Chapter 6

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 なるほど……。鉄道債価格の不正操作と裏取引か……。

 ロイは声には出さず、そうつぶやいた。随分前のことだが、合衆国で似たようなケースで摘発されていた記事を読んだ記憶がある。目の前の紙切れと彼女がもたらした情報内容から推量すれば、同様の案件である可能性は非常に高い。さらにラトランド商会は米国系商事会社だ……。
 彼はその記事の内容を詳しく思い出そうと、しばらく目を閉じて記憶の中を探っていた。ついにパトリシアが業をにやしたように、声を上げた。
「それで、何がわかったっていうの? わたしはどうすればいいのかしら、ねぇ、ロイ!」
「少し黙っていてくれないか」
 きつい口調に、彼女はぎゅっと唇を噛み締めた。

「すまなかった。第一君はひどく疲れているのに……。もう行こう。休まなくちゃいけないよ」
 パトリシアの反応に気付き、慌てて鞄に書類を詰め込みながら重大な問題に気付いた。彼女をどこで休ませるつもりだ? 今の状況ではチャンドラー邸には戻れない。思わず懐に手をやって財布の具合を確かめた。
「今夜はとりあえず、どこか近くのホテルにでも……」
「ねえ、ロイ。ホテルよりあなたの家ではいけないかしら?」
 パトリシアは大まじめな顔で切り出した。「わたし、あなたのおうちに行ってみたいわ」
「……冗談だろう?」
 あせるようにつぶやいた彼に、パトリシアは今日はじめてにっこりと笑いかける。
「もちろん本気よ。あなたのおうちには客室と客用寝台はあって? もしなければ大きな長椅子でも、そうね……、クッションと毛布を貸してくれれば……多分大丈夫だと……思うわ」
 多分ね、と心の中でもう一度付け加える。
 そう思いつくなり、パトリシアはこの考えがすっかり気に入ってしまった。急に彼の家に行ってみたくてたまらなくなる。彼の部屋を見せてもらい、今のこれよりは座り心地のいい椅子に座って、離れ離れになった後のことを語り合ったり、彼の大学の話を聞けたら、どんなに素敵だろう。
 思えば、ロイと再会はしたものの、とても慌しい時間しか持てず、二人きりで、まるで本当の恋人同士のようにくつろいだ時間を過ごしたことなど一度もなかったのだ。

 恋人ですって……? わたしとロイは恋人同士なの?

 その耳慣れない響きにパトリシアの頬が少し赤らむ。
 実際、『恋人』という言葉で自分とロイを表現するには、かなり違和感があった。だが、自分にあんなふうにキスする男性を他にどう呼べばいいのだろう?

 期待に胸を膨らませている彼女を見返すロイの目は何とも測りがたかった。
 彼はむっつりと顔をしかめて腕を組んでいた。結局返ってきたのは、楽しい空想を一気にしぼませるような冷たい言葉だった。
「まことに申し訳ないが、それはやめたほうがいいな。それに客用寝室なんてうちにはないんだ。まったくどんな豪邸だと思っているのやら……。少なくとも君がこれまで暮らしてきたようなごたいそうな屋敷には縁もゆかりもない、とだけは言っておくよ。突然何を言い出すかと思えば。第一、自分の名誉ってものをまるきり考えていないのか? とにかく絶対だ・め・だ!」
 厳しい言葉と視線に今度こそパトリシアもうなだれてしまった。言い過ぎたと思ったのか少し表情を和らげる。
「ウェスコット先生に電話してみよう。もし先生とミセス・ウェスコットさえよければ、あそこなら君が言うような部屋が……」
 電話をかけようと上司の机に近付いたとき、外の扉を激しく叩く音がした。

 ロイははたと足を止め、二人は顔を見合わせた。
「ミスター・ウェスコット! 開けてください! いらっしゃらないんですか?」
 見知らぬ男が叩きながら大声で叫んでいる。ロイはパトリシアにさっと奥のドアを差し示した。
「そこに……」
 彼女がうなずいて書架の横の狭い資料室に姿を消すと、ロイはゆっくりと事務所の扉を開いた。
 そこに立っていたのはあろうことか、警察官とホイットリー邸の運転手だった。彼はいかにも驚いたという表情で交互に二人を見比べた。

「ウェスコット弁護士はおいでかな」
 横柄な態度のポリスにむっとしたが、何食わぬ顔で答える。
「いいえ、まだ日のあるうちにお帰りになりましたが、どうされました? 何かお困りのことでも?」
「いえ。実は、こちらのホイットリー邸のご令嬢、ミス・ニコルズが今日の昼頃に、家を出たままお帰りにならんそうでしてな。ミスター・ホイットリーが非常にご心配されて、今、市内を捜索中なのですよ」
「ほお。それはさぞご心配なことでしょう。ですがまた、なぜこちらに?」
 ホイットリーの奴め、ついに警察まで抱き込んだのか! 奥歯を噛み締めながら何食わぬ顔で問い返すと、今度は傍らの運転手が説明し始めた。
「だんな様とお坊ちゃんのご命令で、先日の招待客リストを見ながら、一軒一軒お尋ねしてまわっているというわけで……。いや、何、こちらの話ですがね。念のためにお尋ねしますが、この事務所に今日、若い娘さんが訪ねてきませんでしたか?」
「さあ、存じませんね。大体、ここは若いお嬢さんのお出でになるような場所ではないと思います。先生が帰られた後はずっとわたし一人でしたし」
「はあ、そうでしょうな。では、ミスター・ウェスコットはただ今ご自宅ですかな?」
「おそらくそうだと思います。先生の今夜のご予定までは存じませんが」
「あんたの顔、以前どこかで見たような気がするんだが……、はて?」
 ロイの顔をじろじろ見ながら首をひねっている運転手に、内心ぎくりとしたが表情には一切表さず、さりげなく外の通りに視線をそらした。

 招かれざる二人の客は、事務所の中までのぞいていたが、やがてぶつぶつ文句を言いながら再び往来に出て行った。次はウェスコット氏の家にでも行くつもりか。くそっ、これでは街中に出ていくわけにもいかない……。

 彼らが完全に遠ざかったのを窓から確認した後、ロイは資料室の扉をノックしてパトリシアを呼んだ。扉が小さく開き、青ざめおびえたように目を見開いた顔がのぞいた。
「パット、僕の部屋に行こう。ひどい所だが、ここで寝るよりはまだましだ。あそこなら誰も探しに来ない。おいで」
 彼女はふらりとロイにもたれかかった。衝撃を受けて再び震えだした彼女を励ますように、両手できつく抱き寄せる。

 用心深く辺りを見回しながら、二人は夜の闇にまぎれて事務所をそっと後にした。


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17/03/07
近況雑感などを少々、ダイアリーにて。