Chapter 7

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「まだ見つからないだと!? お前達、いったいどこを探してきたんだ?」
 その夜更け、アーノルド・ホイットリーは父の書斎で、空手で戻ってくる男達を見るたび、いらいらと怒鳴りつけていた。傍らのテーブルには、自室のベッドの下で見つけたパトリシアの帽子が載っている。
 あの時、彼女がこの屋敷に来ていたとは何という不覚だろう。話を盗み聞きされ、隠しておいた書類までまんまと持ち逃げされてしまうなど、まったく考えられないことだった。

「もう休め、アーノルド」
 やがて渋い表情のまま、ホイットリー氏が書き物机から立ち上がった。
「今夜はもう無理だろう。警察は押さえてある。所詮小娘一人だ。どこに行ったのか知らんが、もしパトリシアが見つかれば、連中は何か聞く前にまずこちらに連絡してくる」
「しかし、お父さん……」
「明日だ」
 不機嫌に寝室に引き上げていく父親を、アーノルドは憮然と見送った。ますます苛立ちがつのる。これだけ探させているのに、彼女はいったいどこに消えたのだろう?

 事態がわかるとすぐさま彼は、チャンドラー邸に出向いた。パトリシアが帰っていないと聞くなり、彼女の母ニコルズ夫人は驚きのあまり倒れてしまった。夫人のことは伯母に任せ、その後、彼女の友人達の屋敷に片端から問い合わせているが、依然として行方はつかめないままだった。
 彼女が行きそうな場所で、自分達の息のかからないところなど、どこにもないはずなのだが……。

 まさかどこかの街頭で……。
 アーノルドは思わず小さく唸り声をあげた。市内の主な通りも探させているが、見つかったという報告は入ってこない。
 彼女が突然、こんなことをしでかすとは衝撃だった。だが、よく考えてみれば最近変化したパトリシアの言動にも、おそらく関連があったのだろう。
 ここに至ってようやく、何か理由があってのことに違いないと気付き、あれこれ思い返しているうちに思い当たる節があった。彼女があのパーティの夜、屋敷を抜け出して一緒に出かけたという、見知らぬ男の存在だ……。

 なるほど、それでは招待客の一人に違いない。くそっ、なんて気が利かない話だ。あの時、もう少し突っ込んで聞いておきさえすれば、この件はもっと早く片が付いたものを。

 すでに夕暮れになっていた。自邸に戻るなりすぐさま屋敷にいる男達を全員集め、二百人以上の招待客リストを片端からあたらせ始めた。だが、それも収穫がないまま次第に夜が更けていく。
 疲労と苛立ちが重なり、彼の怒りはますます激しくなるばかりだった。パトリシアを見つけたら、今度こそただでは済ませるものか。目に物見せてやる。そう思うと手がむずむずした。
 大体今までが彼女に甘すぎたのだ。今度こそ、誰が主人なのか、彼女もたっぷりと思い知ることになるだろう。まったく、こんな失態をさらす羽目になるとは……。
 彼は悔しそうに唇をゆがめた。この件で、自分に対する父の信用は地に落ちたことは明らかだった。ホイットリー家の後継者の一人として、はなはだしく不名誉な履歴になってしまう。不愉快極まりない話だ。


 そのとき、戻ったばかりの運転手が書斎に入ってきた。彼の報告を聞くなりアーノルドの表情が変わった。
「間違いないのか? パトリシアが一度、チャンドラー邸に連れてきたことのある男、だと?」
「はい、申し訳ないこってす。随分と前のことでしたんで、とっさに思い出せませんで。ついさっき、やっと気がついて急いでそこへもう一度舞い戻ったんですが、事務所はとうに真っ暗闇で……」
「なるほど」アーノルドはにやりと笑った。
「よくやった。そいつかもしれない。もっと詳しく聞かせてくれ」


*** ***


 路地裏を抜け、ようやく二人はウエストバレー通りにあるロイの下宿、コンウェイ邸まで辿り着いた。わざと裏道に入り、周囲に気を配りながら足早に歩くロイに引っ張られて、パトリシアはすっかり息を切らしていた。ロイの方はむっつりと黙りこくったままだ。
 建物が密集するごみごみした一角の古びた館の前でようやく立ち止まった。明かりすら灯らない狭い階段を示され、パトリシアは一瞬躊躇するように彼を見た。
「だから言ったろう? ろくなところじゃないって。それならどうする? やっぱり君のお屋敷に戻る方がいいかい?」
「そんなことあるもんですか」
 ロイの声に嘲笑が混じったのを感じ、パトリシアはつんとした口調で言い放った。彼に続き、おそるおそる安煙草とウィスキーの匂いが染み付いた急傾斜の階段を昇っていく。ロイは暗い廊下に幾つか並ぶ扉のひとつを開くと、入ってすぐの所に吊り下げられたランプを点した。
 牛脂ランプの黄色い光に照らされたその部屋は、彼女が思い描いた部屋とはまったく異なっていたが、それでも清潔だったし、きちんと片付いていた。
 彼女はしばらく、驚きのこもった目で室内をまじまじと見つめていた。

「我が家は、お気に召しましたかな?」
 振り返ると、ロイが帽子を壁にかけて、こちらをじっと眺めていた。彼女の反応を面白がっているようでもある。
「え、ええ。も、もちろんよ。こんな……、お部屋は初めてですもの……」
 言葉尻が少し小さくなる。ロイが不愉快な笑い声を上げて訂正した。
「こんな『悲惨な』部屋は……だろう?」
 彼はすすけたカーテンを閉めると、パトリシアに向かって慇懃に一つしかないカウチをすすめた。
「きっと君なんかには、想像もつかなかったくらい酷い所だろうな、パトリシア。ここが、僕の三年来の住処さ。だが、これでもまだ学生時代よりはずっとましになったんだよ。あの頃はもっと狭くて臭かった上、二人部屋だったんだから。ま、いずれにしろ、パトリシアお嬢さんの『お部屋』という概念からは、どだい外れてるだろうがね。申し訳ないが、今夜一晩はここで頑張っていただくしかないようだ。ねずみはいないから安心していい」
「ひどいわ、ロイ。わたしそんなこと一言も言っていないじゃないの!」
「君の顔に書いてあるさ。ほら、こっちが寝室だ」

 つい涙ぐんだパトリシアをちらりと眺め、ロイは口元を僅かにゆがめた。それ以上は何も言わず、もう一つランプを点けると、隣室のドアにさっさと消えてしまった。
 パトリシアには、なぜロイが急に意地悪でそっけない態度になったのか、まったく理解できなかった。一気に気持が沈んでしまう。こんな羽目になって、やっぱり腹を立てている、としか考えられなかった。でも、それでは、いったいどうすればよかったのだろう……。
 途方に暮れて頼りない気持のまま、後を追って隣室に入ると、ロイは屈み込んでベッドのシーツを替えているところだった。一応ダブルサイズだが、彼女がいつも使っている天蓋付きの寝台より、よほど狭く見える。

 もし、二人でこれを分かち合ったとしたら……。
 ロイはまた、わたしにキスしてくれるかしら?

 ふと目の前をよぎった二人の姿に、パトリシアは慌てて頭を振ると、そのイメージを追い払うべくぎゅっと目を閉じた。部屋が暗くて本当によかったと思う。


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17/03/11
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