Chapter 22

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 驚いたように瞬きし、無言でおとなしく見上げた夫の裸体を、ほどいた長い黒髪で覆いながら、じらすようにその身体に唇を這わせ始めた。
 ロイは思わず目を閉じた。今はパトリシアが与えてくれる全ての歓びに酔いしれていたい。けれど、ゆっくりと時間をかけて上半身をくすぐる柔らかな髪と濡れた熱い唇の感触に、だんだんと気が狂いそうになってきた。彼女の唇が彼の筋肉のついた腕から平らな胸まで余すところなく探り、小さな乳首を弄んでいる間、ロイは叫び出しそうになるのを歯を食いしばってこらえていた。
 我慢しきれなくなり、両手で彼女を抱こうとするたびに、まだ駄目、と押さえられては、さらに腹部から下腹部へと幾重にも弧を描くように、濡れた軌跡が行きつ戻りつする。

 ほとんど呼吸さえ忘れて、ロイは拷問のような妻の愛撫を受け止めていた。しかし、彼の自制にも限度があった。とうに猛り立っていた彼自身に柔らかな唇が触れ、それからおずおずとためらうように彼女の細い指が絡みつき、ゆったりと上下に動かし始めると、全身が緊張と歓びで破裂しそうになる。
 とうとう叫び声を上げて上体を起こしたが、それでも彼女は夢中になって、柔らかな唇で触れては愛撫することを繰り返している。片肘をついてその姿をしばらく見つめるうち、本当に限界に達した。彼自身をきつく掴まれた瞬間、唸り声を上げてパトリシアを両手で捕まえると、びくっと顔を上げた彼女の身体を抱え上げ、自らの下腹部に乗せかけた。
 彼女が戸惑ったように見つめている。どうすればいいのか、わからないのだろう。ロイは彼女の腰を支えたまま、荒い息をついて懇願した。

「僕を入れてくれ、パット、お願いだ、早く……。僕を君の中に、そう、そうだ! ああ!」
 言われた意味がわかったように、パトリシアはぎこちない手つきで彼を自分の中心へと導き始めた。彼女がおそるおそる腰を落とし始めると、もう我慢ならないとばかりに、下から激しく突き上げる。突然、身体に深く夫を迎え入れ、その衝撃にパトリシアの内部が激しく収斂した。眼の前に霞がかかり、身体が弓なりにのけ反る。甲高い叫びがどこか遠くから聞こえるようだった。そんな彼女を、ロイの力強い手がすかさず支え、二度三度、そしてさらに数回重ねて突き上げた。
 のけ反ったはずみに露わになった二つの豊かな乳房を、夫の手で荒々しく掴まれると、背中を反らせた姿勢のまま髪を振り乱してさらに身もだえる。

 ランプの光の中、美しい顔に宝石の粒のようにこぼれかかった涙が煌めいた。その姿は鮮烈なほど美しかった。ロイはたまらなくなって、そのまま上体を起こすと彼女を引き寄せ、しっかりと両腕にかき抱いた。
 心臓にうずくような痛みを覚える。今自分の前に、身も世もなく全てを投げ出している彼女を、ずっとこの腕で守ってやりたかった。

 パトリシアの唇から、切れ切れに嗚咽が漏れ続ける。そのまま、二人は嵐の中を疾駆するように共に動いた。とどろく雷鳴に似た音が響き続けている。もしかすると、それは重なり合った心臓の音だったのかもしれない。
 次々に襲いくる嵐と高波にもまれ、二人は時が経つのも忘れて、本能の赴くまま互いをむさぼりあった。

 ロイが全身を強張らせ、呻きながら彼女に全てを注ぎ込むのと、パトリシアが半狂乱の叫び声をあげて身体を波打たせ、彼の上に崩れ落ちたのとは、ほとんど同時だった。きつく抱き合う二人の周りに、しばし静寂が漂った。聞こえるのは、互いの荒々しい息遣いだけだった。
 目を閉じてぐったりと身を預けている妻に、まだまだ足りないとばかりに熱を込めて口づけすると、「ベッドに行こう」と両腕で抱き上げた。
 彼女はまだ目の焦点すら合わないように、ぼんやりしている。二階へ運ばれる間も、夫の脈打つ胸に顔をうずめたまま、ほとんど動かなかった。

 狭い寝室に、月明かりが蒼い陰を落としていた。先程の愛の余韻にまだ紅潮している身体を柔らかなベッドに横たえると、ロイも隣にそっと横になった。
 今は穏やかに凪いだブルーの瞳に感嘆の色を浮かべて、彼女の顔をのぞき込む。

「ありがとう……。明日になったら、僕は君の面影だけを持って、戦場に行くよ。ヨーロッパのどこにいても、いつも必ず君のことを思っている。……結婚式の日の輝くような白いドレスの君、花と自然の中で生き生きと息づいていた君……、そして今夜、君が見せてくれた、僕を圧倒する情熱……。この全てを、きっと戦場を歩く一歩ごとに思い返すだろうな。きっと……」

 喉元まで出かかった『最後の瞬間まで』という言葉は危うく呑み込んだ。
 パトリシアがびくりと震えた。震える手を上げて愛する夫の顔をはさみ込むと、すがりつくようにその目を見返した。

「ロイ……、わたしはどこにも行かないわ」

 静かな声には、ロイをはっとさせる何かがこもっていた。ロイは彼女の表情を見のがすまいと、目を凝らした。淡い月明かりに包まれた彼女は、たおやかで女らしく、けれど不屈の意志と静かな決意に満ちている。

「わたしはあなたの妻よ。だから……この村で、この家で、あなたの帰りをずっと待っているわ。だから、お願い。ロイ、これだけは約束して……」
「パット……」
「絶対に死なないと……。戦争が終わったら、もう一度、必ずわたしのところに帰ってくると、約束して! そうでなければ、明日、行かせないから!」
 見下ろす彼の目に、あきらめたような微笑みが浮かんだ。
「わかった。君にはやっぱりかなわないな。約束するよ……。その代わり、君も決して無理はしないと約束してくれ。パット、愛してる……僕の全て……」
 それ以上、もう言葉にならなかった。一時も離れていられないというように性急に身体を重ね、再び入ってきた彼に応えて身体を開くと、彼の脚に脚を巻きつけ共に動きながら、か細い声で無限に繰り返す。
「ロイ、ロイ……、愛しているわ。愛してる……。必ず帰ってきて……。わたしの、わたし達のところに……」

 二人の夜が、ゆるやかに更けていく。この夜が永遠に終わらなければいいと、心から願った……。


*** ***


 翌日、太陽が中天にかかる前頃、見送りの人々に囲まれながら、二人は村はずれの駅のプラットホームに立っていた。
 電話交換手が、トロントからのウェスコット氏の電報を持って駈けつけてくれた。開いて読んだロイの口元にちらりとユーモラスな笑みが覗く。

 ハリス夫妻やマジソン商店主、それに今ではボブ・スマイルズと婚約したデイジー・ミラーまでがやって来た。
 複雑な表情の婚約者の横で、デイジーはおおっぴらに涙を流し、手にしたハンカチで何度も目をぬぐっている。
 カーキ色の軍服に軍帽をかぶったロイは、いつもの見送りの時と同じように村の長老や婦人達と順繰りに握手をかわし、挨拶した。その間、パトリシアは傍にしっかりと立って、夫を見つめ続けていた。

 汽車の汽笛が鳴った。はっとしたように二人は視線を交わし、かすかに微笑み合った。
「いってらっしゃい……。こちらの様子は手紙に書いて知らせるわ。あなたも必ず書いてね」
 こういうときに言える言葉は、何とありきたりなのだろう。

 頷いた彼が、身をかがめて唇に優しく口づけた。唇に塩辛い味を感じ、パトリシアは自分がまた泣いていることに気付いた。
 ブルーの瞳が切なげに陰る。ロイの手が頬に触れ、一言呟いた。それはおそらく彼女にしか聞こえなかっただろう。それから手荷物を詰めた背嚢(はいのう)を肩にかけると、汽車の段をゆっくりと上がっていった。

 再び汽笛が響き、汽車が動き出した。追うまいと思う気持とは裏腹に、身体が勝手に走り始めた。
 彼が手を上げている。息を切らしてホームの端まで来ると、ぐんぐん遠のいて行く車両に向かって懸命に手を振りながら「いってらっしゃいー」と叫び続けた。

 ついに汽車が見えなくなり、人々が立ち去った後も、パトリシアはしばらくそこに佇んでいた。
 線路の彼方に、つい先日ロイと二人で行ったメイプルの森が、変わらぬ青い葉影を見せている。

『必ず、帰ってくるから……』

 ロイの最後の言葉が、幾度も胸にこだました。はるかなるヨーロッパまで続く青い空を見据えながら、パトリシアは固く心に誓っていた。

 去っていく彼を見送るのは、絶対にこれが最後だ。
 今度帰ってきたら、もう二度とどこにも行かせない!



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17/12/10
ついに出征したロイです…。
何とか無事に、ココまでたどり着けてよかったですが、今オフがかなり忙しく、
かつ、我が家のPCが、ただ今御臨終直前状態で(ああ、買い換えないと〜)
続きの更新がやや遅れそうです。
残り2章くらいで終わると思うので、何とか頑張りたいものです。。。
後ほど、近況をもう少し詳しくダイアリーに書きますね。