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 わたしの名誉……。

 その言葉がローレルの胸に殺伐と響いた。確かに、名誉は誇り高い貴族にとって最も大切なものに違いない。
 でも、わたしの名誉のことを心配してくれるより、嘘でもいいから愛していると言ってくれた方が、どんなに嬉しかったか……。この期に及んでも、彼がそう言ってくれないのは、そういう感情をひとつも持ち合わせていないからだろう。
 ローレルは控えめに彼を見返した。乾いた涙がまぶたの裏でひりひりする。

「名誉なんて……、そんなもの、どうでもいいんです。もうとっくに失くして久しいですから。あなたのお気遣いには感謝いたしますわ。でも、これでご満足なさったのでしたら、そのお手を離していただけると……」
「満足だと? とんでもないことを!」

 彼女の落ち着きにさりげなく加えられた皮肉が、侯爵の消えかけた怒りの火に再び油を注いでしまったようだった。黒い目が再び激情を帯びて細められる。危険な微笑を浮かべて、彼はローレルの身体を覆っていたシーツを一気に剥ぎ取った。
 ぎょっとして、シーツを奪い返そうと手を伸ばしたが、再びのしかかられて唇を乱暴にふさがれてしまうと、どうすることもできなくなった。そのまま彼の片手が、閉じられたローレルの腿の内側の柔らかな肉付きを再び撫で始めた。やがてゆったりと上下していた手のひらが、敏感な付け根に戻ってくると、二本の指がこじ開けるように繊細な内側に侵入してきたので、息を呑んで激しく身をよじった。
「あっ、嫌っ、お願い、もうやめて!」
 顔を必死にそらせ、荒々しいキスから唇がようやく解放されるや、ヒステリックな声を上げて夢中で彼を押しのけようとした。だが、嘲笑めいた笑いとともにますます彼の体重がかかり、身動きできないほどベッドに押さえつけられてしまう。

「やめるものか! 君の方も、まだまだ満足などと言う言葉には程遠いとも。どうやら全くわかっていないようだから、何度でも教えてあげよう。いくら頑固な君でも、わかったと叫んで泣き出すまでね」


◇◆◇  ◇◆◇


  窓に差し込む日差しが眩しかった。時刻はもう、正午に近付いているようだ。
 宿の女中の手を借りて一応身支度を整えた後、ローレルは椅子にただぼんやりと座っていた。身体の奥の一番密やかな部分が、まだ鈍い痛みにうずいているようだ。
 昨夜、夜半過ぎまで続いた乱暴とも言えるほどの行為の後で、彼女がほとんど意識を失ってしまったとき、彼が洗面器の湯を運ばせ、手ぬぐいでその部分を含む全身をきれいに清めてくれたらしかった。そんなことを殿方にさせるなんて、意識を失っていなければありえなかったと思うし、叔母が聞いたら卒倒してしまうだろう。だが、あれらの行為の後では、もう大したことでもないような気がした。

 そのとき、ドアに強いノックがあり、返事をするより先に開いた。
 彼が戻ってきた。別室で沐浴を済ませ再びきちんと乗馬服を身に着けたジェフリーは、やはりすばらしくハンサムで胸がときめくほど男らしい。けれど、今のローレルは、そういう感情の動きさえ麻痺してしまったようだった。
 背後に食事のトレーを持った女中を従え、ローレルの前に立つと、侯爵は自ら女中の手にある銀色のふたを開き、ガチョウ肉のローストを挟んだサンドイッチと、湯気の立つスープ、それに果物などを彼女の目の前のテーブルに置いた。その女中を下がらせると、まだ放心したように動かないローレルの前にかがみ込み、彼は自らの手を添えて力のない手を持ち上げ、スプーンを握らせながら言った。
「君の食事だ。食べたらロンドンに戻ろう。ここからは心地よく旅ができる」
 その言葉にびくっとした彼女をいたわるように見つめ、少し乱れた金髪をやさしく撫で付ける。
 彼の中に今、初めて掘り当てた愛しさが泉のように溢れていた。昨夜はかっとなって、かなり手荒なことをしてしまった。赤黒くあざのついたローレルの手首に気付き、そっとドレスの袖のレースで隠してやる。
 こうなったことを彼女に後悔させるつもりはなかったし、結果的に、すさまじく頑固だったこの女性も、やっと無駄な抵抗をやめて従う気持になったようだ。
 結婚してアシュバートン侯爵夫人となれば、社交界で彼女をとやかく言う輩など誰も居ないだろう。一緒に暮らすようになれば、彼女を甘やかして、贅沢も好きなことも何でもさせてやれる。今そうでないとしても、必ず自分をもっと求めさせることができる。そんな自信があった。
 だが彼女は、表情を曇らせたまま、せっかくの食事もほとんど食べようとしない。侯爵は苦心してやっと数口スープを摂らせると、サンドイッチはバスケットに詰めさせて持っていくことにした。


 馬車で隣に座っていても、ローレルは放心したように窓から外を見ているばかりで、一言も口を開かない。
 侯爵は彼女を見ながら、内心自分をののしっていた。夕べのやり方では、全く紳士的と言えなかったのはわかっているが、どうやら想像以上に、この純粋な乙女を傷つけてしまったらしい。

「ローレル、すまなかった……。夕べは完全に頭に血が上ってしまって……すっかり自分を失っていた……。君をひどく傷つけてしまった……この償いは必ずする」
「………」
 生まれてこの方、謝罪などほとんどした覚えのないジェフリーだったが、つっかえつっかえ、ようやく口に出した。そしてしばらく黙っていたが、何も返事がないので、彼女の肩をそっと腕に引き寄せると、こめかみに唇を押し当てこう言った。
「とにかく……、ロンドンに戻ったら真っ先に結婚式の告知を出そう。今日から三週間で、君はアシュバートン侯爵夫人になるんだ。美しいドレスも好きなだけ買うといい。結婚披露のパーティも開かなければならないからね」
 その言葉にびくっとしたように、彼女がようやく反応を示した。馬車に乗ってから初めて、目に怖れの色を浮かべて彼を見返すと、疲れ切ったように口を開く。
「……いいえ。その必要はありませんわ。そんなこと、考えてもいません。あなたはただわたしを、バーミンガムシャーの家まで連れて帰ってくださればいいだけで……」
「考えてもいない、だと?」
 侯爵が噛み付くようにさえぎった。そこで、またかっとなったことに気付き、懸命に抑える。声がかすれた。
「……君は、わたしを侮辱したいのかな? さもなくば、よほど怒らせたいと見えるね。そのつもりなら大成功だよ」
 違うと言う代わりにそっと首を横に振ると、ローレルは力なく答えた。
「だって、本当のことですもの……。わたし、あなたとの結婚なんて、夢にも考えていませんわ」
「ほう。それはどうしてかな? 忘れたとは言わせないよ? わたし達は昨夜一晩、ひとつのベッドで完全に親密に過ごしたんだ。レディがあのような行為の後で、その相手と結婚しないなどとは、狂気の沙汰だと思わないか?」

 眉を上げて皮肉に微笑みながら、努めてやさしく説得するように、彼女の頬やまぶたに、いくつもキスを落としていく。

「ですから……、そのことについて、あなた様が責任をお感じになる必要はないと申し上げているんです」
「責任? もちろんあるとも! わたしとの結婚について、今まで考えてもみなかった、と言うなら、今すぐに考えてみるんだね。それに……」
 もう抵抗する力も出ない、というように、力なく彼にもたれかかっているくせに、まだ素直に首を縦に振らない彼女に、少し意地悪い気持が沸いてきた。馬車の窓から、牧草地で草を食んでいる羊の群れにちらっと目を向け、さらに畳み掛ける。

「パトリッジ館だって、今後どうなるかわからないのではないかな? シルヴィアと君の兄上が、積み上がっている借金を無事に返せればいいがね。さもなくば、館も抵当に入るのは時間の問題だろうな」




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patipati
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14/5/28 更新
侯爵様、じれったさのあまり、だんだんブラック化してきておりますね。
いつもありがとうございます〜。