Chapter 4

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 冗談めかして言いながら、やや乱暴に彼女の腕をはずすと、身体を押し戻した。これ以上彼女に触れていたら、間違いなくさっきの二の舞になってしまう。現に今の接触だけで、身体の奥がまた耐え難いほどうずき始めていた。
 パトリシアは「えっ?」と言う表情で彼を見ていたが、すぐにどぎまぎしたように顔を赤らめた。あわてて元の姿勢に戻ると、決まり悪そうに俯いてしまう。

「……ご、ごめんなさい。普段は絶対にこんなことしないのよ。あなたといると、どうしてかしら。きっとサマセット村の思い出のせいね。あなたがもうわたしの大好きだったロイではなくて、やり手のクライン弁護士なんだってことを、つい忘れてしまうみたい」
 返事がないので、また顔を上げる。自分をじっと見下ろしている彼の表情に、何かが走ったような気がした。深みを増したブルーの瞳が一層間近にあり、パトリシアは次第に動悸が激しくなってくるのを感じた。どうにも落ち着かなくなってきて、立ち上がりかけたが、伸びてきた手に腕をつかまれ再びベンチに引き戻されてしまう。
「座って、パット」
 口調は穏やかだったが、どこか有無を言わせぬ断固としたところがあった。ゆっくりとその目に吸い寄せられるように、また腰を下ろす。

「僕は何も変わっていない。あの頃のままのロイさ。むしろ変わったのは……君のほうだよ。ずっと腑に落ちなかったのは、まさにそのことだった。パット、いったいどうなってしまったんだ? 僕の知っている君は、あんな奴に黙って言いたい放題言わせておくような、おとなしいだけの意気地のない女の子じゃなかったはずだよ。……第一、なぜ君はあの男と婚約した? 君が本気で奴を思っているとは、僕にはどうしても信じられないんだ」
 彼女の黒い瞳が一層大きく見開かれた。思わず口をついて溢れそうになった思いを、パトリシアは必死で飲み込んだ。

 なぜ、そんなことを聞くの?
 わたしの気持なんか、あなたには絶対にわからないでしょうに。
 あなたはいつだって、とても自由で生き生きとしていて、自分の思い通りに生きてきたんですもの……。

 青ざめた顔を強張らせたまま黙っている彼女をしっかり見据え、ロイはさらに本心を探るように瞳の奥を覗き込んでくる。パトリシアはとっさにもっと離れようとしたが、いつの間にか、彼の手で再び両肩を押さえられてしまっていた。
「覚えてるかな? 以前僕と少し話した時の奴の口ぶり。あれだけでも、あいつが人間として、君の尊敬に値する男だとは、到底思えなかった。それとも、奴が囲まれているあのすてきな屋敷や財産がすべて、ということかい? それさえあれば君も、世間によくいる女達同様、他のことなんかどうでも構わないってわけ?」
 しばし呆気にとられて、パトリシアは彼の顔をまじまじと見た。これはたちの悪い冗談か何かだろうか? だがロイの陰鬱な顔は真剣そのもので、決してジョークを言っているようには見えない。
 だとしたら、とりわけ最後の文句はひどかった。プライドを激しく傷つけられ、ショックと共に強い怒りがこみ上げてきた。腹立ち紛れに彼女は今度こそ力いっぱい身体をひねると、肩を押さえていた手を払いのけた。ロイも素早く立ち上がる。気がつくと、またも二人はベンチの前に立って、にらみ合っていた。

「あなたこそ、わたしを侮辱するつもりなの!? 随分無礼な質問ではないかしら、ミスター・クライン。とても紳士の言葉とは思えないわ」
「あいにく、僕は紳士階級出なんかじゃないんでね。そのことは君が誰よりもよく知ってるはずだろう? さあ、僕の疑問に答えてくれ」
「そんな義務は、まったくないと思うけど」
「そうかい? だが、僕には少なくとも、一言くらい答えてもらう資格があると思うよ」
「あら、ずいぶんな自信ですこと。いったい、どんな資格があるっていうの?」
 とげとげしい彼女の言葉に、ロイは思わず目を細める。

 君を愛してきたこの十年にかけてさ! 
 心の中でそう叫んでいたが、決して口に出すことはできなかった。高ぶった気持を静めようと努めながら、彼は息を一つ吸い込んだ。

 今や、ロイの言葉が、視線が、そして彼の存在そのものが、パトリシアの心をかき乱し、激しく揺さぶり始めていた。
 どうにも耐え難くなってきて、とうとう目を伏せてしまう。だが、彼の追及はまだやまなかった。もう一度促すように名前を呼ばれ、彼に引く気がないのがわかると、思わず小さなため息が漏れる。
「どうしてアーノルドと婚約したかって……」
 仕方なくここ数年、幾度も自分自身に言い聞かせている決まり文句を口に出してみた。
「アーノルドは……、とてもハンサムだし、マナーも申し分ないわ。社交界にお友達だってとても多いのよ。住んでいるお屋敷もたしかに立派だし、毎日わたしに会いに来てくれるもの。わたしが文句を言う理由は一つもないと思うけど?」
「パット、僕を見て」
 ロイの声が少し緊張した。パトリシアは思わず心の中でうめき声をあげた。
「僕がたった今似たようなことを言ったら、ひどく怒ったくせに。嘘はよしたほうがいい。君は昔から、嘘をつくのは上手くなかったからね。第一、それならどうして、そんなにつらそうな顔をしてるんだろう?」
「……つらそうな顔なんか……、してないわ。ねぇ、お願い、もうやめましょう。こんな話したくないわ。それにどうしてわたしにそこまで聞くの? そんな権利、あなたにはないのに」
「君が嘘をつくからさ。もっと自分に正直になれよ、パット」
「嘘じゃないわ! だって、わたしはアーノルドを愛し……」
「君はあいつを愛してなんかいない! それくらいは僕でもわかる!」

 遮った彼の口調の激しさに、パトリシアは驚いて口を閉ざした。まじまじと見つめる彼女に、ロイは冷たくもう一度繰り返した。
「さっき君にキスしたとき、少なくともそれだけはわかった。もし君が本当に婚約者を愛しているなら、僕のキスにあれほど熱心に応えることは、決してなかったろうからね」


 こんなことを言えば、きっと彼女を傷つけてしまうだろう……。
 そうわかってはいたが、今まで自分が味わってきた痛みのために、多少仕返しをしてやりたかったのかもしれない。
 また顔をこわばらせたパトリシアを見ながら、ロイは口元に意地悪い微笑を浮かべた。
「君もさっき、僕にキスを返してた。それこそ飢えてるみたいにね。否定してももう遅いよ」
「そ、そんなこと……、してないわ。するはずがないでしょ。それにさっきのあれは……、あなたがその……、無理に」
 ロイとこんな会話をしているなんて信じられない! パトリシアの声がつい上ずった。辺りが暗くてよかった。頬が熱くなっているのがわかる。

 だが、彼は引く気配を見せなかった。それどころか、さらに一歩近付いて、 肩をがっちりと押さえ込んでしまった。
「僕が無理にしたって? へぇ、ならもう一度試してみるほうがいいかな?」
「ひどい! なんてひどいことを言うの。とんでもないわ! あなたってやっぱり……」
「やっぱりなんだい? レディには到底口にできないようなセリフかな? だったら、もう一度ここで試してみたらどうだい? もっとよくわかるかもしれないからね」

 言うが早いか、ロイは彼女の顔を両手で挟み込むように押さえると、再び荒々しく唇を重ねていた。


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17/01/25