはいるが、気が付けば、何か言いたそうにこちらをじっと見ている。そのくせ、どうしたの? と問いかけても、曖昧に少し哀しそうに微笑むだけだった。本当に、どうしたのだろう?


 その理由は、夕食の後にようやく明らかになった。食事の片付けを終え居間に戻った時、ロイが重い表情で切り出した言葉に、彼女は耳を疑った。

「明日、あなたが行ったら、トロントに帰れ、ですって? まさか。何を言い出すかと思ったら……」
 本気で取り合おうとしないパトリシアに、ロイは重ねて告げた。
「君はトロントに戻るんだ。冗談を言っている場合だと思うかい? 僕は本気だよ。昨夜から、君のお父さん、ミスター・ニコルズと何度も電話で話し合ったんだ」

 ぎょっとしたようにこちらを見た彼女に、彼は安心させるように頷いて、語調を緩めた。
「僕が明日出征したら、君はお父さんの家に帰っていてほしい……。何も心配はいらないよ。君がちゃんと帰れるよう、お父さんに迎えに来てもらうことになったから」
「どうして……そんな……」
「僕がいなくなれば、君が最終的に頼れるのはミスター・ニコルズだろう? 君のお父さんには、散々……。いや、それはいい。それでも、君に対する意見だけは一致したんだ。お父さんが、近いうちに君を迎えに来てくれる」
「父が迎えに来るですって……? 父に何を話したの?」
 ロイは自嘲するように口角を上げた。
「僕らがおととい結婚したことも含め、今後のことを色々と……。お父さんからは、君に対して、あまりにも無責任だと責め立てられたよ。それについては返す言葉もなかったな……、全くその通りだからね」
「どうして……? どうして今更、そんなことを言うの? わ、わたしが、うまく家事ができないから、もうここに置いておくのが嫌になったの?」
「まさか!」
 衝撃を受けたように立ち上がってすがりついてきたパトリシアをきつく抱き締め、ロイはその白いうなじに顔をうずめた。応える声が呻くようにこもる。
「そんなはずがないだろう! ああ、マイラブ、君はもう十分すぎるくらい、よくやってくれたよ! 本当に、どんなに感謝しても足りないくらいだ!」
「だったら、これからも何とかやっていけるわ。大丈夫よ。父にもそう言って……、あっ、い、痛いわ、ロイ」
「何が大丈夫なものか! よく考えてみてくれよ、パット!」

 ロイの声が突然荒々しくなった。昂ぶる感情を、何とか抑えようと必死の努力をしているように、パトリシアの二の腕を掴む手がぶるぶる震えている。
 彼女の細い呻きを聞き、やっと気が付いたように手を緩めた。


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17/11/29