〜〜 ニューヨークの冬景色 〜〜
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今まで考えたこともなかった。でももしかして、あのことで、彼はずっと自分を責めていたの? 日本にも帰らないで?
そんな必要、ちっともなかったのに……。
それと同時に、今初めて気が付いて、愕然とする。
わたしの方こそ、この長い間、翔平に自分の気持を一度も伝えていなかった……。本当に、全く何も伝えていない!
彼が「愛している」と言ってくれた後でさえ、身内の照れ、みたいな感情が邪魔をして、ただ言われるまま、流されるように動いてきただけだった。
そう、ニューヨークに来てからも……。
手のひらで涙をぬぐうわたしに、紙ナプキンを差し出してくれながら、彼女はなぜか明るい表情になった。勢い込んだように、さらにタブレットを叩いている。
『この秋、彼が急に日本に行ったでしょう? いい機会だから、例の彼女に会えたらいいわね、って、わたし、応援してたのよ。彼は複雑そうな顔をしていたけれど、帰ってきた時は、それまで見たこともないくらい明るい顔でね。ピンと来たわ。尋ねたら「彼女がアメリカに来ることを承諾してくれたんです!」って……。ああ、この子もこういう風に、歳相応の顔をするんだなぁ、って、とても嬉しかったの。「その人のこと、ずっと愛していたのね?」と聞いたら、ちょっと照れくさそうに微笑んで、もちろん、って……』
とうとう我慢できなくなって、わたしは顔を両手で覆って泣き出した。そんなわたしの肩を、包み込むように抱いて、ステファニーさんが優しく言った。
『だから、あなたもどうか、頑張ってほしいの』……と。
『彼、とても心配そうにしているわ。慣れない外国に来たばかりで、あなたも大変なのはわかる。わたしにできることがあれば、何でも相談してね。あなた達が上手くいくよう、心から祈ってるわ。ショウは、あなたをまた失うんじゃないかと、今、とても不安な気持でいるんじゃないかしら』
え……? 翔君が……?
『どうしてです? 彼、何か言っていましたか?』
推測よ、と彼女は両手を広げて見せた。
『昨日、うかない顔でちょっと立ち寄っていった時、まるっきり心ここにあらずって感じで、あの席に座って、アパートの方ばかり見ていたの。サヤはどうしたの? って聞いても何も答えないし……』
わたしは、咄嗟に席から立ち上がった。
『あ、ありがとうございました! それで、ちょっとお聞きしたいのですが……』
その後、結局4時まで待って、わたしは彼女に付き合ってもらい、近くのスーパーマーケットで初めての買い物をした。日本より何でもビッグサイズでびっくりしたけれど、ステファニーさんのおかげで何とかレジを済ませることができた。
買い物の紙袋を手に外に出てみると、少し雪がちらついていた。
吐く息は白く凍えるけれど、心の中は来た時よりずっと暖かくなっている。
『幸運を祈ってるわ。それから週末には、必ず来てちょうだいね!』
ステファニーさんの笑顔と声援を受け、わたしは笑って頷き返す。もう、怖いとは思わなかった。
英語ができないことが問題じゃない。人と話したい、その気持が一番大事なんだ。ステファニーさんとの対話で、それがわかったような気がする。
今、やっとニューヨークに両足をつけて、立ち向かう心構えができたようだ。そして、わたし達二人の未来に、しっかりと向かっていくだけの勇気も……。
さあ、翔平が帰ってくるまでに、この料理、何としても間に合わせなくっちゃ!
◇◆◇
間に合わないかも、という心配は杞憂だった。余裕で間に合った。
翔平からは、何度もメッセージと電話があった。電話の声が心配そうだ。
「やっぱりもうちょっと遅くなりそうなんだ。一人で大丈夫?」とそのたびに問うので、「もちろんよ。小さい子供じゃないんだし!」と明るく答える。
遅くなってもいいから、夕食は絶対にうちで食べてよね、と念を押すわたしに、向こうも笑って『了解』と通話を切る。
これで準備完了。後は彼の帰宅を待つばかり。なんだかもう奥さんになったみたいな、不思議な感覚……。
9時半を過ぎた頃、やっと翔平が帰って来た。インターホンの音がしてドアを開けた途端、吹き込む冷気とともに差し出されたのは、真っ赤な薔薇の花束だった。
ポカンとしているわたしに「遅くなったお詫び」と手渡してくれる。
綺麗な薔薇が一ダースも。こんなの初めて貰った、と、ちょっとどきどきしながら喜ぶと、彼もほっとしたように笑顔を見せた。
優しくわたしの頬にキスしてくれる。
「来た早々、ほっといたみたいでごめんな。仕事が結構来ててさ。帰りたくてもなかなか帰れなかったんだ。今日一日、どうしてた? もう食事はしたんだろ……」
コートを脱ぎながら、食事テーブルの前まで来たとき、彼がはっとしたように足を停めた。やった! と小さくガッツポーズした途端、驚いたようにこちらを振り返る。
「沙夜? これって……」
「だって翔君、昔、好きでよく食べてたじゃない?」
「ああ、そうだった……。よく覚えてたな」
「当たり前よ。翔君がいなくなってから、作っても誰も喜んでくれなくて、つまんなかったんだからね!」
マーケットで見つけた材料の範囲内で、精いっぱい和風の、それも翔平が昔好きだったものばかり作ってみた。こちらに来たばかりのわたしでさえ、三日もパンばかり続けば、ご飯が食べたくなる。まして、ずっと生活していれば、きっと何倍もそうかもしれない。
その考えは間違っていなかったようだ。ふふっと笑って、貰った薔薇を大きな花瓶に生けながら説明する。
「今日の午後、ステファニーさんにスーパーマーケットの買い物に付き合ってもらったの。思ったより難しくなかったから大丈夫」
「ステファニー? へぇ。また、どうやって?」
「角のカフェに行ったら会ったの。あのお店にいるって、昨日教えてくれればよかったのに」
「ああ、なるほど……。って、沙夜、だけどまだ英語が……、実は少しはできるわけ?」
意外そうな彼に、わたしはやや得意になって胸を張った。
「うっふっふ、少しは見直した? なーんてね。それも翔君が言った通りだった……。案外何とかなるものね。本気で話したいと思うことが大事なんだって、わかったみたい。ほんと、すごく有意義な一日だった。あ、翔君のカード、ちょっと使っちゃったけど」
「それは全然構わない……。けど、どこで見つけたんだ、こんな材料?」
テーブルに載ったおひたしと肉じゃが、それにわたしが日本から持ってきた御茶碗やおはし、海苔やお醤油を見ながら、感慨深そうに呟いている。
「男の人って、あんまり見ないから知らないかもしれないけど、輸入食材コーナー探したら結構あったわよ。お醤油や日本のお味噌もね。翔君が元気でお仕事頑張れるように、これからどんどん作ってあげるから期待してて。食べたい物のリクエストとかあったら……、え? な、何?」
いつになく喋るわたしを、ちょっと眩しそうに見ていた翔平が、ふいに手を伸ばしてきた。
引き寄せられ、驚いて見上げると、彼の物問いたげな視線にぶつかる。無言で見つめ合ううち、どちらからともなく自然に唇が重なっていた。
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16/07/23 更新
やっと、一番大事なことに気付いた沙夜です。
もう大丈夫そうですね。
というワケで、次回、いよいよラストです〜〜(^^)