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本作品は、夏目漱石の『吾輩は猫である』の主人公猫の誕生100年を記念した
『吾輩ハ猫まつり』投稿作品です。
それゆえごく僅かに、この漱石猫をかすめております。ご了承くださいませ(笑)




《 前 編 》



 吾輩は仔猫である。名前はタマである。

 母猫の大きな体の蔭に身を潜め、乳を求めてか細い声をあげていた、というのは今でも確かに記憶にある。同じ母猫の胎からは、たくさんの兄姉猫が生まれた。吾輩はその末弟にして、つやよし毛並みよし、左耳と右後足に黒いぶちのある、一番の器量よしであった。
 そのとき、母猫の腹にずらり並んで乳を含んでいた多くの兄猫の中の一匹が、かの有名な毒舌文士猫になるなどとは、いったい誰が想像したであろうか。

 生まれた当初大勢いた兄姉猫達が、一匹また一匹とつまみあげられ、何処へともなく連れ去られては、帰らぬ猫となった。寝床が随分寂しく思われたころ、残った吾輩達の前を通りかかったのは、見目麗しく心優しげな一人のうら若き乙女であった。その女子のすんなりした魔法の手が、まだ三匹いた中から吾輩の細い首根っこを捕まえた。これには吾輩の器量のよさも、二役くらいかっていたやも知れぬ。


 かようにして、吾輩はどぶの中より拾い上げられた。
 これはエゲレス国の言葉では『らっきぃ』と呼ぶらしい。さもなくば、おそらく今なお吾輩はごみごみした長屋界隈にて、近隣の野良猫どもを相手に、熾烈なる縄張り争いなんぞを、繰り広げていたに相違ない。

「静香さん、そのようなぼろ猫は、そのままどぶに捨て置くのが利口です」

 吾輩が乙女の着物から漂うほのかに甘い香りをよい心持ちでかいでいると、冷たい女人の声が、頭上斜め上より降り注いだ。

 うぬ、これは聞き捨てならぬ。

 まだあるかなきかの爪を一生懸命出して見せ、威嚇しようとした矢先、意外にも吾輩を懐に抱きかかえ断固がんばったのは、その『シズカ』なる乙女であった。

「いいえ、母上様。わたくしこの仔もいっしょに連れて参ります。知る者とてない、言葉さえも通じぬ異国に参らねばならぬのなら、この仔にわたくしの話し相手になってもらいましょう」


◇◆◇



 一寸先は闇、いや、輝ける光のこともある……。

 少なくとも、じめじめしたどぶの如き場所から、いきなり真っ黒な煙を吐く蒸気船なるものに乗せられて、どんぶらこと大洋大海をいくつも越え、吾輩がエゲレス国くんだりを訪れるなどとは、夢だに、そうやすやすと見るものではない。
 まったく猫の一生も、時には女の一生と同じくらいわからぬものである。そのとき吾輩を拾った乙女は、エゲレス国大使の何某なるお偉方のご息女であった。


 さて、これでもかと完全に飽き飽きするほど海を越えた最果てに、ようやく上陸する陸が見えてきた。この間、果たして幾歳月を要したのか、ちっぽけな猫の脳みそでは、とんと数え切れもせぬ。
 と言いつつ吾輩は、至極平凡にタマ、なぞと名づけられ、船倉の鼠なぞまったく口に合わぬ、とつばを吐くほど、まことぜいたくな食物をあてがわれ、吾が住処と定められた小籠の中にて、大抵丸くなって、悠々快適な船の旅を楽しんでいた。

 かようにして行き着いた先は、エゲレス国なるオイローパの島国であった。



 このエゲレス国なる国、周囲を目を皿のようにして見渡してみるに、果たして日本国とは、住まうヒトの種族からしてまるきり違うようである。
 陸蒸気に乗せられ、陸路を行くことさらに一日。吾輩は籠の中で丸まり、完璧に眠りこけていた。
 目覚めたのは、何某大使一行が倫敦なる街に入ってからのことである。
 真っ先に目に付いたのは、河畔にそびえ立つ、大きな時計のついた巨塔であった。


 道行く人々の衣服の珍妙なこと、筆舌に尽くし難く、さらに男も女もめいめい頭に、何やら丸い被り物をのっけている。
 街道はというに、やたらめったら幅広で、彼方まで何尺あるやら計れもせぬ。そこを我が物顔で往来するのは、馬と呼ばれる巨大で愚かしい動物どもである。
 自身の目的も持たず、ただ阿呆のごとくヒトの命に従い、やみくもに走りまくる。そのために生きているとしか思われぬが、何が面白いのか見当もつかぬ。

 その馬が引いておるのが、これまた車のついた巨大な箱。カラカラと軽快な音をたてて行き過ぎる。この中にはヒトが数人から、数十人くらいも詰め込まれておるそうな。この馬と箱が、時には足の踏み場もないほどひしめき合い、うっかり街道に飛び出した日には、向こう端にたどり着く前に、ひずめに蹴られ、車輪でひらべったくのされてしまうであろう。


 さて、吾輩はというに、左様なのし餅となる危険など冒す必要さらさらなく、よい香りのするボロ切れなぞが敷き詰められた快適な籠におさまっていた。吾輩を運んでくれるのは、もちろん十八になったばかりの初々しい《シズカお嬢さん》である。
 時折、吾輩はこっそりとふたを持ち上げ、丸い目をこれ以上丸くできぬほど大きく見開きながら、黄昏ゆく倫敦の街並を眺めていた。


◇◆◇



 吾輩、猫に生まれて、まことによかった……。

 そう心底思える、優雅なるエゲレス国の旅である。

 ある日、ついに、吾輩もエゲレス大使の何某一家三名と共に、くだんの馬車に乗って、とある巨大な石造りの建物の前にやって来た。
 馬車を降りると吾輩は「にゃーっ」と声を上げた。すると、籠のふたを慌てて押さえ、《シズカお嬢さん》はしぃっと言った。

「おとなしくしていないと、外へほおり出されてしまうわよ」

 吾輩はあわてて首を引っ込めた。こんなところで路頭に迷った日には、明日のお天道様を拝む自信すらないからである。

 そこは、ミュージックホ−ルなる巨大も巨大な建物の中であるらしかった。
 中はこれまた何処の宮中に舞い込んだかと思うほど、絢爛豪華である。
 色とりどりの珍妙なる、腰でやたらに締めた装束に身を包んだ女人が、黒い紋付ならぬ燕尾服なるものを着た、いずれがジャガイモ・サツマイモ、似たような男どもにかしずかれて、楚々と歩き回っている。
 天井といい、床といい、絵にも描けぬほどの華やかさであった。


 しかし、その場に幾人見目良い女子がおろうとも、その中でひときわ麗しいのは吾輩の《シズカお嬢さん》ただ一人である。
 つややかなまっすぐの黒髪を、エゲレス風に結い上げて、しかめ面以外見せたことのない父上と、やせぎすで神経質な母上と共に、慣れぬエゲレス式衣服のすそに足をとられ難儀しながら、懸命に歩こうとしている。その姿も実に愛らしい。
 もちろん吾輩は、というに、ひたすらお嬢さんが下げている籠の中から、ふたをうっすら持ち上げて周りを覗いているのみである……。


 さて、《シズカお嬢さん》が手洗いに行き、出て来てみると方向がすっかりわからなくなっていた。困り果てて涙ぐみながら、必死になって左右をきょろきょろ見回していると、前方から通りのよい声が聞こえてきた。
「もしや、どなたかお探しですか」
 あな、嬉しや。それが日本語だとわかった途端、《お嬢さん》は大いに驚き、次いで期待でいっぱいの眼差しをそちらに向けた。立っていたのは二十代後半と見ゆる、そこらのイモよりは遥かに眉目秀麗な紳士であった。
 黒の燕尾服に身を包んでいようとも、同じ日本人はすぐにわかる。地獄で仏に出会ったような輝きが、たちまち《お嬢さん》の表情に表れた。
「はい、両親の席を探しているのでございます」
「それをお見せください」
 男はあくまで礼儀正しく、お嬢さんが手に持っていた桟敷席の切符を見ると、うなずいて微笑んだ。
「こちらですな。わたしがお送りいたしましょう」


 その燕尾服の男は《タカヤナギ シゲヒト》と名乗り、見るからに品位ある顔立ちであった。日本国政府お偉方の書生にして、エゲレス国の言葉と文化を学ぶべく、一年ほど前よりここ倫敦に留学しているという。
 ぽーっとしているお嬢さんをミュージックホールの桟敷席に無事送り届け、書生は丁重に挨拶して去って行った。その後姿をお嬢さんは、桟敷から名残惜しげに見送っていた。


 その夜、大使公邸の自室に引きとるや、吾輩の入った籠のふたがかぱっと開いた。

 ランプの灯に、吾輩があくびを噛み殺しながらしきりに目をこすっていると、いきなり抱き上げられ、お嬢さんが興奮した声でかの書生の印象なぞをしゃべり始める。

 しばし唖然……。ついで前足で己の顔をするっと一撫で。
 はてさて、ここよりまた、いかなる風が吹くのであろうか。



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