Chapter 11

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「先生、お客様です」
 翌日の午後、ウェスコット弁護士事務所に来客があった。事務員兼秘書のマーシー・トレントンが、そう声をかけて室内に通したのは、上等のスーツを着たやせ型で上品な五十絡みの紳士だった。
 その顔を見るなりウェスコットは度肝を抜かれた。礼儀上椅子を勧めることも忘れ、たっぷり一分以上あっけにとられたようにその紳士の顔を眺めていた。

 この顔には確かに見覚えがある。いや正確には目だ。きちんと整った身なりにも関わらず、紳士はどこかやつれて疲れ切っているように見えた。それでもやや落ち窪んだ眼窩の奥から、パトリシアと同じ黒い頑固そうな瞳がこちらをじっと見据えている。

「はじめまして、わたくしはチャールズ・ニコルズと申します。ご存知かと思いますが、パトリシア・ニコルズの父親です」

 紳士はしばらく戸口付近に立ち止まっていたが、ついに痺れを切らしたように氏の机の前に歩み寄ってくると、こう自己紹介をしながら握手の手を差し出した。
 ウェスコット弁護士は我に返ったように瞬きし、椅子から立ち上がると機械的にその手を握り返した。いったい、どうなっているんだ? 無言のまま頭を忙しく働かせ、この馬鹿げた茶番劇の筋書きを辿り直してみる。
 そうしているうちに、ニコルズが苛立ったように用件を単刀直入に切り出してきた。

「こちらに所属する弁護士、ロイド・クライン氏にお目にかかりたいのです」
「何かお約束でもおありでしたかな?」弁護士は目を細めた。「実は先日、かなりの怪我をしましてな。ただいま静養中で出てきておりません」
「ほう……」相手の声が皮肉な色合いを帯びる。「それではいったいどちらに行かれたのでしょう? 先ほど訪問したところ、ご自宅にもおいでにならないようでしたが?」
「……本日はまた、どのようなご用件で?」
 慎重に言葉を選んで問い返すと、また沈黙があった。まるで薄氷の上を歩いているような緊張感が漂う。どちらが先に足元の氷を割るか。そう思ったとき、意外にも相手が大きく一歩踏み込んできた。

「わたしの娘パトリシアが、そのクライン氏とどうやらご一緒しているらしい。このたびはずいぶんご厄介になったそうですな。それとも、もしやあなたもご同類ですかな。ならば残念だが、こちらの弁護士事務所ももはや先が見えたようですな」
 またしばらく間があった。ウェスコット弁護士は机上のパイプを取り上げ、ゆっくりと口にくわえてふかしていたが、やがて、デスクの前に威嚇的に立つ紳士に向かって眉一つ動かさず答えた。
「はて……、先程から何の話をしておられるのやら。さっぱり理解できませんな。どうも詳しい話をおうかがいした方がよさそうだ。まぁどうぞそちらの椅子にお掛けください。今お茶を。マーシー!」
 ニコルズは一層苛立ったようにそれをさえ切った。そして彼のデスクに片手を突くなり、いっそう声を落とした。
「娘の保護者としてお願いする。娘とクライン氏の行く先について、お心あたりがあれば今すぐにお教え願えませんか?」
「まずは……」
 ウェスコット弁護士は机を回ってニコルズの傍らに立つと、再び慇懃に椅子を勧めた。
「とにかくそちらのご事情とやらを詳しくお聞きしたいものですな。うちの事務所の者が、心ならずも巻きこまれてしまったらしい事件のことです」
「事件? いったい何の話でしょう? わたしは昨夜、旅先から戻ったばかりでしてね」
「これは奇妙なお話ですな……」
 口先で作り笑いを浮かべたニコルズに向かって、弁護士はいかにも不思議だと言わんばかりの顔をして見せた。
「もう何か月も前に、あなたの行方が知れないと、ご令嬢からお聞きしておりましたぞ。お気の毒に、パトリシア嬢は心配のあまり夜も安らかに眠れないというご風情でしたが。それをまぁ呑気に旅だなどと!」
「やはり! では娘はここに来たのですね。それで今はどこに?」
 せいたように返答をせまる相手を、ウェスコットはしばらくじっと観察していたが、やがてゆっくりと答えた。
「いや、ご令嬢がここに来られたのはもう四か月も前のことです。それにしても……。ふむ、ご様子から察するにあなたを取り巻く複雑な事情とやらは、どうやら一まず片が付いた、と見なしてもよろしいのですかな?」
 半ば独り言めいた言い方だったが、ニコルズの頬がぴくりと動いた。
「さて、何のお話かさっぱりわかりかねますな」
「そちらがそうおっしゃる以上は、こちらも同様です」

 ニコルズは弁護士の表面的には穏やかな顔を、しばらくの間ぐっと睨み付けていた。だが、それ以上もはや何も聞き出せないと悟ったように、ポケットから何か紙きれを取り出すと、デスクに荒っぽく押し付けた。
「非常に残念ですね。こちらとしてもできる限り穏便に対処したいと思っていたのだが……。これは今日警察から出された捜索手配書です。よろしい。ご協力いただけないにしても娘は必ず見つかるでしょう。手遅れになる前に協力されたほうが、御身のために有益だと思いますがね」

 そう言い捨てると、ニコルズはお茶を持って入ってきたマーシーを一瞥しただけで、足早に事務所から立ち去って行った。


 ウェスコット弁護士はその紙切れを手に取り、隅々まで読んで顔をしかめた。顎をさすりながらしばらくじっと考え込んでいたが、やがてそれを鞄にしまいこむと帽子を目深に被った。そして少し離れたところに心配そうに立っている事務員に、安心させるように微笑みかけた。
「マーシー、今日はもう終わりなさい。わしは今から出かけてくるよ」
 ウェスコット氏は石畳の通りに出て、しばらく歩いたところで通りすがりの辻馬車を停めると、左右に人影がないのを確かめてからそそくさと乗り込んだ。

 走り出した馬車の後方、大きな建物の陰からふいに馬に乗った男達が姿を現した。二人の男達は少しの間、馬上で何か話し合っていた。やがて吸っていた巻き煙草を石畳に投げ捨てると、十分な距離を取りながら、ウェスコットの乗った馬車の後について、そろそろと馬を走らせ始めた。


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17/05/10
やっと大統領が決まった韓国です。
これで情勢が色々と落ち着いてくるといいのですが…。