Chapter 3

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 あのアーノルドが毎日のようにパトリシアを訪問している、という話をホイットリー邸のメイドから聞き出した時には、怒りのあまり目の前に暗い霧がかかったような感覚に襲われた。
 ぐっとこぶしを握り締めただけで、その場はどうにか持ちこたえ、愛想よく立ち去ってきたものの、そんな、冷静に考えてみれば当然のことにさえ、予想外の衝撃を受けている自分に気付くと、またもや無性に腹が立ってくる。つい深酒して、翌日二日酔いに悩まされるはめになり、また自己嫌悪に陥る。完全に悪循環だ。

 実際、どんなにあがいてみたところで、どうにもならない状況だということはよくわかっていた。にもかかわらず、たった一つ彼女との接点であるこの件に、今も未練がましくしがみついている自分を、時には思い切り嘲笑し、罵倒したくなる。
 だが、それでもこの広大なカナダの地で、ようやく見つけた彼女を、また見失いたくなかったのだ。

 そして同時に、ロイの中にどうしようもなく引っかかる疑問があった。ニコルズ氏の部屋から密かに持ち出したあの手紙の内容だ。
 その文面から、ニコルズ氏とラトランド商会との間に、何らかのトラブルが持ち上がっていたことは容易に窺えた。結果として、氏は手紙の差出人から、脅迫を交えた説得を受ける羽目になっていたらしい。その相手は実に丁重な文言で『例の件』に関する色よい返事を迫りながら、同時に、もしノーと言うなら、トロントにおけるニコルズ氏の事業者としての立場は、ひどく悪くなるだろうと、警告していた。

 なるほど脅迫か。それで話合いでなんとか解決を図ろうと、ニコルズ氏は誰にも言わず、出かけたに違いない。行き先は、おそらくラトランド商会、いや、そうとも限らないだろうか。
 そして、その後は? いったいどこへ行ったのだろう?
 あるいは話し合いがこじれ、もっと大きな厄介事に発展したのかもしれない。
 何らかの手がかりは残されていないかと、市内のホテルやパブなどの記帳も当たってみたが、それらしい記録は今のところどこにも見あたらなかった。

 とすると、ふいうちで、どこかに連れ去られでもしたのだろうか?
 あるいは、ほとぼりが冷めるまで、雲隠れか?
 だがいずれにしても、なぜそこまでしなくてはならないのだろう。
 この『例の件』とは、いったい……?


 こんなわけで、ロイはこの三か月間、少しでも気を緩めれば暴走し始めそうなパトリシアへの複雑な感情を、どうにか胸中深くにしまいこんだまま、仕事の合間を縫って、というよりほとんど仕事も犠牲にしながら、ラトランド商会とホイットリー氏の関係について調べ回っていた。
 当然、本業である弁護士業の方がしわ寄せを被ったし、担当件数も少し減らさざるを得なかった。ウェスコット氏から眉をひそめられ、時にはいやみを言われたが、それは彼の中でもはや執念に近いものになっていた。
 ラトランド商会はトロントにある大手鉄道会社と、幾つかの鉄道債に関し、独占的取り扱い契約を結んでいる米国系商事会社だった。そしてその商会に、理事として名を連ねているのが、他ならぬアーノルドの父、トーマス・ホイットリー氏だ。
 もちろん金のないロイには、縁もゆかりもない世界だ。だが、新規鉄道事業に伴う莫大な資金調達のため、鉄道会社が発行するこの債券は、アメリカ・カナダをはじめ、欧州から東洋にいたるまで、利権を得ようとする富裕階級から、絶好の投資の対象としてもてはやされていることはよく知っている。

 鉄道債とラトランド商会、そしてその理事ホイットリー……。

 これにいったいどういう要素が加わるのだろう? ホイットリー氏の後妻はニコルズ氏の姉の一人であり、二番目の息子とニコルズ氏の娘であるパットを婚約までさせている……。
 あるいはトーマス・ホイットリーは、このニコルズ氏の件とはまったく無関係なのだろうか?

 掴みきれないもどかしさに苛立った。もう少し深く立ち入って、調べることができれば……。
 その機会を狙っていたある日、当のホイットリー家でパーティが開かれること、そこに市内の主な名士と、そしてラトランド商会の者達が招かれている、という情報を得たのだった。

    
 考え込むロイの微妙な表情の変化を、目を細めて眺めていたウェスコット氏は、やれやれというようにため息をついて、また頭を振った。
「とにかく、ホイットリー家とラトランド商会が、何か鉄道債絡みの癒着があるのは間違いないだろうがな」
 説教の続きのような口調で言いながら、彼のまとめた報告書をデスクの上から取り上げ、指ではじいた。
「本業とは関係もないのに、お前がご丁寧に調べあげてきたこの報告書によれば、ホイットリー氏は商会経由でこれまでも鉄道債を大量に購入しているし、その債券はいずれも大きく利益を上げているようだな。だが、そこにニコルズ氏の件が絡むと、どうして思うんだ?」
「……まあ、勘みたいなものです」
「やれやれ。それは実に、たいした代物だな」
 思い切り皮肉を言われても、突っ立ったまま動かないロイに、ウェスコット氏もついにあきらめたように椅子の背にもたれかかった。
「その顔では、たとえわしが何と言おうと、無理矢理にでも乗り込むつもりだな。もしパーティの招待状がなければ、どうしようと思っていたんだ?」
「雇われ者に化けて裏からでも、入り込むつもりでいました」
 何くわぬ顔で答える。
「まったくお手上げだな」
 さじを投げたというように、ウェスコット氏は机の一番上の引き出しを開くと、しゃれたデザインの封筒を取り出した。
「そら、パーティの招待状だ。始まるまでにあと一時間ほどしかないぞ。いいか、くれぐれも言っておくが、お前はわしの代理で行くのだからな。慎重に振る舞えよ。特にアーノルド・ホイットリーには顔を知られている。絶対におかしな真似はするな」
「ありがとうございます。肝に銘じます」
 ロイはごくりと唾を飲み込み、それを受け取った。
 少し手が震えた。これでようやく、彼女に会える……。心の底からやみくもに湧いてくる思いを、必死で意識の外へ追い払いながら、封筒の中身を確認した。
「まさかその格好で行くわけじゃないだろうな? イブニングコートは持っているのか?」
「友人に借りるよう、手配してあります」
「この大馬鹿者めが!」
 もうひとつ大きなため息をつき、吐き捨てるように呟いた上司に、深々と一礼すると、心配顔で見つめるマーシーへの挨拶もそこそこに、ロイは急ぎ足で事務所を後にした。


*** ***


 パトリシアがアーノルドに同伴されホイットリー邸に着いた時、すでに時刻は八時近くなっていた。
 夏の戸外はまだ十分明るかったが、パーティはとうに始まっている。パトリシアはアーノルドに手を取られ、柔らかい絨毯の敷かれた中央階段に続く玄関ホールから、二階の広間へと上がっていった。
 華やかな招待客に混じると、嫌でも背筋がぴんと伸びる。顔をしっかりと上げていなければ。ここでは決して物怖じしてはならない。堂々と自信を持って振る舞うことだけが、小さな自分を守る唯一の手段だ。

 広間に入ったとたん、アーノルドの兄嫁、つまり未来の義姉となるフェリスが二人を目ざとく見つけ、声をかけてきた。
「あら、今日はパティも一緒なのね。久し振りだわ。もっとちょくちょくこちらにも顔を出せばいいのに。お変わりなかったかしら?」


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17/01/10
お読みいただくのも、ちょっと忍耐が要る箇所だと思いますが…(汗)
次あたりで、会える……かな?